第11話 貴族令嬢VS上野

「上野アメ横……? 庶民はこんなゴミゴミしたところでよくお食事ができますわねぇ」





「チューハイ一つ。シロ、かしら、ねぎ豚バラ。全部タレで」


 カウンターの椅子に座り込むなり、マリーはメニューも見ずにいいはなった。


「はい、チューハイお待ち!」


 即座に酒が来る。早い、いや、速い。


「このレスポンスの速さ…さすが上野ガード下の老舗、鍛えられておりますわ」


 グビグビと、チューハイを半分空けながら令嬢は老舗の底力を痛感した。


「年季が違いますわこの味は……」


 上野、そのまさに顔と言える飴屋横丁略してアメ横にあるモツ焼き屋、大統領。その本店が構えるガード下に令嬢は来ていた。

 雑踏の中で呑むというこの雰囲気、昼間から呑むというシチュエーション。そして酔っ払いの街、上野というこの場の力。


「へいまずシロ、カシラ!」


「二本180円からのモツ焼き……最高……」


 令嬢は、酒よりも早く上野の魅力に酔っていた。


プァー ガタンゴトン ガタンゴトン


 頭上を山手線が通る。恐らくは中は勤め人でギュウギュウ詰めだろう。


「この大統領本店…朝10時から呑ませるという上野パワーとガード下という立地の風情も合わせて……さすが名店の風格ですわ。チューハイお代わり」


 この雰囲気が、このシチュエーションが、そして上野という場所が、酒の味を二倍三倍にしてくれる。


「あ、あと煮込み一つ、それからサトイモ」


「はい! それとチューハイ!」


「しかし朝10時からでも人がいますわね…比べて外国人観光客はずいぶんと少なくなりましたが……」


 グビグビと二杯目。心なしか一杯目よりすこし濃いめ気がする。良い店だ。


「すぐ上を通勤するリーマンの方々がいると思いながら呑むチューハイの旨さ……!」


 はぐはぐと、ホルモンを頬張った。平日昼間からのホルモンと酒。全てが今、輝いている。


「ここの煮込みは牛でも豚でもなく馬もつの煮込み……他店とは一風変わった風味がしますわね」


 独特な味わい。好き嫌いは少々わかれるだろうが、令嬢はこういう味は平気だった。


「サトイモも他店ではなかなかないメニューですわ。ほっくりムニュっとした食感……しかし街の雰囲気も落ち着きましたわねぇ」


 コロナによる自粛と非常事態宣言。それも稼ぎ時である不忍池の桜シーズンに直撃したのである。相当なダメージだったろう。


「もしオリンピックが開催されていたら上野はもっと外国人で溢れていたでしょうに」


 アメ横に上野美術館、科学博物館に寄席場や飲み屋街など、日本文化の高尚な部分と庶民的な部分を一度に味わえる街なのだ。観光客が押し寄せて当たり前である。

 

 当たり前、なのだ。コロナさえ無ければ。


「……まあ、今の少し静かな雰囲気も悪くないですけれど」


 △ △ △


「まいどー」


 店員の見送りを背に受け、貴族令嬢が歩き出す。


「さて二店目も有名所で」  


 たった10メートルを歩いた辺りで貴族令嬢の脚が止まった。


 黄色い屋根と、立ち飲みスペースのある店構え。看板に大きく『肉の大山』と書かれている。


「ここも上野の老舗。店の前に持ち帰り兼立ち飲み用のスペースがありますの。上野の客層を実にわかっている店作りですわね」


 ガラスケースにずらりと並ぶ肉の大山特性のフライ達、その精鋭を見下ろしながら、貴族令嬢の細い指が踊り、今宵の相手を指し示す。


「ビール、カレーコロッケ、あと巧の和牛メンチ一つお願いしますわ」


「はい、只今!」


「ここはランチもオススメですわ。肉卸問屋なので肉料理が絶品。夜メニューはスペアリブが特に素晴らしいですわ」


 手渡されたビールを一口飲み、ソース無しのカレーコロッケをかじる。イモと油、そしてカレーの香りにビールが進む。


「はぁ……コロッケも実に素晴らしいですが、やはり目玉はこの巧の和牛メンチ……揚げたてをかじると」


 衣は固めだった。それにソースをかけて少し柔らかくした後に、無理やりガブリと歯を立てる。ジュワジュワと肉と脂の旨味と熱が貴族令嬢の口内に飛び出す。


「飛び出す肉汁……!」


 衣が固めなのはこの肉汁を逃がさないための殻なのである。考え抜かれた無駄の無い防御力。


「すかさずビール! 舌の上でルネッサンス!」


 なにか貴族令嬢の背後で光ったような、なにか爆発したような錯覚がある。ただの錯覚だが。


「上野にくると必ず食べてしまうこのメンチカツ…値段もコロッケ数十円に対し巧メンチは数百円とトップクラスながらこの美味しさに抗えない……!」


 まさに秘宝、上野アメ横の秘宝である。メンチカツをかみしめながら、天に感謝を捧げた。


「美味しさで就職活動が全く成功しない不安も吹き飛ぶ!」


 マリーは、最近危機感を覚えて正社員の就職活動を始めていた。


「吹き飛ぶ!」


 始めていたが、うまくいかない。


「吹き飛べぇ……空の果てまで……!」


 吹き飛んでくれ。今この時だけでも。


 △ △ △


「ありがとうございましたー」


「立ち飲みで長っ尻はしない。それが貴族のルールですわ。そろそろ最後の店は……」


 スタスタと、元来た道を戻るマリー。揺れるドレスを翻して、再びガード下へ。

 そして、大統領を通り過ぎる。

 大統領の隣に、その店はあった。


「上野の街中華としてここも有名ですわ」


 縦長二階建て、ガード下ど真ん中にある街中華、昇竜へ令嬢は挑む。


「赤星、それと餃子、あともやしそばお願いしますわ」


 カウンターに座るなり、即座に注文を決める。この店ではまず餃子が名物だ。いつも焼いているので頼めばすぐ来る。


「サッポロラガービール……通称赤星もなかなか飲めるお店が少ないものですわ」


「へいおまちー」


 店員が赤星ビールと餃子、そしてもやしそばを運んでくる。この餃子もアメ横名物の一つと数えられた大ぶりの逸品だ。


「ここの餃子はとにかく大ぶりですわ……しかし野菜中心の餡で驚くほどさっぱりと食べきれる……」


 大ぶりにほっくりとした野菜餡の優しい味わい。これは飽きがこない。


「そこにもやしそばで追いかけて……」


 コショウを降ったもやしそばを一気にすすりあげる。口内で爆発するもやしのシャキシャキ感。麺ののどごし。快感であった。


「赤星でフィニッシュッッ!!」


 グビリと、コップのビールを飲み干す。いつもとは違う、熱処理されたビールであるサッポロ赤星の厚みある味わいが、街中華をさらに彩った。飲み応えがある。


「昭和万歳……!」


△ △ △



「ありやとやっしたー」



「ふぅ……満腹ですわ……まだ昼の1時。天気もよろしいですわね」


 日笠を広げ、雑踏が減ったアメ横を歩く。それでもまだ活気は残っていた。

 やはり上野はいい。東京という日本最大の都市の中にありながら、どんな人間も受け止めてくれる優しさがある。三流でもいい、昼酒でもやりながらゆっくりと行こう。そう笑って見守ってくれるような街だ。


「平和ですわ……ウイルスなんてなかったみたいな…」


 それでもマスク姿は多い。だが、たしかに日常はあった。


「……面接すっぽかしたけどこれで良かったですわよね、なんか電話の時点でやたら高圧的でしたし……」


 マリーは面接をふけて、上野に来ていたのだった。


「あ、帰りに上野公園少し歩いてこうかしら…」


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