第6話 貴族令嬢VS定食屋兼居酒屋

「定食屋兼居酒屋……? なんだかどっちつかずの安っぽい店ですわねぇ」




「チューハイ、それとマグロの山かけ。あと納豆オムレツお願いしますわ。それと……マヨネーズ」


 戸を開けて店の中に入るなり、令嬢は注文を唱えた。なにを頼むかはすでに道すがら決めている。

 客はまばらだ。定年したご隠居や貴族令嬢と同じ仕事上がりだろう青年が何人かいるくらい。

 時刻は午後二時半。現場仕事が早く終わったので一杯やって帰ろうと思ったが、この時間では当然普通の飲み屋はやっていない。

 そこで近場にあった定食屋兼居酒屋という昼から夜まで通しでやっているこの店に踏み入ったわけである。


「はいチューハイ、それと山かけね」


「いつも早いレスポンスですわね」


 チューハイを飲む。グビグビと半分を飲み干し、ジョッキを置いた。喉を潤す酒の味は、日が高ければ高いほど尊く感じるものだ。


「ふぅー、ここはチューハイが濃いめなのが優しさを感じてほっとしますわね。そして、こういう場末と思いたかをくくると……」


 醤油をかけたマグロの山かけをつまむ。山芋の白から覗くは値段のわりには赤々とした色。


「マグロの意外な質の良さに驚かされるものですわ……むっちりとした濃い味の赤み、なかなかやりますわね」


 噛んだときに筋が少なく柔らかい歯ごたえ。きちんとさばいている。


「はい納豆オムレツお待ち! それとマヨネーズね!」


「ありがとう、それとチューハイお代わり」


 運ばれてきた皿には納豆が表面に浮かぶやや焦げ目のついた黄色い物体がある。そして横には多めのキャベツの千切り。


「さあこれに」


 卓上の醤油を回しかけ、マヨネーズ、そして七味を軽くふる。


「これがわたくしのマイベストカスタム……!」


 箸先でオムレツを割ると、ほっくりと湯気を上げて断面が覗く。玉子の黄、納豆の茶色、そして大量の刻みネギの緑。


「納豆オムレツのネギが多めなのがこの店の良いところの一つですわ……!」


 一口頬張れば慣れ親しんだ納豆の香りとネギの清涼感が口いっぱいに広がり、それをマヨネーズがマイルドな後口に変えていく。


「このジャンキー感でチビチビとやるのがたまらないのですわ!」

 

 納豆オムレツの後味をチューハイでさっぱりと洗い流し、また納豆オムレツに挑む。口直しに脇の千切りキャベツを摘まむ。シャキシャキとした食感と水気が舌をリフレッシュさせる。


「付け合わせの千切りキャベツが多めなのもグッド……! 優しさ溢れすぎですわこの食堂……!」


 日の高さが酒の旨さを倍増させる。罪悪感こそが最大の酒肴である。


「さて……あっちのおじさまは競馬新聞、向こうのお兄さんはスマホでテレビですか……私もYouTubeで一人酒といきましょうか」


 スマホカバーを変形させてテーブルへ。なにか良い動画はないかと漁る。


「それにしてもなかなかコロナの影響は抜けませんわね……Uber EATSのバイトもそういつまでも多いわけではないしなにか他の仕事も考えないと……YouTuberってわたくしでもできるのかしら……? ん……?」


 見慣れた顔を見つけ、指が止まる。一瞬の沈黙、だがマリーは覚悟を込めて再生を押した。


『どうもーボ○ーオロ○ンの甥です。このたびは叔父がご迷惑をおかけしました』


 後輩令嬢、ベスの姿であった。正座をしている。申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にしていた。


「なにやってるのアイツは……!!」


 思わず箸を落としそうになる。そんなことは貴族としてやってはならないことだというのに。


「炎上系YouTuberになってる……!」


 時事ニュースに乗って明らかに事実と違うふざけた内容を番組にしている。ある種、YouTuberとして最終手段である。

 なんでもいい、とにかくなりふりかまわず再生数を増やそうとしているのだ。


「再生回数が最初は良かったのにだんだん墜ちてる……だからあの娘、こんなことを……」


 やはりどんな業界も甘くない。後輩は厳しいYouTuber業を生き抜こうと必死なのだ。


「……カツ皿! それとチューハイおかわり!」


「へいいますぐ!」


 取り乱しそうになる自らを抑え、追加注文。気を落ち着かせるためには新たな酒と肴が必要だ。


「へいお待ち!」


 差し出されたカツ皿。香ばしいカツが煮汁を吸い、卵の黄身が固まるか固まらないかの微妙なバランスで火が通っている。


「ここのカツ皿は肉薄目の衣多め……だがそれが良い、それが正解なのですわ。トンカツだからなんでも肉が厚ければいいという話ではありません、適材は適所に配備するということですのよ」


 カツを口に運ぶ。衣にたっぷりと染み込んだ出汁が肉の旨味と渾然一体に。薄いわりにはやや固めの肉を噛み締めて、チューハイでそれを追っかける。


「くぅ……やはりカツ皿は定食屋呑みの花ですわね。厚い衣が汁を吸って一体感を増している。近頃はカツカレーもやたら厚い肉のカツを使いたがるものですが、この厚めの衣にソースやルーが染み込んでいる旨さを捨てるようでは本末転倒……チューハイおかわり!」


 カツ皿、納豆オムレツ、山かけ。そしてチューハイ。マリーの箸が縦横無尽に動く。

 自由である。自らで決めて自らで楽しむ。圧倒的で、それでいて豊かな自由がマリーの前にあった。


「ぷはぁ! はぁ、さて、そろそろ締めを考えませんと」


 三杯目のチューハイを空にし、肴も無くなってきた。

 さて今日の自由を、いかにして締めくくるか。


「そうめん一つ下さるかしら?」


「あいよ」


 レスポンスよく運ばれてきたガラスの器、涼風溢れるそこには純白の快楽が横たわっていた。


「人は皆麺類の虜……呑んだあとの麺類の誘惑に耐えきれる日本人などそうはおりませぬわ……」


 めんつゆに生姜を溶いて青ネギを入れる。麺類に放置など厳禁、一気にすすり込む構えだ。


「さあ、いきますわよ……」


 ズ ズ ズ ズ ズ ッ ッ ! !


 勢い良くすすり込む音が、狭い店内に響いた。



 △ △ △


「ありがとうございましたぁー」


 店員のおばちゃんに見送られ、まだ日が高めの外に出る。ほろ酔いの肌を陽気が撫でた。


「ふぅ、思わず堪能してしまいましたわ。しかしYouTuberで食っていけるかとか夢みたいなことを考えてないで、地に足着けて地道に働くのがやはり一番ですわね。明日も仕事ですわ」


 アスファルトを踏みしめる貴族令嬢の足音は、高貴で、そして力強かった。

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