第4話:禁忌
全裸学習生活も中盤に差し掛かりました。
さて、私の学習における緊張感を演出していたのは、窓の外にいる男達でも図書館のおかしな同居人たちだけではないのですよ。
この学習が意味のあるものだと証明するために、両親が自作してプレゼントしてくれたのです。家庭内模試——これが我が家くらいでしか使われてないと知ったのは、かなりかなり後の話——定期考査や問題集を元に作られた精巧なもので、どこから仕入れたのか分からない入試問題まで入っているんですよ。
というわけで、本日私がやるのは、この家庭内模試とその復習です。一日かけてやります。本気で行きます。会場は、試験会場っぽいからという理由で視聴覚ホール。目標点数は720点! 統一試験と同じ範囲・配点ですから、一教科につき八割以上は取らなくちゃいけない計算になりますね。
で、目標に達しなければ……どうしましょうか。
ここで、私の目に映ったのは――シミになりにくい床板。モップとバケツが隙間から覗く掃除用具入れ。室内のウォーターサーバー。
導き出された発想——私は私自身に引きました。ですが、これは自分に緊張感を課すには絶好のペナルティ。なあに、全部八割取れたらしなければいいんですよ。
――『小さいのはトイレ禁止』なんてことくらい。
★★★
現代文:68、古文・漢文:88、数学(1A2B):159、英語:148、生物:86、日本史:82、世界史:88
719/900
うそでしょ……? 1点差……?
暗記科目は範囲内をしっかり見直したから八割を超えることは出来ました。取れてなかった部分をしっかり復習して定着させるとします。現代文は波があるので、解き方や考え方をもういちど見直す必要があります。なので、古文・漢文の点についても「あんまり勉強しなくてもいいや」と軽んじることないように気を付けなければいけません。
問題は数学と英語ですよ。得意教科と豪語してたのに英語が一番出来てないじゃないですか。
回答を見た結果、原因が嫌というほど分かりました。
数学は『sin^2θ+cos^2θ=1』が試験が終わる5分くらいになるまで出てこなかったのが大きかったようです。式の見方が変わるまでこうも頭から出てこなくなるとは。本番の空気も相まって怖すぎます。
英語は『President』に『社長』の意味があったことに気付けなかったことが敗因でした。外交とか国の話があるから、てっきり『大統領』の話かと思ってたのです。どおりで『profit(収益)』『gain(利益)』という単語が目に付いたわけです。そのおかげで、一問の配点が大きい長文読解を複数落としてしまったのが大きかったようです。
さて、1点差とはいえ合格点に達していないのは事実です。1点差だからやらなくて良いなんてことはありません。有名な私立大とか同じ点数の中に数多の受験生がいるとかザラなのです。1点の差はとても大きいのです。
だから、一度決めたことは果たさなければなりません。なに、大きいのはやらなくていいし、小さいのも臭いが出る前にふき取ればいいのです。ちょうど、汗のにおい対策に山ほど持ってきてた専用のふきんが役に立つのです。
しかし、いざ罰ゲーム開始とはいっても、やはり全然出てきませんね。
やはり、17年とはいえ、真面目に生きてきた身。してはならぬという一般常識、環境の違い、汚しちゃいけない良心、緊張感などが合わさって、いつも以上に筋肉が硬直して引いてしまっているようです。
一通り復習が終わり、身に付いているかどうかアウトプットもしなければいけません。視聴覚ホールのスクリーンを上げれば、二段になっている広い黒板が使えます。そこに書き込みながら、疑似講義を行います。全教科やりますよ。そうしないと、頭に入りませんから。
壇に乗った途端、思わずゾクッとしてきました。誰もいないとて、やはりテーブルは疑似的に衆目を浴びているような錯覚に見舞われます。しかも今回は、いや既に下腹部に重たいものを抱えているんですよ。
現代文、古文、漢文……妙に浮足立ってる私がいました。出して良いんですよ。背中から脂汗出す必要なんてないんですよ。誰も見ていないんですよ。身体にビルトインされた常識力って素晴らしいですね。出そうなのに出ないんですよ。それが、もっと私を焦らせるんですよ。
数学……理解できていなかった三角関数やベクトルを主に念入りに講義しました。書いても分からなかった箇所は、休み明けに教師に訊くつもりです。おかしいなあ。足踏みなんてしてたら理解の邪魔になるから我慢しているのに、腿が勝手に震えているんですよ。止める手段は分かっているのに、無意識な理性が最後の関門のように立ちはだかっているんですよ。
英語……大きく点を落とした長文読解もさることながら、英作文等も細かい間違いがあるんですよ。そこの構文や文法もきっちり教えられるようにしなきゃ、あ!
「あ、あああ、あ……」
いきなりでした。思わず声が出てしまいました。
チョークを持つ手が止まりました。吐息の主に見られてもなお止まらなかった手が、この時ばかりは動くのをやめてしまいました。
止まりません。今までたまっていた分だけ勢いよく出ています。
全身がとろけそうな感覚がします。出ているのは膀胱にたまっていたものだけじゃないようです。常識、良心、気位、人として当たり前のものまで一緒に流れ出ています。あまりの量に全身が震えて、恍惚とした目で天井を仰ぎ見るしか出来ません。
「は、はあ、はあ……」
場所が違うだけなのに、やっただけでこうも息が荒くなってしまうとは。
呆然としていました。どれくらい時間が経ってしまったのでしょうか。足元を見る気が起きません。少なくとも、膝から下までびしょ濡れだってのは分かります。
板書は中断です。その前に、あそこに拭くものがあったはずで――
ッパアン!
「!!?」
また、あの音がしました。材木が弾けるように何かにぶつかる音。この世のものではない何かが自分の存在を伝えるために出すと言われる音。この部屋のなかでしたのです。
驚きのあまり、また少し出ました。
そして、私の最悪なまでにはしたない姿を見られていたことに気付いた瞬間、続きがまた流れ出てしまいました。
処理が終わったのは、それからすぐの後。何事も無かったかのように、私は続きをしていました。モップの先端は洗うことが出来、なおかつ変えがあるのも把握済みです。今は隅っこに纏めておいて、終わったら作業をします。吸い込んでいるのは自分のですから、流石に素手で触るのに抵抗は無い筈です。
全教科の復習と疑似講義が終わって視聴覚ホールを出た時、外は真っ暗になっていました。ほんとに、一日かけて家庭内模試を行っていましたね。
スクリーンの開いたままの窓に、モップの先端だったものをかき集めたものを抱える全裸の私と二階の一般開架室が映ります。
ふと、一般開架室の本棚の隙間から、あの黒い影が覗いているのが見えました。
あの影は二階の住人のようですが、このフロアにしかおらず別の部屋には入らないようです。残念でしたね。ついさっき、私はとてもはしたないことをしていたのに、その瞬間が見れなかったのですから。
さて、重要なのはそんなことじゃなくて、模試の内容と復習は定着したかどうかです。また、明日の朝一に確認する必要がありますね。
★★★
一度得た快楽は何度でも得たいと思うのが人の性。まして、一人っきりで勉強漬けという環境ならば猶更です。
英語の音読。また、二階の視聴覚ホールに来てしまいましたよ。あの謎の音がする場所ですね。
同じように、音読。意味を理解し、単語ひとつひとつを理解しながらの音読。今回のは特別長いのを選びました。これだけ長いのを読めば、来た。
——自分で驚いてます。慣れてくると平気で喋れてるんですね。ですが、それが余計に私の背徳感を煽ります。椅子の視線を浴びているからなおのことそそります。私、衆目でまたやってます。やっている事実が私をより興奮させます。
慣れとは恐ろしいもので、気付いたら歩きながら平然とやっている私がいました。その時に二階にいる例の影に見られた時は流石に心臓が跳ね上がったものです。
でも大丈夫ですよ。本棚は前述したとおり厳重に塞がれていて無事ですから。拭く手段だってちゃんとあるんですからね。
続いて、夜に出逢った男子トイレの住人。もうここまでくると、何も怖くないですね。というか、身動き取れなくなっているのが癪に障ってきたので、動けなくなってる時にいっそのこと両腕を上げて全部曝け出してみたんですよ。そうしたら、足音ひとつしなくなってしまいました。驚いて逃げてしまったんですかね。
極めつけは、地下にいる吐息の主です。もうすっかり、寝る前にあの方に全身を見られるのが日課になってしまいました。暖かい感触が胸や股間のあたりでした時、私はとうとう禁忌を受け入れてしまったのだな。と思いました。ですが、悪い気がいたしません。本当に怖いのは自分自身なのかもしれませんね。
★★★
学習に於いて重要なのは、後でしっかり思い出すことだそうです。休みも折り返しを過ぎましたが、初めの方を見ると忘れずに定着していることが分かりました。
裸で勉強しているだけで、舞台と日常にちょっとアクセントを加えるだけで、色々頭に入るもんなんですね。
残りの日々もしっかりと定着させていきたいと思います。
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