第24話 貴族令嬢VS大宮


「大宮……? いかにも埼玉の田舎者が集まるところらしい街だわ」




「はいどうぞ」


 のれんをくぐり、コロナ対策に開け放たれた戸口をくぐる。アルコールと検温を済ませてマリーは長テーブルの丸椅子にどっかりと腰を落とした。

 ビニールの丸椅子など、ひさびさに見た気がする。


 首をコキリと鳴らしながら壁を見上げる。元は白色だったろう壁が茶色に染め上がり、そこにやはり茶色着いた品書きの札が一面に張られている。値段のところだけ白いのはそこだけ張り替えたから。


「えーと、赤星サッポロラガー。それとキュウリの一本漬けに煮込み、あとアジフライ」


 さらりとメニューを決める。よってきた店員のおばちゃんが、紙に直接メニューと値段を書き始めた。ここは徹底的なローテクで注文と会計をしている店だ。

 化石か。


「あいよーはいビールお待ち」


 なにはともあれ酒のレスポンスは早い。それが一番大事だ。ぽんと栓を抜かれたビールをコップに注ぐ。


「液体7の泡3で注いで」


 くっと、喉に差し込む。


「一気に飲む!」


 喉を通る刺激。灼熱の8月頭を乗り越えたマリーには染みる。


「ひさびさの赤星、効きますわね……」


 ここは大宮駅東口からすぐにある老舗居酒屋、いずみやだ。東口から徒歩十秒ほどの立地にある。朝の10時から秒で酒が呑める紳士の社交場、大宮のエルサレム、または埼玉のソドムである。

 とにかく大宮駅を降りてで手っ取り早く呑みたいならばここだ。


「早めに終わった仕事帰りでふらっと来てしまいましたけれど」


 たまに埼玉方面にくるマリー、大宮はあまり利用したことがなかった。いかにも酒飲みが寄ってきそうな場所だというのに。


「はい煮込み漬け物アジフライー」


 淡々と運ばれるメニュー。


「しかしまあこの店はなんだか落ち着きますわねぇ。なんというか大宮は埼玉県の“いいかげん”がぐぎゅっと濃縮された感じで居心地が良さそうですわね…」


 グビグビとビール、そしてポリポリときゅうりを摘まむ。


「とくに大宮駅降りて徒歩ゼロ分にあるこのいづみや……ドリフの酔っ払いコントに出てくるセットのような古臭い建物、そして昼間から堂々と酒を飲ませるスタイル……」


 落ち着いた住宅街。マンション開発の進んだ駅前。そういう小ぎれいになっていく街とはやはり大宮は雰囲気が違う。どう開発が進み人口が入れかわろうと、なんというか、雑なのだ。

 その雑さが、落ち着く。


「雑さがぶっきらぼうな優しさに見える、良い街じゃないですの大宮」


 煮込みに箸を伸ばす。ここの煮込みはとにかく安く、そして早く出てくる。


「ここの名物は煮込み、安さ速さに味が揃えば……」


 もつを味わい、グビリと呑む。


「当然侮り難し……」


 大宮に長年佇む、酒場の風格があった。


「見上げれば煤けた壁に同じく黄ばんだ紙に書かれた大量のメニュー……ちょっといくらなんでも多過ぎじゃありませんの?」


 焼き鳥や揚げ物はもちろんそれにプラス料金で定食もできる。元は酒屋が発祥だったそうで、酒のメニューも多い。無敵である。無敵要塞だ。


「長テーブルに丸椅子というザ☆チープな内装もしみじみと落ち着く……こういうのでいいんですわこういうので!」


 ビールを飲み干し、手を上げた。


「チューハイ! あとシシャモ!」


「ハーイ」


 △ △ △



「ありがとうございましたー」


「ふぅ……濃密な昭和感に思わず長居しかけましたがいけませんわ。今日はハシゴと決めておりますので。次は」



酒蔵力


 赤い。とにかく赤い店構えだった。

 看板が赤い。戸が赤い。店員の服装も赤い。なんだここは。共産主義か。


「大宮から浦和にかけての居酒屋グループならばここがまず有名ですわね。相変わらず真っ赤な店構え……」


 本店が浦和にある酒蔵力は、当然地元チームである浦和レッズを応援している。浦和レッズのチームカラーは赤。ゆえにこの烈火のごとく赤で染めている。

 それにしても、赤すぎる。大宮には大宮アルディージャがいるというのに。


「はいいらっしゃいやせー」

 

 若い店員が小気味よく迎える。お年が上気味の淑女店員が多いいずみやより勢いがあった。


「ハイボール一つ。あと焼き鳥のモモ、かしら、レバー。全部塩で」


「へーい、ただいまー」


「ここは元は肉屋が本体ですので、肉メニューに外れがありませんわ」


「はいハイボール、それと焼き鳥でーす」


「ここは焼き鳥は二本から注文なので調子乗って頼むと結構な量食わされるので注意ですわ……」


 モモを一本手にとり、豪快にかぶりつく。もも肉の弾力と脂の旨味。塩が引き立てる。

 たまらずにハイボールを煽った。


「肉屋の腕は内臓肉にでる……ぷりっとした断面のレバー、なるほど鮮度がいいですわね」


 切り口に角の立つのは新鮮な証だ。それに絶妙な火の通りでレバーの味を引き立てる。


「臭みなくレバーの旨味が口に広がる、そこにハイボール!」


 もう一杯目が無くなった。


「店員さん、ハイボール濃いめでもういっぱい!」


「はいハイボール濃いめ一丁!」


「あらそうそう、この店に来たら頼んでおくものがありましたわ」


 マリーは思い出した。この店に来たら必ず頼むと決めていたあのブツのことを。

 中毒必至の、あの合法麻薬というべき代物を。


「焼き豚足、ハーフで」


「はいただいまー」


「豚足というと茹でたものを酢みそで食べるイメージが強いですわね。見た目からニガテな人も多いと思いますわ」


 なにせ豚の足そのままである。冷えた豚足を酢味噌や唐味噌というのもやはり好みがわかれそうだ。

 だが焼き豚足は違う。あれはもうヤバい。


「しかし私から言わせてもられば、あのような豚足の食べ方は二流ですわ」


「はいハイボール濃いめに焼き豚足!」


「豚足は焼いて食べるのが一番うまいのですから!」


 マリーの目に、暗い欲望があった。ジャンキーの目をしていた。


 半割りにされた豚足が、焼かれて焦げ目をつくっている。ジュクジュクと沸騰した脂に、にんにくダレがかかる。その香りが貴族、マリーの本能を誘う。


「焼かれてコラーゲンが溶け出した豚足に、大量のネギとにんにく風味のタレがかけられていますの……」


 豚足にネギを乗せ、手で持ち上げる。震える唇を、開く。


「これを手づかみでむしゃぶりつく!」


 ガツガツ犬のようにかじりつく。骨の周りの皮やとろけた関節コラーゲンをはがし、すする。ネギの辛味とにんにくの香り。たまらない。


「変わらず本能に突き刺さるお味ですわ! 今わたくしは餓えた野犬なの!!!!」


 豚足にかじりつく自分は今なんと浅ましい姿だろう。だが仕方ない。マリーは悪くないのだ。すべての責任はマリーを狂わせるこの豚足にある。


「まとわりつくコラーゲンと脂をハイボールで流す!!」


 グビリグビリと、ハイボールを呑む。炭酸の爽快感がまた豚足に向かわせる。


「これはまさに合法の麻薬ですわ!!!!!」


 退廃都市、大宮。ここでは焼き豚足と呼ばれる麻薬が乱用されていた。



 △ △ △


「またのおこしをー」


「ふう……焼き豚足キメると満足感がはんぱないですわね…さてあとは、ええっと」


 豚足の威力にマリーもひれ伏しそうになる。だがここで下がっては貴族ではない。マリーはかろうじて持ちこたえた。

 酒蔵力を出て、飲食店の並ぶ商店街をうろうろとあてもなくぶらつく。


 そこでふと、奇妙な店を見つけた。


「あれは大宮名物の……そうそう、大宮来たからには一度あそこいってみようと思ってましたのよ」


 マリーは、観葉植物と雑多なメニュー書きが並ぶ喫茶店へと足を踏み入れた。


伯爵亭


「はいいらっしゃいませー」


 中年男性の店員に席を案内され、座るマリー。しげしげとやや薄暗い店内を見渡す。


「……しかし個性的な店構えと内装の店ですわねここは…」


 まず間違いなく純喫茶のたぐいではない。無国籍喫茶とでもいうべきか。


「まず店の外側にはよくわからない植物や置物があり……」


 この時点でもう店の戦闘力が高い。


「デカデカとアピールされるのは『24時間営業』の文字……」


 さすがに緊急事態宣言中は自粛するらしいが。


「薄暗くこれまたシックなような雑なような統一感のない無国籍な内装……」


 メニューを開く。これも分厚い。おなじみの喫茶店メニュー、だけなわけがない。


「大宮ナポリタンが名物らしいですが、メニューを開ければ焼酎からビールにカクテルと酒ならなんでもござれ。喫茶なのにコーヒー飲ませる気が一ミリもありませんわ……」


 店奥にはバーカウンターらしきものがある。さすが大宮名物。ただの喫茶店なわけがなかった。なんだこの店は。


「食事メニューは通常の喫茶メニューの他にステーキや沖縄そば、インドやスリランカなどのアジアンもある……」


 24時間、いつどこの誰がきても挑戦を受ける。そんなマスラオの雰囲気があった。

 喫茶店なのに。


「埼玉のいいかげんさ、適当さが存分に出てカオスな店ですわねぇ……え? なにこれ『お嬢様セット』……? ナポリタン、唐揚げ、フレンチトースト……一体どこにお嬢様成分があるのよこれ……? ふざけてるの?」


 お前が言うな。


「ていうかそんなもうお腹に入りませんわ。とりあえず、名物ですので大宮ナポリタン頼んでおきましょうか……すいませんナポリタン一つ」


「はい大宮ナポリタンね!」


「大宮ナポリタンは大宮に店があって埼玉県産野菜を一種類使えば誰でも名乗れるそうですわね……条件緩すぎですわ」


 埼玉の緩さが、オーバードライブしていた。もとより埼玉県民が厳しい戒律なのを守れるわけがないのだ。


 △ △ △


「へいおまち!」


 出されたナポリタンは、真っ赤だった。量が多い。


「しかし大宮名物伯爵亭のナポリタンならばこれぞという個性が……」


 フォークで巻き取らずズルズルとすすり込む。日本の生まれのナポリタンはこうして食うのが一番旨いものなのだ。


「個性……」


 ズルズルと、すすりながらマリーの言葉がゆっくりと少なくなっていく。


「……」


 やがて無言でマリーはナポリタンを食っていた。



 △ △ △


「ありがとうございましたー」


 店を出ながら、トボトボとマリーは空を見上げた。電柱の配線が雑だった。埼玉らしいと思った。


「……量が多いけど普通のナポリタンでしたわね」


「まあ美味しいことは美味しいんですが、普通というか…地方名物とはそういうものですわよね」


 トボトボと、街を歩く。


「しかしそれなりに大きい大宮でも閉まってる店がちらほらありますわね」


 マスクを売っている飲食店もあった。どこも必死なのだ。


「やはりコロナからの回復は遠いのでしょう。この雑で呑気な街のまま、というわけにはいかないのでしょうか……雑だ雑だと散々ディスってしまいましたが、大宮は良い街ですわ」


 大宮は雑だ。だが良い街だ。マリーはそう思う。


「だって、昼間から酒が呑める店がある街は良い街に決まっておりますもの。……あ、あっちに銀座ライオンある。よってこ」

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