第5話 貴族令嬢VS串カツ
「串カツ……? なにこの油まみれの店は……?」
「へいらっしゃい!」
店員のかけ声がビニールシートがつるされた店内に響く。ドレス姿の人影が、丸椅子に腰掛けた。
流れるような金髪。涼しげな青い眼の美女がすると店内を見渡し、即座に声を上げた。
「千円ぽっきりセット。飲み物はビールでお願いしますわ」
「へいぽっきりセットビール! はいこちらお疲れ様です!」
手渡された蒸しタオル。優雅な動作で令嬢マリーはそれを広げ、迷うことなく顔を拭いた。
「ふぅうう……」
ゴシゴシと顔、そして首筋をこする。自動的に声が出る。ねじり出すようなうなり声だ。
蒸しタオルの熱気に、汗が吸い取られていく。肌にはすがすがしい空気の感触。
「最近暑くなってきたから蒸しタオルが嬉しくなってきましたわね。仕事も増えてきて忙しくなってきましたわ」
ガッツリと貴族的に八時間労働をしたマリーには、蒸しタオルの心地よさに逆らえない。逆らえないものには逆らわないのが人生を楽しむコツだとマリーは知っていた。
「それにしても緊急事態宣言解除から頑張って営業してますわね……店の中に張られたこのビニールシートや、アルコール消毒が少々鬱陶しいですがそれも仕方ないことですわ。少しずつ、少しずつ日常が戻っていく……」
「はい生ビール中ジョッキ! それと千円セットの串揚げです!」
「あらありがとうございますわ」
タイミングよく運ばれてきたビールと串揚げ六本。黄金の液体と黄金の物体がマリーを迎え撃つ。
問答無用でマリーはビールをあおった。もはや言葉は不要である。それがそこにあれば、それが作法ならばマリーはそうするしかないのだ。作法を無視する貴族などいないからだ。
グビグビと、ジョッキが八割空になる。ダンっと杯を置いて息を吐く。
「あ゛あ゛っ!! 染みますわね!!」
間髪入れず一本目を目の前のソース箱にどぶ漬けする。油に濡れた『二度付け禁止』と書かれたテープがソース箱を彩る。
黒に染まった串カツを、一口でかじった。
「これはチキン……それも胸肉ですわ。普通ならば堅くなりやすい部位も、揚げ方の巧みさで柔らかく食べさせる。やりますわね」
旨味を楽しみ、追ってビール。洗い流される舌。
「すいません、ハイボール一つお願いしますわ」
貴族は戦況を読むものだ。ビールが旨いのは最初の一杯のみ、二杯目はハイボールがベストアンサーである。
更に二本目に手が伸びる。形からわかる、これは玉ねぎ。令嬢は塩を振って迎え撃った。
「玉ねぎの甘味は塩で引き出す……!」
衣の歯ごたえと、加熱に加え塩で甘味が引き出された柔らかな玉ねぎの食感。店員がベストタイミングで差し出したハイボールをグビリと飲む。
「優勝…! 優勝ですわ!」
次はエリンギの串カツ、その次はピーマンに豚肉。ソースにベタ漬けしたそれらをガブリガブリと食べ、グビリグビリとハイボールで迎え撃つ。
「そして串カツの合間合間にキャベツをな……キャベツを食べると胸焼けを防げるのだと池崎じゃないほうのサンシャインも仰っていましたわ。なんと含蓄あるお言葉ですの」
パリパリとテーブル脇のキャベツをはみながら、マリーは最後の一本に手を添える。
尾がある。まごうことなき海老だった。
「エビとはまさに油で揚げられるためにこの世に生まれてくる生き物ですわ……これは約束された結果ですのよ……!」
やはりソースにどぶ漬けしたエビを豪快にかじる。エビの甘味とソースの調和を存分に楽しみ、ハイボールで流す。
「舌の上がベルサイユ宮殿……!」
旨い。旨すぎる。もはや風が語りかけるといったレベルではない快楽。
「店員さん、紅しょうがとちくわチーズ、あとイカもお願いしますわ。あとハムカツとポテサラも。それからハイボールお代わり」
空になった皿の寂しさに耐えられるほど今夜のマリーは強くない。即座に追加注文を行う。
「へいお待ち!」
「紅しょうがを揚げているのを見たときは最初関西人の正気を疑いましたが、今ではすっかりとりこですわ……」
熱で酸味が飛んだ紅しょうがは、驚くほど癖がなくいくらでも食べられる。
「ちくわチーズのこの溶けたチーズが飛び出す快感……イカは塩でいただくわ……瑞々しいこの食感……! 酒が進んで当たり前……! そしてここはポテサラも自家製ですのよ」
ソース箱からソースをキャベツですくい、ポテサラにかける。マリーはポテサラにはソース派だった。
「シンプルに芋、卵、ハムだけのねっとり型なのが私の好みにベストマッチですわ。無駄にころうとしてリンゴとかみかん入れるやつは死ぬべき……!」
ハイボールが進む。自制が緩みそうになるのにマリーは気づいた。
「いけませんわ……貴族たるもの快楽を楽しんでも快楽に飲まれてはなりませんわ。明日も仕事なのに。それにこの店は私の憧れの君が来た場所、その写真が飾られている前で粗相など恥を知るべきですわ」
マリーの視線が店の壁に向く。少し油が染みた写真、その中央の満面の笑みを浮かべる人物へ、マリーは焦がれた吐息を吐く。
例え写真と言えど、この方の前ではマリーもただの少女に戻るしかない。
「ルイ様……」
ハイボールをグビリと飲む。されど、憧れは消せない。余計燃え上がるだけだ。
「居酒屋界の貴公子、吉田類様……」
うっとりと見上げる。この紳士の前では貴族令嬢も形無しだ。
「ああ……一度はお会いしてみたい……さて、そろそろ締めを頼みませんと。ルイ様がみておられますわ、不作法など出来ませぬ」
ゆっくりとメニューを見回し、貴族の作法に恥じぬ選択をする。
「すいません、わさび茶漬けをおひとつお願いしますわ」
「あいよ!」
運ばれてきた小椀に、マリーは割り箸を割って出迎えた。
「しっかりとわさびを崩し……すすり込む!!」
ズゾゾゾゾゾ、とわさび茶漬けをすする。茶漬けは派手に音を立てれば立てるほど旨い。そういう食べ物なのだ。
「呑んだあとの茶漬け、旨いに決まってますわこれは!」
ズゾゾゾゾゾ、とすする。豪快にすする。
「……ぶっはぁあ!!!」
突如、マリーは吹き出した。
「ゲッホッ! わさび……! わさびの塊が…… ゲッホッゲッホッ! 鼻が、米が鼻に入って……!!」
△ △ △
「ありやとやっしたー」
店員に見送られ、マリーが店を後にする。彼女の鼻先は心なしか赤くなっていた。
「あー、鼻が痛い。不作法どころか醜態ぶっこいてしまいましたわ……こんなことでは本物のルイ様にお会いできるなど夢のまた夢……」
トボトボと、夕暮れの街を歩く。会社帰りのサラリーマン。パート終わりの主婦。学生はさすがにまだいない。それでも人通りは幾分か戻ってきていた。
もうすぐ、いつもの日常が戻ってくる。その予感があった。
「でももう少し時間がかかりそうですわね。現場仕事も戻ってきたとはいえまだ少ないですし……そのかわり始めたUber EATSのバイトは好調ですからそっちもがんばりませんと」
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