第12話 貴族令嬢VSおでん


「大根、はんぺん。あと薩摩揚げと厚揚げも。辛子多めにつけてくださいませ」


 薄ら寒い空気から、暖簾をくぐり暖かな店内へ。注文を伝えながらカウンターの端の席を目指す。

 客はまばらだ。この時間ではしかたない。おでん種がポツポツと浮かぶ四角いおでん鍋がカウンター中央に陣取る。前はこの鍋いっぱいにおでんが煮られていたのだが、さすがにセーブしているようだ。


「それから日本酒、久保田を冷やで」


 そして酒。やや寒いが、まだ熱燗という季節ではない。

 さっと突き出されたお銚子をかたむけ、まずは一口すする。


「今日は5月なのに冷えますわね……」


 チビチビと、マリーは冷やを楽しむ。


「雨が続くと現場仕事が途絶えるから困りますわねぇ」


 5月に長雨が続いた。現場仕事の貴族としては、仕事が減って頭をかかえることとなる。頭をかかえれば、後はもう呑むしかない。それが貴族だ。


「やっと自粛も薄れてきたというのに」


「へいおまち」


 憂うマリーの前に、大将がおでんの鉢を置く。赤い杯のような皿に、黒い出汁に浸ったおでんが湯気を上げていた。


「まずはんぺん、辛子をつけて」


 ふわりとした感触のはんぺんを箸で割り、べったりと辛子をつけた。そのまま口の中へ。辛子の香気が鼻に突き刺さり、はんぺんのふわふわと、出汁の旨味が広がる。


「ふわふわの食感を楽しみながら久保田を煽り……」


 ぐびりと、また杯を空かす。


「昼酒最高ォ……」


 日は、まだ高いままだった。


 今日も仕事が早めに終わった。そのまま家に帰るのも早すぎると思いながら、知ってるおでん屋を通りかかると、自粛明けしたらしく暖簾がかかっていた。


 これは入らねばならないと、貴族の矜持が囁いた。


「厚揚げの出汁を吸い込んだじゅわっと感を楽しみながら酒を一口……ここは練り物は自作してる店ですので当然薩摩揚げも素晴らしいですわ」


 ひさしぶりのおでん、やはりコンビニの物とは違うものだ。


「おでんは冬に食するのもいいですが、不意に冷えた春に冷やでつまむのも乙なものですわね…」


 春のおでん。かつては上野恩賜公園の不忍池で、桜を見に行く度におでんを食べるのが楽しみだったものだが、今年は行けなかった。来年も行けるかはまだわからない。風流を楽しむということは、貧富の差なく楽しめる贅沢の一つなはずだが、コロナはそれさえむしり取っていく。

 満開の桜並木サンダーロードで呑む。日本の喜びの一つは、未だおあずけだ。


「そしておでん界の四番こと大根……ここは昨日から仕込み1日煮込んだものしか出さないこだわってる店ですので味は当然……期待を裏切らない男ですわこの店の大将は……!」


 口の中でほろほろと大根が崩れる。隠し包丁はしていない。あくまで煮込んだことによる柔らかさのみで勝負する男なのだ、大将は。


 ぐいと酒を傾ける。杯が空いた。


「店員さん、しめさば。あと玉子と糸こん、ごぼう巻きも」


 最後の一口を、おでんの汁と交互に呑む。


「汁もまた良いつまみになるのですわ……」


「へいしめさば、おでん!」


 置かれたしめさば。青々とした色を残す浅めの〆具合。


「しめさばと日本酒の相性、これも神から約束されたものですわ。王権が神から渡されたもののように……」


 わさび醤油で鯖を摘まむ。ほどよい酸味と、柔らかな食感。口に広がるは鯖の身の旨味。


「そして追いかけて久保田……どうやってもこれは酒が足りませんわ…! 久保田、熱燗一つ!」


 マリーの渇望に答え、運ばれてくる熱燗。


「そしておでん第二陣を熱燗で迎え打つ……」


 マリーの箸は、中央に鎮座する茶褐色の煮卵へ突き刺さる。強引に割った。硬くなった黄身がこぼれる。


「昔はおでんの玉子の存在価値がわかりませんでしたわ。黄身パッサパサだし味しみこまないし……でも食べ方を覚えてやっと正しい再評価ができましたの」


 黄身に、おでんの汁をたっぷりと染み込ませた。


「半分にわってからパッサパサの黄身に汁を十分にしみこませ……食べる!」


 半分を一口で頬張る。パサつきはなく、黄身によりアップグレードされたおでん出汁のうまさが吹き荒れる。


「こんな食べ方を隠していたなんて……そこのしれない男ですわおでんの玉子というものは」


 マリーの箸がまたも動く。おでんの本当の楽しみはまだまだ深い。


「糸こんの汁の絡み具合、ごぼう巻きの練り物とごぼうの味わいのコンビネーション、素晴らしいですわ」


 出汁を絡ませた糸こんをすすり込み、辛子多めのごぼう巻きを噛み砕く。そして熱燗の酒。おでん、酒、おでん、酒。存分にマリアージュを楽しむ。


 やがて、酒とおでんが消えた。消えてしまった。


「そして、そろそろ締め……ここはおでんの名店お多幸の流れを組む店、そうなると頼むものは当然決まっていますわね」


 すっと、上品に上げた手。マリーの声が狭い店内に響く。



「とうめし、お一つお願いしますわ」




「へい、とうめしお待ち」


 丼に飯が盛られていた。そこに茶褐色の四角い物体が乗る。

 煮込まれた豆腐であった。そこにお多幸系おでんの特色である黒いおでん出汁がかけられている。そして上には刻みネギの青み。

「とうめしは茶飯にお多幸の特徴である黒いおでん出汁で煮込んだ豆腐を乗せたシンプルなメニュー……」


 飯の上にドンと煮込み豆腐がそのまま乗っているのは、少々シュールな趣があった。


「ですがおでんの命たる出汁と豆腐が上質なものでないとできないまさにおでん屋の総決算とも言える一品……」


 マリーの右手が優雅に動く。一味を振って赤を彩り、箸で豆腐を突き崩して飯となじませる。


「突撃……!」


 米と豆腐が混じるそれに、丼に口をつけかっこむ。かっこむ。かっこむ。

 やがて、マリーは叫んだ。


「そりゃうまいに決まってますわこれは!」




 △ △ △


「毎度どうもー」


 店員の声に見送られ、マリーは外に出る。日本酒二本はほどよい心地をマリーに与えてくれた。


「現場仕事が途切れ気味なうさを思わずおでん屋で晴らしてしまいましたわ。少しは自制しないと……」


 雨。すべては雨が悪いのだ。憎むべきは人の罪ではなく、怒るべきは人の過ちではなく。それが貴族の生き方である。


「しかしこれではUber EATSでまた食いつなぐしかありませんわね……あ、向こうの立ち飲み屋自粛止めて開いてる! よってこ!」


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