第13話 貴族令嬢VS立ち飲み屋


「立ち飲み屋……? このような汚らしい店先で立って飲み食いするなど、はしたないものですわねぇ」




「生レモンサワー一つ。アジのなめろう。それときゅうりの一本漬けお願いしますわ」


 純白のドレスを纏い、ハイヒールが床を叩く。縄暖簾をくぐるなり、マリーは注文を言う。仕事終わりの酔客が群れなす店内をづかづかと進み、壁沿いのテーブルを確保し居を構えた。

 君臨する王のように、貴族令嬢は夕方過ぎの立ち飲み屋に立つ。


「はいお疲れ様ですはい生レモン!」


 若い店員が即座に杯と、レモンとしぼり器を出す。レスポンスの良さにマリーはすこし微笑んだ。


「レモンをしっかりとしぼってと」


 グリグリと、しぼり器に半割のレモンを押し付けて捻る。


「一滴残さずに……」


 グリグリと、レモンを絞る。


「憎しみをこめて……」


 グリグリと、レモンを絞る。


「くたばれ住民税……!」


 憎しみとは力である。


「ふう」


 レモン汁を杯に入れ、一息に飲む。染み込むクエン酸、アルコール。


「あー、八時間労働の体に染みますわねぇ……」


 貴族令嬢はお疲れだった。


「はいきゅうりとなめろう!」


 間髪入れずにつまみが出る。立ち飲み屋の命は客の回転率。酒も料理も早さこそが力。力こそがパゥワァー。


「ここのなめろうはネギとしそ多めの私好み、まさに皿まで舐めてしまいそうになりますわ。これをチビチビとやるのが癒やし……」


 アジの身に味噌や薬味を入れ叩いた漁師料理、なめろう。ここの店は魚と同じ位薬味が多めだ。薬味もメインで食わせる。


「そしてきゅうりの一本漬けでリフレッシュを挟む」


 ポリポリとこきみよい歯ごたえ。良いつかり具合だ。


「梅雨入りの鬱陶しさと納税の憎しみが晴れていく……」


 貴族令嬢の心は、納税の苦痛に深く傷ついていた。

 傷ついたこの高貴な心はなにをもって癒やすか? 無論である。

 酒だ。安酒だ。


「前と同じとはいきませんが、段々とコロナ前に戻ってきていますわね…潰れてしまった店もあるけれど、少しずつ少しずつ戻る……」


 失った日常は、また取り戻すしかない。戻らないものもあるが、進むことしか人にはできないのだ。


「家の近くのはなまるうどんが潰れてしまった…厳しいときにかけうどんで凌いでいたのに……ダメだわ貴族たるもの未来を考えないと…ホッピーの黒一つお願いしますわ。あとじゃこ天とあさりの酒蒸し」


 貴族令嬢は丸亀よりはなまる派だった。


「へいホッピーセット!」


「ホッピーは中と外がありお安く二杯呑めるのが素晴らしいところなのですが……」


 慎重に、中の焼酎に対してのホッピーを調節する。


「十万円給付はまだきていないので、恥を忍んで外を少なめにして三杯目まで持たせましょう」


 恥辱である。だが耐えることもまた高貴なるものの宿命。


「耐えることも貴族の美徳ですわ!……十万円まだかしら…YouTubeでも見ながらゆっくりとやりましょうか…」 


 広げるスマホ。ひとり呑みの寂しさはこれで紛らせるに限る。


「……YouTuberって私にもなれるかしら、なにか…呑んでるところ実況するだけとかで…」


 貴族令嬢飲み歩きYouTuber、上野などの飲み屋街をカメラ片手にうろつく自分を想像する。『今日は新宿ションベン横丁に参りましたわ』と実況する自分。煮込みを食いながらチューハイを呑んでいるところを見せる自分。


 そんなものを見て誰が喜ぶのか。


「バカみたいなこと考えてないでマトモに働いてかないと」


 地道に働く。結局はそれしかないのだ。


「はいじゃこ天にあさり酒蒸しね!」


 箸を伸ばす。じゃこ天を口に放り込み、ホッピーで飲み込む。


「こんな時もじゃこ天は美味しいですわ……」


 すられ練られたじゃこの旨味、炙られた香ばしさ。そこしょうが醤油の風味が加わり、当然の如く酒が進む。


「そしてあさりの酒蒸し……結局はこれに勝るあさりのつまみってありませんわよね」


 ちゅるちゅると貝殻から身をすする。貝の旨味がたまらない。このチビチビ感がまた酒の肴に最適なのだ。


「無論下にたまった旨味汁も完飲……」


 あさりの酒蒸しの本体とは、この下にたまった汁といっても過言ではない。


「追って酒!」


 そのまま、ホッピーを飲み干す。


「これがパーフェクトゲームですわ……」


 完全である。完全な試合展開だった。


「すいません締めに焼きうどん下さい。あとホッピーの中。」


 △ △ △


「あいよー焼きうどんっス」


 醤油味の焼きうどんが運ばれてくる。ノリとかつお節多めなところが素晴らしい。


「この焼きうどんをもってはなまるうどんの追悼としましょう…」


 惜しみながらも、その魂の安息を祈る。レクイエムフォーはなまるである


「……それにしても十万円こないですわねぇ…」


 △ △ △


「ありがとうございやしたー」


 店を出る。日の入りが遅くなった空はまだすこし明るい。


「ふぅ、調子に乗って前回うなぎを食べてしまいましたが、三週間はわりと長いですわね…もう少しやりくりしませんと……」


 節度、節制と忍耐こそが命を繋ぐのだ。


「……あ、閉まってた焼鳥屋やってる。よってこ」

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