とある駆け出しの逃走


「ダメージの出し方は簡単だよ。ユニットの固定値とダイス振って出た目を合計したのが攻撃力、防御力も同じ出し方で、装備とかスキルで色々増減するから確認漏れがないように気をつけてね」

「このへんは簡単なんだな、わかりやすくていい。んじゃダイス振ればいいのか?」

 ダイスボットの前でソリッドが訊ねる、すでに何個振るのかは数えたあとのようで手には純白に透き通る六面体が握られていた。

 クリアな材質でできた六面体はイデアお手製の自作ダイスだ。六面体の他にも十面体や十二面体、見れば一個だけ百面体もある。

 しかしこの百面体のダイスは今まで一度しか振られたことがなく、その時もボールのように転がり続けた上にどの面が上を向いているかわかりにくいと非常に不評だった。

 今ではこのダイスボットを初めて使う神達に使い方を教えると同時、観賞用としてチラ見せするおもちゃになっている。


「いっつも思うけどよ、イデアはたかだかダイスに手間隙かけすぎじゃねえか?」

 手に持った透明のダイスを呆れた目で見ながらソリッドが言う、実はこの透明なダイスは全て水晶で作られている。

「だって〜、よく使う道具ですよ〜? 凝りたくなる時だってありませんか〜?」

「そうね、よく使う道具に凝りたくなるのは私も一緒だから」


 これらのダイスは全て透明度の高い水晶に『神秘』で硬化処理を施したもので、下界にこれを持って行って売れば数年は遊んで暮らせるであろう代物だ。

 水晶の加工技術は下界にはまだ浸透しておらず、極々一部の彫金師が趣味片手間に時折加工する程度で、市場にも出回ることはほとんどない。

 持ち帰るときかさばる上に割れやすい水晶はたとえ見つけてもその場に放置することが多く、それを目当てにもう一度行ったとしても既に魔獣に砕かれた後だったりすることもある。

 仮に持ち帰ったとしても加工が難しいせいでお抱えの職人を持つ貴族や商人以外には中々買い取って貰えず、拠点を移動する際にやはりかさばるので二束三文で売られがちだ。


 加工後の見た目は美しいが買い手が少ないため金にならず、原石のままだと肝心の美しさ損なわれてしまう。

 無論のこと原石の状態の方が好みだという人間もいるため全く売れない訳では無いのだが、手間を考えるとあまり持ち帰りたいと思わないのが実情である。

 そのため状態の良い加工済みの水晶はそれだけで価値があり、下手な希少金属よりも価値が高い。


 しかし神達にとって下界の金銭など路傍の石と同じく価値のないものだ、よってこの値千金の価値を持つ水晶のダイスもただの遊び道具として使われている。


 価値観の違いとは残酷なものだ。


「そういうもんか、確かに作ったモンとかに愛着が湧くのは俺にもあるからわかるわ。それじゃあ振るぜ、よいしょ……お、いい目が出たな」

 透明な水晶ダイスを四個手に持ちダイスボットへと転がすように振る、これだけ便利なものがあるならダイスを振るのくらい自動でいいじゃないかと思われるかもしれない。

 しかし、ダイスを振る時の緊張や高揚といったものは直で振るとより強く味わえる、というのがイデアの論だ。

 これは余談だが下界では自立飛行し音声認識で操作が可能で、そのうえ美術彫刻のように美しいダイスボットのようなものは『オーパーツ』と呼ばれている。

 人類が長く紡いできた文明の始発点、既に製法や機構の資料は失われ現在の文明では説き明かすことのできないブラックボックス。

 その正体は未だ霧に包まれたように解き明かされておらず、オーパーツの研究を進める都市や集団もいるという。


 話を元に戻そう、ソリッドが振ったダイスの数は四つで出目の合計は十四だった。

『ブラッディウルフ』の攻撃力固定値は四、合計して攻撃力は十八だ。

「まあまあ上等だろ、ダメージいくつだ? つってもこいつダイス運いいからなあ……」

 だいたい期待値通りの出目、上振れるようなことはなかったが下振れなかっただけマシというものだろう。

 しかし攻撃相手は最初のダイスロールで六ゾロを出した豪運の持ち主だ、期待値通りとはいえ若干の不安が残る面持ちでソリッドは嘆息する。

「むふふ、まあこのくらいなら余裕余裕だよ。こっちは二つ振るね、ほいっと!」

 そうしてダイスを放ったグレンダが出した出目は一と一、まさかのピンゾロだった。

「うそおおぉぉ!?」

「流石のグレンダね、期待を裏切らないわ」

「俗に言うフラグを回収したってやつですね〜」


 グレンダはダイス運がいい、彼と遊ぶのに慣れている神達は彼がダイスを振るとき、期待値ではなく最大値を想定して動くくらいには。

 しかしたまにダイス目が腐ることがある、腐るというよりほぼ最低値付近しか出さなくなることが。

 最大値ばかり出していたと思えば今度はファンブルの連続だったり、突然クリティカルの応酬で振りを覆したり。

 実は本人は知らされていないが、ダイス運がいいというのは良い出目ばかりを出すという意味ではなく、彼がダイスを振ると盤面が急激に動きゲームにメリハリができることから来ている。

 彼と同卓すると普段では起こりえないような波乱万丈な展開が生まれ、単調なゲームだとしても内容に起伏が生じる。

 ……まあ、それがいつも良い結果になるとは限らないのだが。


 ***


 腕に抱えた温もりはあまりにもか細く、消え入りかける蝋燭の炎のように儚い。

 いつも見せてくれるような笑顔は今は無く、虚ろに開いた瞳孔は焦点が定まっていないようで左右の大きさが別々だった。

 人をひとり抱えているというのに腕にかかる負担がおそろしく軽いのは自分の鍛錬の賜物だと自らに言い聞かせる、もしかすると逆境の中で身体がいつも以上のスペックを発揮しているのかもしれないと。

 濡れそぼった袖が肌に張り付く感触が気持ち悪い、鼻を衝く鉄の匂いに顔を顰めながら疲労にせりあがってくる吐き気を必死にこらえる。

 もつれて絡まりそうになる両脚を必死に動かしひた走る、とにかく誰かに助けてもらわないと。

 トーリアは願うように、祈るようにその一心でひたすらに走り続けた、なるべく腕の中の少女のことを考えないようにしながらも、心の中はその少女のことでいっぱいだった。


 とにかく森の外へ、なんとかして助けなくちゃ。

 街に行けば治癒の神秘の使い手が常駐している、治療を受けることができれば傷痕は残るかもしれないが命は助かるはずだ。

「頼むから死ぬなよ、死ぬな……」

 必死に祈るその表情はぐしゃぐしゃで今にも泣きだしそうなほどで、あまりにも滑稽なほどに必死だった。


 しかしだ、世の中にはそう上手くいかないこともある。


 不意に太ももを鈍い痛みが貫きトーリアはバランスを崩し足をもつれさせてしまう、一度バランスを崩せば後に待っているのが何かは想像に難くない。

 両手に抱えたハルナを取り落とさなかったのは流石の執念と言うべきか、トーリアは咄嗟に両腕でしっかりと彼女を抱きしめるとこれから襲うであろう衝撃を予見し歯を食いしばった。

 全力で走っていた勢いのまま盛大に転倒する、受け身を取ることもせずに二度三度と全身を地面に打ち付ける痛みが襲い、数メートルの距離を転がったところでようやく静止した。

 その間もハルナのことは抱いて離さず、自身を緩衝材とするように体を丸めて守ったのは流石と言うべきだろうか。


 ぐらぐらと揺れる視界と頭で痛む箇所へと視線を落とせばぼろぼろの矢が突き刺さっている、木と石と鳥の羽根でできた粗末な矢は深々とトーリアの太ももに突き刺さっており、そのことを自覚すると灼けるような痛みが心臓の鼓動に合わせて断続的に襲い始める。

 怒りと恨みのこもった視線で射手のいると思われる方向へ視線を向ければそこにいたのは。


「クソっ……ふざけんなよ、どうしてこんな時に『ゴブリン』なんかがいるんだよ!」


 ゴブリン、『小さな悪鬼』の異名を取りその性質から冒険者には広くその存在を知られている。

 背丈は人の子供よりやや大きいくらいの背丈で異様に大きい鼻を持ち、森や平原や山や荒野などどこにでも住み着く亜人の一種。小さいみためからは想像もできないほどに力が強く手先も小器用な種族で、敵に回すと地味に厄介なことで知られる。

 中には人間と共生したり人語を介する集団もいるため一概の敵とは言い切れないが、この東の森に棲んでいるゴブリンはそのよう集団ではなかった。

 木の幹の上で鉄を擦り合わせたように不快な笑い声を上げるゴブリンが次の矢を番える、弦がぎりぎりと軋み二射目が放たれようとする中でトーリアは次にどうするべきかを必死に考えていた。

 トーリアは既に武器を手放しており、彼は弓矢や投擲物の類は持ち合わせていない。身を防ぐ盾も持っておらずポーチの中を漁ろうにも既に敵は攻撃態勢を整えた後だった、今から間に合うはずもない。

 襲いくる第二射目に対してトーリアが取った行動は、その身を盾にしてハルナを守ることだった。


 咄嗟に庇うように傾けた体に向かって醜悪な笑い声と共に弓矢が放たれる、不安定に揺れながらも飛翔する粗末な矢は弓の名手が見れば鼻で笑うような挙動を描き、しかし狙い過たずにトーリアの肩口を貫いた。

 苦痛にうめき声をあげるトーリアだったが、幸運にも肩に装着していたプロテクターで受け止められたことで傷は浅い。しかし直撃したことには変わらず今もなお劣勢に立たされているのは火を見るよりも明らかだった。

 矢が当たったことが相当嬉しいのかゴブリンは再び不快な笑い声を上げてその場で小躍りし始める、その様子は余裕のないトーリアから冷静さを奪い思わず叫ぼうとしたところ、不意に掠れた声が耳に届く。


 視線の主は腕の中にしっかりと抱いたハルナだった、焦点の合わない両目から既に光は失われかけており、彼女の限界が近いことを示していた。

 気付けばハルナから止めどなく溢れていた赤い血は既に黒くなってきており、溢れる血液の量もだいぶ少ない。

 その状態が意味するところは彼女の命があとわずかな時間で失われるということ、彼女を抱えて逃げ出したときよりも身体がだいぶ軽くなったことを感じたトーリアは腹の底から恐怖を感じた。

 彼にはもう、ゴブリンが三本目の矢を番え今度は外さないようにとじっくり狙っている様子も見えていない。

 いやに鮮明に映るのはハルナの身体、彼女の赤く黒い血液と青くなった肌が視界に迫り、彼の記憶へと焼き刻まれる。


 それはすなわち目の前で仲間を失う喪失感、自らの不注意で仲間を死なせた罪悪感、自らの行動が間に合わなかった後悔。そういった類の負の感情がとぐろをまき、恐怖という名の毒蛇に見つめられたような錯覚を覚えさせる。


 いやだ、失いたくない。


「ふざけんなよ! 畜生おぉ!」


 そうして彼が叫ぶと同時、第三射目が放たれた。


 ***


「んじゃ、防御点差し引いて合計十点な」

「あーもう! ヤバいじゃん! 体力もうミリしか残ってないんだけど!」

 グレンダが叫びソリッドが苦笑いする、表示されている『初級冒険者』の体力は最大体力の三分の一も残っていなかった。

 うがーと叫びながら頭を両手でかきむしるグレンダにほか三柱が苦笑いする、彼のダイス運が荒ぶった時にはもうお決まりの光景だ。


「とりあえず体力減らしてー……うわぁやばい、死ぬ」

「まあ運が悪かったと思って、ここは諦めた方がいいかもね」

ストラノがほうとため息を吐くと白煙が『バタンキュー』のマークを形作り掻き消える、本来なら希望があると言いたいところだが今のは奇襲攻撃のため、手番はまた『ブラッディウルフ』の攻撃だった。


「……いいやまだ! もしかするとソリッドの出目が腐るかもしれないし諦めるには早いよ! さあこい!」

「ほいよ、そんじゃ振るぜ」

最初から早くもクライマックスなグレンダに対して粛々とゲームを進行するのはソリッド、まあ余裕だろうとアタリをつけて再び降ったダイスの出目は合計で十だった。

『初級冒険者』の体力は四しか残っておらず、固定値を引いてダイスふたつで五以上を出せば生き残る計算だ。

いつものグレンダのダイス運ならば余裕綽々と言ったところであろうが……。


「さっきの見たあとだと不安になるわね」

まさにストラノの言う通りだった。

「でもグレちゃんのダイスは荒ぶりますからね〜、もしかすると次は六ゾロを出してくれるかもしれませんよ〜?」

そしてイデアの言う通りでもある。

五といえば順当に期待値を出せば順当に越えられる数字ではあるが、さっきまでの盤面を見ていて自信満々に出せると答えられる神はそうそういないだろう。

グレンダは大きく深呼吸をした後、深いため息をつきながら再びダイスボットからダイスを手に取る、防御ダイスの数はふたつ。


「まあまあまだ序盤も序盤だし、ユニットが一個減ったところで立て直しは十分効くし! よし、行くぞ……いけっ」


そうしてグレンダが軽い諦めと共に振ったダイスの出目は、三と二。

出目の合計はちょうどギリギリ生き残る五だった。

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