第4話 友達なら名前で

 それから一週間程が経過した頃、図書室に少女が姿を見せた。それは、いつも通り突然のことであった。他に人は誰もいない。

 充が本の整理に集中していると、いつの間にか横に少女が立っていた。

あまりに突然のことに、充は声を出して驚いた。

「ごめん。ごめん。本の整理に夢中だったから、声かけようか迷ってね。こんなに驚くとは思わなかった」

 少女の天まで突き抜けるような明るい声が充の心に満ちる。

 その声を聞くと、少女とまた会うことができたという喜びが実感を伴って湧いてくる。

 しかしそれと同時に、なぜいつも彼女は突然現れるのだろうか、という疑問が湧き起こる。図書室に入ってくるところを、一度も見たことがない。それに、図書室を出てすぐに彼女の姿が霧のように消え去ってしまうことも不思議だ。ほんの数秒のことだというのに。

 もしかしたら、何か理由があって、少女は図書室だけにしか現れることができないのではないか。

 適切な表現はできないが、少女という存在に、消え入りそうな幻想性があるように感じられた。

 手を伸ばせば届きそうで、しかし、届いたと思ったら消えてしまっている。そんな夢現ともつかない御伽噺の登場人物。彼女の笑顔、声、所作や息遣い、その全てが夢ではないかと錯覚してしまう。そうした儚さが彼女にあるように感じられる。

 そこまで考えて、あまりの馬鹿馬鹿しさに我ながら嫌気が差す。確かにここに少女は存在している。どこにも彼女の存在を疑うものなどない。

「充君って、いつも考えごとしてるね」

「あっ。済みません」

 充は我に返る。

「別に謝ることじゃないよ。ただ、いつも何考えてるのかなって」

 少女は充のことを見透かしているように、微笑みを浮かべる。

 その表情に、少女の存在が確かにここにあることを感じる。

「あの。なんて呼べばいいでしょうか」

 唐突だっだだろうか。そう思うも、口から出た言葉を消すことはできない。

優里ゆりでいいよ」

 少女は微笑んだままで答える。

「優里さん」

 充は聞こえるかどうかという小さい声で、つぶやく。人の名前を口にするだけで恥ずかしさが込み上げる。それが異性の名前であれば、なおのこと。

「やっぱり名前だと恥ずかしいです。まずは苗字からでいいですか」

「だめ」

 優里はキッパリと言う。

「だって、私たち友達でしょ。友達なら名前で呼び合わないと」

 友達同士でも苗字で呼び合うことはあるのではないかと思ったが、それを口に出すのは良くない気がして、充はわかりましたと、答えた。

「なんか、硬いんだよなぁ」

 充の応答を受けて、優里は言う。

「そうでしょうか。済みません」

「ほら。そういうところなんだよね」

 優里はそう言いながら、小さく笑い声を上げる。それにつられて、充も笑い出す。二人の声は、徐々に大きくなって反響する。

「充君、今日初めて笑ったね」

 そういえばそうだ。充は優里の言葉で、今日どころか、ここ何日も笑っていないことに気づいた。

 笑ったら気持ちが少しだけ軽くなった。

「あの」

「どうしたの」

「あの…。優里さんって三年生ですよね」

 言いたかったことと、全く異なる言葉が口から出る。

 本当は、一緒に帰ろうと誘いたかった。次こそは、たとえ断られても誘おうと決意をして、優里の方へと目を向ける。

 優里は考えごとをしているようで、虚空を見つめ心ここに在らずといった様子であった。

「うん。そうだよ」

 充と目が合い、我に返った優里は答える。その返答はどこか歯切れが悪い。

「どうかしたんですか」

「あっ。ごめん。なんでもないよ」

 優里の表情は一転、明るくなる。その表情は、無理に作っているようであった。そしてその声音には、有無を言わせず、これ以上そのことについて触れてはいけないと、伝える力が込められていた。

 充はそれ以上、問うことはしなかった。

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