とある駆け出しと一方その頃


 腰だめに両手で長剣を握り咆哮と共に『ブラッディウルフ』へと突撃する、型も何も無い力任せの突撃ではあったが効果は確かなようだった。

 距離にして数メートルという僅かな助走ではあったが、この凄絶な光景を見てなお反撃に出るとは思っていなかったのだろう。

 それは油断、この森で幾度となく冒険者を食い殺し返り討ちにしてきた強者ゆえの油断。

 大狼はこう考えていた。逃げ出した青臭いガキの肩口に牙を突き立て背中を引き裂き、砂利と小石に肌を削られ背中から食われる恐怖を与えてやろうと。

 きっといい悲鳴をあげてくれる、そうすれば次の獲物がやってくると。


 しかし、そうはならなかった。


 トーリアが構えた長剣が全霊の力で突き出される、長剣は容易く獣皮を裂き大狼の身体を貫いた。

 不意の横合いからの衝撃により大狼がよろめき身体が軽く浮く。しかし大狼もさすがと言ったところだろう、持ち上げられまいとしてトーリアと反対側の前足で地面を踏みしめ、怒りの表情をあらわに牙を剥き反撃に出ようとする。

 しかし虚しくも低く身を屈めているトーリアにその牙は届かず、その場でじたばたと暴れることしかできなかった。


 突き刺した場所が良かったのだろう、前脚の付け根を的確に貫いた長剣は骨に当たって弾かれるようなこともなく、トーリアが両手に力を込める度に大狼の身体へと沈んでいく。

 その度に獣臭い血が長剣を伝い滴り流れトーリアの手と足元を濡らす、足や手を滑らせないようにと細心の注意を払いながら負けてなるものかともう一歩踏み込むと急に手ごたえが重くなった。

 なにやら先端が硬くもしなやかなモノへと当たり、それ以上進まなくなる。

 しかしトーリアはそんなことには気付かない、気付いていなかった。

 大狼が怒りに狂っているのと同時、トーリアも怒りに半ば我を忘れているからだ。


 硬いモノへと力任せに長剣の先をねじ込む度に大狼が悲鳴をあげ、怒りに狂いさらに暴れ始める。


 その様子に確かな手応えを感じたのだろう、トーリアはもう一歩小さいながらも力強く踏み込む。

「そこを、どけえぇ!」

 大狼の足元、自分を庇って襲われた大事な仲間のことを思いながらトーリアが叫ぶ。

 踏み込みの勢いのままに長剣を捻りながら押し込み、その勢いのまま押し飛ばす。

 重心を浮かされ手痛い一撃を食らった大狼は、子犬のように甲高くひと鳴きしながら押し飛ばされ、地面へと打ち付けられた後じたばたともがいている。

 先程までの余裕綽々と言った雰囲気はどこへやら、自らを突如襲った激痛に耐えかねているようだ。


 見れば黒々とした大狼は左脇腹から背中にかけて長剣に体を貫かれていた。よく見れば飛ばされた衝撃で長剣が中程から折れたのだろう、もがく度に切っ先と柄本が別々の方向へと動いている。

 しかしいくつか筋肉を断ち切られたのか上手く立てずにいるようだ、不意に訪れた絶好のチャンスにトーリアの目が怒りに燃える。

 とどめを刺す絶好の機会、動けずにいる魔獣の首に向かって処刑人の如く鉈を振り下ろせばいずれはこの魔獣も死に絶えることだろう。


 この大狼は強い。比較的安全と聞いて駆け出しが集まるこの森で幾度も狩りを重ね、その度に人を食い成長を重ねてきたのだろう。

 駆け出しは死にやすい、そのため冒険者を取りまとめるギルドも駆け出しの死亡率はあまり気にしない。

 あまりにも死亡率が高ければ話は別だが、この森における死亡率は他の区域と変わらないかそれより低いくらいに留まっていた。

 もちろん森の奥深くに行けば強い魔獣と遭遇する可能性も高まる、しかしトーリア達が来ていたのは森の半ばにも差し掛からないような浅い場所だった。


 もし、東の森に集まる駆け出し冒険者のことを思うなら、この大狼は確実にここで始末するべきだ。

 そうすれば今後の被害が減りトーリアは報酬を貰える、その報酬で折れてしまった長剣を新調することもできる。


 トーリアが腰に差した鉈へと手を伸ばす、本来は狩った魔獣を解体するための鉈だが切れ味は十分だ。


 ここでこの魔獣を殺して素材を持って帰る、そうすれば……。

 しかしトーリアはその続きを考えなかった、いや、そうは出来なかったと形容するべきだろう。

足元から小さな呻き声が聞こえる、その声はいつもと違って弱々しく、今にも消え入りそうな程にか細い。

 彼はそこでようやく思い出した、自分の目的は仲間を犠牲にして名声を得ることではなく、自分の大事な仲間を助け出すことだったのを。


 そのことに気付いたトーリアはすぐさま鉈から手を離し、足元で倒れて今にも息絶えそうな仲間へと呼びかける。


「はあ、はぁ……ハルナ、ハルナ無事か!? ごめんな、ごめんな……逃げるぞすぐに、助けるからな、絶対助けるからな!」


 血と血に沈む仲間をそっと抱き抱える、しかしそれだけでもハルナには激痛だったようでしきりに身体が痙攣する。

 思わず落としそうになってしまうところを必死に堪えながらトーリアはその場を後にする。


 残されたのは血が染み込み赤黒くなった砂と地面、いまだに立てずにいながらもトーリア達の姿を目で追う一匹の大狼だけだった。



 ***


 一方その頃、森へと入る集団がひとつ。

 他の冒険者とは違い浮ついた雰囲気はなく、どことなく頑健な岩を思わせる空気をまとった男を先頭にしたパーティだ。

 身体の動きを邪魔しない程度に、しかし最低限以上の防御力は見込める程度に身につけられた装備はひと目見ただけで使い込まれているのがわかるほどで、陽光を受けて照り返す光は重く鋭く自己主張している。

 防具の合間から覗く鍛え上げられた肉体は鉄を思わせ、古傷がいくつも残る肉体は彼が歴戦の猛者であることを証明していた。


 彼の名はリンド、このイエナスの村で英雄としては尊敬の眼差しを受ける一人の冒険者だ。


「リンドさん、さっきも聞きましたけど本当に行くんスか?」


 彼の後ろについて歩く仲間がおそるおそると言った具合に話しかける、幾分か軽装な彼の装備はリンドと同じく使い込まれていて、決して新米ではないことを悟らせるものの、その表情には不安と困惑が浮かんでいる。

 リンド達は今から東の森へと向かうところだ、彼はときどき森の深部へと向かい、浅い所へと出ようとする魔獣を間引きに行くことがあった。

 しかし今回の目的地は中腹にもさしかからないような比較的浅い地域で、リンドがわざわざ向かうような場所ではない。


「ああ、ここの所の被害報告を読んでいて気になる所があった。それを確かめねばならない、もしかすると我々が確認していない脅威が潜んでいるかもしれない」

 リンドは岸壁のようにごつごつとした頬を動かし、至って真面目にこう続けた。

 リンド曰く、森の浅い部分での死亡者数が妙に多いというのだ。特に一人から三人までのパーティの死亡数がやけに多く、逆に四人以上はやけに少ない。

 被害報告も一日に二件以上の日が多く、似たような区域に行ったと思われるパーティが同時に行方不明になっている。

 また、行方不明になったと思われる区域を絞ってみたところ、似たような区域で被害にあっていることがわかった。

 これを見てリンドは、この付近で何かイレギュラーが潜んでいるのでは? と考え、自ら調査するに至ったわけだ。


「もし仮に我々の認識していない驚異があるならばそれは私の落ち度だ、私が責任を持って対処しなければならない。君達に声をかけたのは不測の事態に備えてだ、もし割に合わないと思うなら引き止めはしない、これは私のわがままなのだからな」

 そう言いながら声をかけてきた男とほか二人の顔を順に見ていく、その目は失望の色は浮かんでおらずむしろ申し訳なさそうに伏し目がちだった。

「おいこらドロット! お前が変な事言うからリンドさんに気ィ使わせたじゃねえかボケ! イレーネもなんとか言ってやれよ!」

「デリスの言う通りよドロット、むしろあんたなんかが呼ばれるなんて光栄なことと思いなさいよ! 簀巻きにしてダンジョンに放置するわよ!?」

「ひっでえなお前ら!? 特にイレーネお前、そんなことされたら死ぬだろうが! リンドさんすんません、でもわざわざリンドさんが行かなくっても俺たちに任せてもらえれば……って思っただけなんスよ! 」

 リンドの視線を受けた三人は顔を見合わせ、そして残る二人が最初に質問した男を軽く小突きながらぎゃあぎゃあと騒ぎ始める。

 その様子を見たリンドは岩のように硬い表情をふっと緩ませ、安心したように嘆息する。

「そういうわけにはいかないさ、さっき私が言ったようにこれは私の責任なのだから。むしろよかったのか? これから他所へと旅立つ予定だったのだろう?」


 口は悪いが仲間思いなデリス、美人ながら酒癖が悪いことで知られるイレーネ、そしていつも二人にいじめ……もとい遊ばれている三枚目役のドロット。

 この三人はリンドが特に信頼を置いている冒険者で、リンドが英雄と呼ばれるようになる少し前からの付き合いだ。

 とある依頼で彼らが遭難しかけた時に救出したのがリンドであり、それ以来ときどき一緒に組んでは依頼に赴くようになった。

 今では一人前の冒険者となった彼らだが、そうなってもなおまだリンドのことを慕い続けて居る。

 まったくありがたいことだ、リンドは彼らのような後輩が育ってくれたことを喜ばしく思っていた。


 リンドは固定パーティを組んでいない、いま話している三人だってこの街によく滞在している顔見知りでしかない。

 彼に人望がないというわけではない、むしろパーティの誘いを断り続けているのはリンド本人だ。


 曰く、彼は言う。


 私は老いて自身の武器を満足に持てなくなるまでこの街を離れることはないだろう、それは冒険者の本来の目的である『世界を見に危険を冒して冒険すること』とはかけ離れた行為だ。そんな私のわがままに誰かを巻き込むわけにはいかないし、私自身も誰かを巻き込んでまで自分の都合のために生きてほしくない、と。

 イエナスの村が宿場町として栄える以前よりこの村を守り続けてきた彼は人一倍故郷を愛していた、冒険者という肩書も自由に森を行き来するために都合がいい職業だったというだけで、別に狩人だろうか防人だろうがリンドにとっては些末な問題であった。


 冒険者とはその名の通り冒険をする者達のことだ。かつて『人魔戦争』により残された傷痕が癒え、自身の暮らす地域で遮二無二働き復興活動をする必要もなくなった時期から増え始めた比較的新しい職業。

 魔獣の蔓延る平野や森から生き残るため都市に閉じ込められるようにして暮らし、復興と魔獣の駆逐にその寿命を費やすことを余儀なくされた世代の後に増え始めた。

 抑圧された生活の後に人々が欲したのは名誉でも金でも交流でもなく、まだ見たことのない故郷の外側に対する知識欲だった。


 この森の向こうには何があるのだろう、この平原の向こうには何があるのだろう、この荒野を抜けた先には何が広がっているのだろう。

 好奇心が興味を抱かせ、興味が知識欲を掻き立てる。欲望はやがて原動力となり人を突き動か、まだみぬ地へと足を向ける。

 しかしこの広大な世界を生き残るには力が必要だ。それは魔獣に負けない強さであり、環境に騙されない知識であり、不意の事態に遭遇した時に諦めない心でもある。

 リンドは思っていた、一つの土地にしがみつく自分とは違い世界各地を渡り歩き様々な経験を積む彼らを邪魔したくないと。

 リンドがパーティを組まないのはそういった理由からだ、だからこれから彼らが新しい土地に赴くと聞いたときには必死に断ろうとした。

 だがそれは彼らが、デリス達が許してくれなかった。


「もちろんですよ! 俺達リンドさんには何度も助けられてますし。それに旅に出るのが少し遅れたくらいで気にするようなことでもありませんし、な?」

「そうね、私たち別に定職に就いているわけじゃないし時間の余裕はいくらでもあるもの。それにリンドさんの頼みを断るなんてできないわ、恩人だもの」

「それに被害も結構出てるんスよね? だったら調査するのは俺たちも無関係じゃないし、当然のことっスよ」

 答え方は三者三様のまま、しかし考えていることは三人とも同じのようだ。

 リンドの力になりたい、それだけだ。


 本当にいい後輩に育ってくれたなと心の中で自分の幸運に感謝しながら、四人は森の中へと入っていった。




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