第11話 真実

それから数日間、充は高熱を出し、寝込んでいた。その際、決まって同じ夢を見ていた気がした。

 誰もいない図書室。少女と二人きりで、会話をしている。時折、ささやかな笑いが起こる。また明日と、少女が先に図書室を出る。ただそれだけの夢。なんの変哲もないただの夢。しかしそれだけで、充の心は暖かなもので満たされた。

 その夢も長くは続かなかった。いや、正確には続いていたのだが、少しずつ変わっていった。明確だったはずの少女の顔が、削り落とされていくように、少しずつ不明瞭なものになっていく。そして最後は、彼女の顔は完全に消され、思い出すことができなくなってしまった。

 充の高熱は嘘のように元に戻った。しかし、大切なことを忘れてしまった気がした。夢に出てきた少女の顔が思い出せない。

 充は上の空で、頭が重く感じた。

 彼女は一体どんな顔をしていただろうか。

 夢で見た少女は誰だろうか。

 都築優里。

 名前だけはしっかりと覚えていた。その名前を思い出すだけで、涙が溢れそうになる。

 彼女を救わなければならない。

 なぜそう思うのか分からない。彼女と会って、大切な記憶を思い出さなければならない。彼女のためにも、そして自分のためにも。充は強くそう思った。

 彼女を結びつけるものは、名前しかない。だが、名前さえあれば何とでもなるはずだ。

 充はまず、該当の生徒がいないか学校中を探し回った。なぜ学校なのか自分でもはっきりとは分からなかった。夢で見た図書室が印象的で、だから学校に優里という少女がいるのではないかと感じたからだろう。

 授業終了後に、都築優里という生徒はいないかと先生に聞いてまわった。自分から他人へ声をかけることを、非常に苦手に感じていたが、そうも言っていられなかった。何に変えても優里を探し求める。今の充には、それが一番の生きる意味であった。

 結局、都築優里という生徒を見つけることはできなかった。

 夢で見ただけで、都築優里という少女は存在しないのかもしれない。

 充は強烈な不安に襲われる。

 一体、何を探しているのだろうか。夢で見た少女を探し求めるだなんて、なんて馬鹿げているのだろか。頭がおかしくなってしまったのか。自分で自分のことが分からなくなりそうであった。

 どうしたら良いかも分からず、途方に暮れていたところで、タイミングを見計ったかのように、都築優里という名を知っている人物と出会うことができた。

 それは学校の警備員であった。

 充の口から都築優里という少女を探しているのを聞き知ったようである。

「君、ちょっと待ってくれ」

 充は突然背後からした声に、自分を呼び止めた声だとは気づかなかった。しかしその声の大きさに、条件反射のようにして立ち止まった。

「君、小林君って言うんだっけ」

「そうですけど」

 充は緊張を抑えるようにして、警備員の声に耳を傾けた。

 警備員は、私はこの学校の警備をやっている筒野という者だと簡単に自己紹介をして、続けて言う。

「この学校の生徒だった、都築優里という少女を探してるのは、君かい?」

 筒野は、至って神妙な面持ちで尋ねる。

 充は、この学校の生徒だった、という筒野の言葉に引っ掛かりを覚えた。なぜ過去形なのであろうか。どういうことなのか、理解できず、戸惑いを隠せない。

 筒野が充の様子を不審そうに見つめていることに、充は気づき、慌ててそうですと回答をした。

「あれは確か十年くらい前だったかな」

 充はくらりと脳内が揺れるのを感じた。十年前とは、一体何のことだ。なぜそんなに昔の話が出てくるのだろうか。

 頭が痛む。

 声が聞こえる。心を暖かく包み込むような優しい声。もし、天使がいるとしたらこんな声なのだろう。

 その声に癒されるように、頭の痛みも徐々に和らいでいく。あるいは元々、痛みなどなかったのかもしれない。

 都築優里という少女の声。顔を思い出すことはできない。それでも、この声の主は優里であると確信ができた。

 もっとこの蕩かすような声の中にいたい。しかし残酷にも、充の意識は現実に引き戻される。

「おい。大丈夫か」

 野太い声。先程の声とは全く違う。

 筒野が心配そうに充の様子を見る。

「大丈夫です。何でもありません」

 充は筒野を前に、ぼうっとしていたことに気づき、慌てて答えた。

「そうか。なら、いいんだが」

「それで、十年前、都築優里さんに何があったんですか」

 充は話の趣旨を思い出して、そう切り出した。額に変な汗が滲んでいるのが感じられる。これ以上は、聞いてはいけない気がした。しかし、その一方で、この機会を逃したら、本当に知りたいことを一生知ることができないと強く感じた。

 どうしようか。やはり話を聞かずに、この場を離れるべきだろうか、と逡巡していると、筒野が口を開いた。

「あれは、悲しい事故だった」

 筒野は、神妙な面持ちで、声を潜めながら一連の出来事を語った。

 充は途中何度か、耳を塞ぎたくなったが、それを堪え、最後まで話を聞いた。理解するのではなく、ただの言葉の繋がりとして、話を聞こうとしたが、それはできなかった。筒野の言葉を耳に入れるだけで、状況が想像でき、何が起きたのか、全てを理解してしまった。

 筒野が説明した細部までは、思い出すことができない。ただ都築優里という少女は、十年ほど前のこの学校の生徒で、交通事故で亡くなったという事実だけが、頭を抉るように残り続けた。

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