230.

 彩織いおりかえでさんに会ったと聞いて、血が沸騰したように騒ぎ出す。顔が、熱い。

 今の私、どんな顔をしているんだろう。怖い顔、してないと良いな……。


「……どこで? どこで、楓さんと会ったの」

「学校で。楓さんがパソコンの授業で特別講師で来てたの」

「特別、講師……?」


 熱くなり過ぎた頭を冷やすように大きく息を吐きだした。

 楓さんの今の職業はホームページの制作。つまりWEBデザイナーだ。その楓さんが講師……なんとなく納得できる。ありそう。


「びっくりしたよ。前で授業してる人が物凄く見覚えがあるんだもん」

「そりゃそうだ……」


 楓さんが真面目に授業? 高校生相手に授業をしている楓さんを想像したら妙に似合う。眼鏡とかして真面目そうにやったんだろうなぁ。


「なんの授業だったの? やっぱりWEBデザイン?」

「そうそう。デザインとかコーディングとか。知らない事だらけで興味深かったよ!」


 指折り数えながら楓さんに習ったことを嬉しそうに教えてくれる。

 彩織にとって実りのある機会になったようでなんだか嬉しい。


「それでね、もっと勉強したいって思ったの」

「ああ、なるほど。それでこの教本を?」

「うん。どんな本で勉強したら良いですかって聞いたら、もう使わない本があるからあげるねって」


 聞いてみればなんてことない話だった。あんなにヒートアップしてしまった自分が恥ずかしい。

 それにさっき、楓さんにあんな態度を取らなきゃ良かった。何も悪いことしてないのに。……でもある意味、自業自得かもしれないな、あの人の場合は。


「ごめんね? れいちゃんに言ってなくて。もう少し勉強が進んでから言おうと思ってて……」

「あー……いや、私こそごめん。怒ってないから気にしないで」


 彩織は恐る恐る私の顔を見ながら謝った。さっきの私が相当怖かったんだろうな……。


「急に楓さんが来てびっくりしたんだよね、ごめんね」

「びっくりしたけど、この本を受け取っただけだから大丈夫。そんなに長居しなかったよ、楓さん」

「そう……」


 さっきから彩織は元気がない。私に伝えていなかったことをまだ引きずっているようだ。


「この話、終わり! ご飯食べよ!」


 パンッと手を叩き、テーブルを指差した。彩織もお腹が空いているだろうし、いつまでもここで話しているのはよろしくない。


「そうだね……。今日も羚ちゃん作ってくれたんだよね、ありがと」

「簡単なものだけどね、今日は特に」


 フライパンに入ったままの食材を中火で温める。今日は豚肉とピーマンの炒め物と手抜きサラダ。


「ご飯よそうね」

「ん」


 ご飯をよそって、箸とお皿を準備して。彩織はテキパキと動く。お家でのお手伝い、花丸だ。




「いただきます」


 二人向き合って座り、黙々と箸を進める。いつもなら適度に会話が弾むんだけど、なんとなく今日は静かに食べている。

 聞きたいことはたくさんあるけれど、彩織が自分から話してくれるのを待とうと思う。急かしても何も良いことは無い。

 


「……このピーマン苦くなくて美味しい」

「そう? 良かった。炒める前に電子レンジでチンしたんだよ。苦くなくなるって聞いたから」

「へえ。それ、私知らなかったや。双葉ふたばさんに教えてもらったの?」

「そうそう。若葉わかばちゃんがピーマン嫌いだから何とか食べさせなきゃいけないって言ってた」

青井あおい先輩、意外だ……大人っぽいのに……」


 だから今はこうしてなんでもない話をしているだけで良い。美味しいご飯を食べて、楽しくお話して。それで良い。






「ふぅ……。お風呂上がったよー」

「ん」


 お風呂から出た後は宿題タイム……のはずだけど、今日は何故か彩織は私の膝の上にやって来た。甘えん坊タイムなのかもしれない。


「どうしたの。今日は宿題しなくて良いの?」

「宿題は学校で終わらせてきたからやらなくて大丈夫なの」

「ふぅん」


 もぞもぞとちょうど良い位置を探すように動き、ポスッと私の首元に顔を埋めた。髪の毛が首に当たって少しくすぐったい。


「なに、どうしたの?」

「んー」


 こうなってしまっては彩織が満足するまで甘やかすしかない。むしろこの彩織を目の前にして甘やかさないほうが無理だ。


「同じ匂いがするね」

「同じシャンプー使ってるからね」


 彩織は鼻をスンスンと鳴らし、うっとりした声で囁く。シャンプーどころかボディーソープも、洗濯用洗剤すらも同じものを使っているんだから当たり前だ。


「なんか良いよね、こういうの」

「なに、が……?」

「前はさ。違う匂いだったわけじゃん、私たち」


 じりりと距離を詰めつつ、またスンスンと鼻を鳴らす。


「羚ちゃんの匂いが移っちゃった」


 どちらかが少しでも動けば唇がぶつかる。そんな至近距離で彩織は可愛いことを言う。……今日は本当に、どうしたんだろう。


「……誘ってる?」

「ちゃんと言わなきゃ分かんない?」


 自分の唇をトンと指差し、にっこりと笑う。


「……ん」


 手に持っていたスマホを机に置き、両手を彩織に向かって差し出した。それを見てもう一度笑みを浮かべた彩織は、すぐさま私の胸へと飛び込んでくる。


「羚ちゃん分を充電させてね……」


 彩織はそう呟いて、唇を——

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