第26話 貴族令嬢VSホルモン焼き

「なにこの店は……? ホルモン焼き……? いかにも庶民が好きそうな下品な食べ物だこと」



「一人ですわ。とりあえず生ビールで」


 扉を開けながら、入店と同時に注文を放つ。もはや軍人が銃を構えるような反射的動作に達している。厚い生地のドレスを纏うマリーの額には、滝のような汗があった。クーラーの冷気が濡れた肌を打つ。気持ちがいい。


「はいこちらどうぞー」


 笑顔で対応する店員。招かれた席に優雅に腰掛けて、メニューを開く。


「ふぅー、最近食べてないと思ったらつい入ってしまいましたわ……でも暑くて最近食欲が減退気味なのですわ」


 ここはホルモンが中心の焼き肉屋だ。生のホルモンしか仕入れず、そして今日は市場が休みの日の次の日。タイミングは良い。

 暑さに食欲減退気味な自分にどこまで戦えるのか。貴族令嬢であるマリー、当然その胃腸もエレガントかつ繊細な代物である。

 だがやるしかあるまい。戦う前に負けることを考えるのはバカのやることだ。


「はいおしぼり、それとビールでーす」


「ふぅー」


 手渡された冷たいおしぼり。汗だくの顔を拭き、続いて首元を拭う。はしたないがこれはやめられない。


「とりあえずさっぱりとしたところからいきましょうか」


 さっぱりと、この落ちた食欲をフォローしてくれるものを頼みたい。


「店員さん。豚バラ、シマチョウ、レバー、それとオイキムチお願いしますわ」


「はいーただいまー」


 マリーの胃腸は繊細だ。しかし酷暑のせいで落ちた食欲でも、豚バラ程度ならマリーは勝てる。


「ホルモン焼き屋といっても基本は二種に分かれますわ」


 ホルモン。焼き肉屋におけるいわゆる内臓料理の総称だが、その内容はディープにして複雑である。


「串焼きで出すスタイルと、網焼きで出すスタイル。ほぼ別のジャンルの料理といっても過言ではありませんわ」


 グビリと生ビールを一口すする。渇きに染み込むアルコール。思わず唸る。


「う゛ぅ……」


 流れる手つきでロースターに火を付けた。タイミングよく肉とキムチが運ばれてくる。


「ここはガスロースターで出す後者。ゆえに焼き加減を好みで調節しやすいところが利点」


 かつて、焼き肉の達人と呼ばれた寺門ジモンも語っていた。慣れが必要な炭火に比べガスロースターは初心者でも簡単に火力を調節できる優しさがあるのだと。

 鉄板の隅や真ん中にお冷やの水をすこし垂らす。じゅわりと音を立てて水滴が沸騰しながらしばらく残る。ライデンフロスト現象というやつだ。十分に鉄板が暖まっている証拠である。

 焦ってならない。常にベストの状況で肉を焼くのだ。そうしなければジモンに追いつくことはできない。


「さあ網が温まってきたら初手、豚バラから……!」


 じゅう、と肉が音を立てる。分厚い脂つきの三枚肉が、鉄板の上に並んだ。その数、3。

 鉄板の大きさから一度に並べる枚数は余裕を持たせ三枚がベスト。バラ肉の枚数は九枚。つまり都合3ターンでブタバラにキルする。

 焼き肉を焼くとき、マリーは一皿を何枚にわけて焼き、何回で終わらせるかがベストなのかを習慣的かつ自然に考えている。焼き肉に必要なものは鋼鉄の秩序だ。なにも考えずに一度に乗せて焼き、火力を不安定にすることは肉をまずくする愚の骨頂である。

 戦術と忍耐。焼き肉に求められるものは、貴族の生き様と同じだ。

 

「火をやや落としじっくり焼きで脂を落とす……!」


 焦げを最小限に、脂身から脂が落ちてカリカリ気味になった当たりを狙う。


「間をオイキムチで繋ぐ……! 夏はやはりキュウリのさっぱり感を有効活用したいですわね」


 きゅうりの爽やかさ、そしてキムチの辛味とうまみ。肉を眺めながらグビリとビールを飲む。


「当然ビールとの相性も約束済み!」


 いくらでも呑める。だがここはセーブだ。


 「さあ焼けた豚バラ……最初の一枚は塩コショウで……そこにビール!」


 脂の旨味、赤みの歯ごたえ。シンプルに塩とコショウがそれを引き立て、そしてビールが全てをぶちかます。


「夏を生き抜く快感……!」


 二枚、三枚。肉が消える。即座にトングで肉を並べる。肉を焼くことはリズムだ。崩してはいけない。


「すいませんレモンハイお願いしますわ。あとナムルと韓国海苔」


 ビールをやや残しながらつぎの酒を注文する。なおかつ援軍も呼び寄せていよいよ万全に。

「はーいただいまー」


「焼けた豚バラを今度はタレとコチュジャンで…いただく!」


 脂、肉、そして辛味とコク。旨いに決まってる。


「豚は人類の友よ……! 次手、豚の脂がしっかりと染みた鉄板へレバーを投下!」


 ブタバラの脂が染みた鉄板にレバーがならぶ。都合6枚なので一度に3枚焼きで2ターンで決着だ。


「夏を乗り切るにはやはりレバーが必要……! 豊富な栄養を食わずにすごす道理無し!」


 新鮮なレバーは甘い。切り口のたったこのレバー、かなりの鮮度と見た。


「ほどよく焼けた当たりをタレで……やっつける!」


 レバー、ビール。エンドレスフォードリームである。


「レバーが食えないとかダメとか抜かす輩は所詮子供ですわね……酒の味を覚えたら人はもうレバーから抜け出せないのですわ!」


「そしてシマチョウ……脂肪の多いここの焼き方で焼き慣れした玄人か素人か、わかりますわ!」


 シマチョウ。牛の大腸である。店によっては茹でたものを使うなど扱いやすくするが、この店ではもちろんこれも生だ。


「まずは皮目から…!」


 じゅわりと脂を鳴る。この皮目から焼くことが大切なのだ。


「皮を長めにやいてじっくりと脂を落とす……火の加減を調節しながらかりっとした食感を目指すのですわ。焦らないで、私!」


 やがてもうもうと煙が出始める。生のホルモンは焼く時には大量の煙が出るものだ。店によってはこの煙を抑えるために茹でるなど工程を加える。

 だが、この店はそれでも生ホルモンにこだわっている。そしてマリーは煙程度に臆する貴族令嬢ではない。


「レモンハイお待ちーあとナムルと海苔ですー」


「焦りは援軍のナムルと海苔で吹き飛ばす! 煙りが出ますわねぇ…!!」


 やがて、待ちかねたものが出来上がった。


「皮七分、脂肪三分で焼いてコチュジャンを溶かしたタレで食えば……!」


 そしてチューハイ。


「キングオブジャンキー味っ!!」


 落として焼くことにより適度になったシマチョウの脂の旨味、そこにタレの味が加算されたまらない。そしてそれをチューハイで洗い流す。


「ホルモン! チューハイ! ホルモン! チューハイ! 無限ループの完成ですわ!」


 グビグビと飲み、食い、そして焼く。縦横無尽にみえてマリーの動きは一定のパターンとリズムを刻んでいた。どれほどの喜びに憑かれようと、マリーは焼き肉をしくじらないのだ。貴族たるものあらゆる作法を完璧にこなせて当然であるのだから。


「……しかし、この社会の停滞感がハンパないですわねぇ」


 ふと、マリーは酒をテーブルに置いた。


「人が集まるところは全部ダメで、なにかあればすぐ注意される……」


 停滞し、そして窮屈な世の中になっていくような気がする。


「やることは職場と家の往復だけ……たまの休日は録り溜めしたアニメやタモリ倶楽部をみるだけで終わる……私、このまま年をとっていくのかしら」


 いつまでも若い人間はいない。やがてマリーも衰える。今この時でさえも。


「……ああ、だめねなにを考えてるのかしら私は。店員さん、豚タンとハラミ! あと冷麺!」


 △ △ △


「はいお待ちー」


「豚タンとハラミはさっと焼いて…コチュジャンと韓国ノリで巻く!」

 

 歯ごたえある豚タン。かみしめると旨味が強い。一方ハラミは柔らかく、それでいて脂が少ないので食べやすい。


「追ってチューハイ!」


 グビグビと飲み干す。


「エレガントッッ!!」


 焼き肉屋の中心で愛を叫んだ令嬢。


「そして締めにはやはり麺類、冷麺の歯ごたえはやはりやみつきになりますわねぇ」


 △ △ △ 


「ありがとうございましたぁー」


「ふぅー、外に出れば当然のごとく快晴…長かった梅雨が懐かしいですわねぇ……」


 まだ気温は高い。高すぎる。


「一着しかないドレスにカビが生えてしばらくジャージで過ごした最悪の六月でしたけれど……」


 とぼとぼと、路地裏を歩くハイヒールに


ムニュ


 とした感触があった。


「……あ」


 もはや踏んだ感触でなにかわかってしまった。だって三度目だから。


「うぅ……」


 倒れる貴族服の老人がいた。手には発泡酒の缶。


「オーギュスト大公殿下……またですの?」


 見下ろす老人は、また始末が悪そうに笑う。


「大公殿下、こんなところでなにを? さすがにこの時期この時間帯下の野宿は死にますわよ?」


「君は……伯爵家の……」


 またこのやりとりか。


「マリーですわ。しっかりしてくださいませ殿下! なにがあったのですか!?」


「……白鯨攻略戦に三回連続で負けて」


「あれほど今はまだまだ店が回収モードを続けているは言ったではないですか!」


「いけると思ったんだ……今日の私なら」


「養分はみなそう思って散っていくのですわ!」


 悲しい現実だった。


「肩に捕まってくださいませ殿下。家までお送りしますわ」


 老人を引っ張り上げて肩を貸す。なんだか前よりも軽くなっているような気がした。


「すまんな……しかしなんだか昔よりずっとたくましくなったな君は。背中が広くなったよ」


「肉体労働には慣れておりますもの」


 力強くマリーが笑う。強くなければ貴族は生き残れないのだ。


「足立区の原付で駆けてくシンデレラと呼ばれていた君とはもう違うんだね」


「イヤですわ大公殿下。それはもう昔の話ですわ」


 懐かしさに、マリーが笑う。

 陽炎の街の中を、二人が行く。

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