第3話

「迷路みたいっすね」

 言いながら宮森は、肩を上下に揺さぶって苦しそうに呼吸する。水中を歩くような、鈍重な動作だった。

 四丁目の家々はどれも高い塀や垣が路地まで張り出している。道幅の細さも相まって、角を曲がった先は全く見えない。迷路というのは極めて的確な比喩だった。

「オレ、一人だったら絶対パニックになってました。方向音痴だし」

「古い住宅が多いからね、四丁目は。大昔から細々と続いてきた村落が、平成の大合併で無理やり町に組み込まれたんだ。土地の開発に住民の反発が大きくて、行政は手を出し辛い。だからインフラの整備が進んでないし、家並みが整ってない」

 ほら、と英司は右前方の家を照らす。目を細めた宮森が、割れた窓ガラスに眉を顰める。

「空き家、ですか」

「うん。そもそも四丁目は住人が極端に少ない。固陋ころうな老人たちが居座って、他を寄せ付けないんだ。引っ越してくるのは家族に追いやられた独居老人か、静けさを求める奇特な人間だけ。若者は皆、都市へと出ていったんだ。――よし、入ろうか」

 え、と驚く宮森をよそに、錠の掛かっていない門扉を開ける。

「すごいっすね、勇気があるというか大胆というか……」

 怖くないんですね、という呟きに、胸の奥がと波打った。


 家のぐるりを観察する。窓だけでなく戸や外壁も無数に破損していた。無人になって相当年月が経っているようだ。

 二人は最初に見た割れた窓から侵入した。浴室だった。

「うわ、汚ね」

 血飛沫のように黒く凝り固まったかびの巣窟を抜ける。台所を過ぎて居間へと進んだ。

「冬で良かった。夏なら、いろいろ湧いてますよ」

 宮森は咳をする。埃はそこまで積もっていなかったが、四方から侵入した隙間風が、部屋の空気を掻き乱していた。

 居間には座卓以外家具は置かれていなかった。ただ襖を隔てた仏間には、仏壇と位牌が残っていた。立ち並んだ位牌の一部分が、不自然に空白になっている。家主が亡くなったのだろうか。息子が「親の分だけは」と位牌を手に去っていく光景が目に浮かんだ。

「――ここには、誰もいないようだね」

「え、まだ二階、見てないですよ」

 英司は床に光を当てる。居間から廊下に出て、階段へ続く通路をなぞった。

「埃が均等に積もってる。足跡も物を引きずった痕もない」

「確かに……」

 宮森は感心したというより、奇怪なものを見るように英司を見つめる。

「次の家へ行こうか」

 英司が歩き出してしばらく後、はい、と小さい返事があった。


 それから五軒の空き家を回った。どの家も最初のと同じく、人の痕跡は皆無だった。

「そう簡単には見つかんないか……」

 五軒目を出て、宮森は大きく溜息をつく。緊張からか、額に汗が滲んでいた。

「四丁目と言っても百軒近くあるんだ。そうそう見つかりはしないよ」

「そうですよね……」

 路地に出て、再び雪の路上を歩き始める。

 四つ角を左へと折れた。宮森は前後左右をひとしきり確かめて、おずおずと数歩後ろをついてくる。右へ折れ、左へ折れ、どこを照らしても同じような家並みの中を、北へと進む。


 後ろを歩く足音が途切れた。あの、と微かに震える声に振り向く。

「……どうして、空き家が分かるんですか」

 英司は、懐中電灯を、今まさに入ろうとしている家に向ける。

「窓が割れてる、玄関戸の取っ手に埃が積もってる、ポストに『投函不要』と張り紙がしてある。あとは――」

「違います。そうじゃなくて」しばし口をもごつかせ、意を決したように視線を合わせてくる。「なんで道が分かるんですか。こんな真っ暗な路地を、懐中電灯の明かりだけで迷わずに進んで、必ず空き家が見つかるなんて。……その、都合が良すぎませんか」

 沈黙した英司に、宮森は一歩ずつ近寄る。

「こ、ここに来たことがあるんですか」

 無言を返す。

「なんとか言ってくださいよ。じゃないとオレ――」

「宮森くん」

 唐突に口を開いた英司に、宮森はぴたりと歩みを止める。

「寒くない?」

「大丈夫、ですけど」

「そう。路地の前で立ち上がらせたとき、上着が酷く濡れてたから」

 宮森の身体に光を当てる。驚いたように素早く肩や胸の雫を払った。

「雪に変わる前からずっと、あの場所にいたんだね。――怖かったんだっけ」

 返答はない。光を顔に浴びせると、蒼白な顔が浮かんだ。

「電話したときから、雨が降ってたろう。なぜ傘を差してこなかったの」

「それは、雪に変わるって天気予報で……」

「懐中電灯を二つ持っていたのはなぜ」

「……普段から、予備を持ってて」

 今度は英司が一歩踏み出す。

「雨音をたてたくなかったんだろう?」ごくんと宮森の喉が鳴る。「僕がここに来ると、知っていたね?」

 張りのある真っ白な頬に、つうと汗が流れる。

「他人の秘密を聞きたいなら、まず君の秘密を話さなきゃ。別に嘘を責めてるわけじゃない。ただ知りたいだけだ、なぜ君が路地に来たのか」

 知りたい、と宮森は力なく繰り返した。

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