第5話 図書室だけで
二人の間には微妙な空気が少しだけ漂う。それも束の間、優里が柔らかく会話を始める。
先程までのざらついた空気感が、嘘のように透き通ったものへと変わっていく。まるで魔法にかけられたかのようだ。二人はお互いの好きな作家であったり、小説であったりを語った。
充にはこの瞬間が、止まった時の中で、世界には二人だけしかいないように感じられた。しかし、夢のような世界は、現実という残酷な世界があってのことだ。
動き出した時は、あっという間で、別れの時間がすぐそこに迫っていた。
充は、この高揚で溶けていきそうな時間を続けたかった。だからついさっき覚悟に決めたことを実行しようと思った。しかし、その勇気を振り絞ることができない。
どうしようかと考えあぐねていると、それを察してか、優里は言った。しかし優里の 言葉は、充の期待とは正反対のものであった。
「あと、お願いがあるんだけど。私たちが会うの、この図書室だけにしてほしいんだ」
「わ、わかりました」
言った後で、充はショックを受けた。
なぜ会えるのは、ここだけなのだろうか。一緒に帰りたくないのだろうか。外で一緒にいるところを、誰かに見られたくないのだろうか。
ネガティブな感情が脳内で渦を巻く。
「ごめんね。図書室以外での姿を見られたくないっていうか……」
優里の言葉は末尾に近づくにつれ、歯切れが悪くなっていく。それは、充にも十分に伝わる。
「充君と一緒にいるのが嫌だとか、誰かに見られたくないとか、そういうのじゃないんだ。これだけは信じてほしいんだけど」
充は優里に心の底から見透かされている気がした。しかし、優里の発言に、嘘偽りはない。それは、優里の確かな表情、声音から明らかであった。
「今は、これ以上聞かないでほしいな。必ず説明するから」
最後は消え入りそうなほど弱々しかった。
ここまで弱々しい姿の優里を、充は初めて見た気がした。今までも、無理をしているのではないかと感じることは何度かあった。しかし今回は、確かに弱さを表に出していた。
きっと何か理由があるはずだ。しかし、無理に聞き出すようなものではないだろう。
「そうですね。こうして本の話をしてるくらいが調度いいかもしれませんね」
「ごめんね。何も聞かないでくれて、本当にありがとう」
「いえ、こうして本の話をできるだけで、十分楽しいです」
図書室という箱庭を飛び出して、話をしてみたかった。しかし、それは叶わぬ夢なのだろう。
それでも、こうして話しているだけで幸せだというのは本心であった。
友達と呼べるような人もいなく、読書以外に楽しみもない。優里との些細な会話は、そうした荒み、渇いた心に降り注ぐ恵の雨のようであった。
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