223.

「美味しそー!」

「冷たくてちょうど良いでしょ?」

「うん! いただきまーす」


 ちょうど良いタイミングで冷製パスタが出来上がった。この無駄のない感じ、我ながら完璧だ。


「今日は、バイトが長引いたの?」

「ん、上がる直前に来たお客さんがこの本どこにありますかって。あんまり有名な本じゃなかったから探すのに時間かかっちゃった」

「検索する機械なかったっけ?」

「あるけど、上手く探せなかったんだって」


 私もだけど、と彩織いおりは舌を出して笑う。



れいちゃんはさぁ、最近よくスマホ触ってるね?」

「え。そう……?」

「うん。だって最初の頃はスマホ持ってるか分かんないくらい触ってなかったじゃん」

「そんなこと……あるなぁ」


 確かに家でスマホを触ることなんてほとんどなかったかも。だって連絡する相手がいなかったし。

 今となっては彩織に双葉さん、最近は小野寺さんとも連絡先を交換した。話す相手がたくさんだ。


「さっきは誰とチャットしてたの?」

「会社の同期と」

「日曜日、一緒に出掛けた人?」

「う、ん……」


 なんかちょっと目が怖い。心なしか声のトーンも低い気がする。


「なんのお話してたの?」

「会社の話。その同期の子、好きな人がいるんだってさ」

「ん。その好きな人って羚ちゃんも知ってる人なの?」

「うん。私と同じチームの人だよ。ちょっと年上のお……お兄さん」


 おじさんって言ったら怒られちゃうな、多井田おいださんに。


「恋バナってことね! つまりは!」

「うん……まあ、そんな感じ?」

「へえ、楽しそう。大人になってからもそういう話するんだね?」

「するんじゃない? 独身の人は特に」

「リアルだ……」


 ごちそうさまでした、と手を合わせ、食器を持って立ち上がる。それを見た彩織は思い出したように自分のフォークを動かした。


「私、お風呂行ってくるよ。その後すぐ洗濯機動かしちゃって良い?」

「いいよ。さっき洗濯物、全部出したから」

「ん」


 ゆっくり食べててと言い残し、自分の着替えを持って脱衣所へ向かう。

 今日の彩織はどうもぼんやりしている。……というか、疲れている。早めに今日は電気を消そう。







「……まだ起きてる? もうすぐ十二時になるよ」

「ごめん、もうちょっと。あとここだけ解いたら終わる」


 早めに寝かせようと思っていたのに彩織は今日も真面目に勉強している。ここ最近ずっとだ。追い詰められたように机に向かっている。

 高校三年生なんだから当たり前かもしれないけど、まだ六月だ。求人だってまだ来ていないだろうに。


「テスト近いんだっけ?」

「んー、テストはないけど……勉強しないとなぁって思って」


 私が聞いても彩織は言葉を濁す。こんなに必死になっている理由が知りたい。


「…………」

「…………」


 あんなに真剣な表情で机に向かう彩織に、これ以上何も言えそうにない。邪魔はしたくないから。



「…………終わった! お待たせ、羚ちゃん」


 勢いよく教科書を鞄に仕舞うとベッドに滑り込んできた。その勢いで半分閉じかけていた瞼が持ち上がる。


「ん、電気消そうか」

「うん。私消すよ」

「お願い」


 枕元のリモコンで部屋の電気を消す。薄暗い部屋の中で彩織がゴソゴソと動く音が聞こえる。良いポジションを探しているみたいだ。


「ねえ。あんまり遅くまで起きてると迷惑になっちゃう? 羚ちゃんも疲れてるし、早く寝たい……よね?」

「いや、私は別に……」


 私が言いたいのはそういうことじゃない。ただ彩織の体調が心配なだけ。頑張り過ぎると身体に響くから。……なんて、若い子は気にしないのかな。


「夜遅くまで勉強して、朝も早く起きて。学校で眠くならない?」

「ならないよ。ちゃんと起きて授業受けてる」

「そう? なら、良いけど……」


 依然として私の心はモヤモヤしたままだ。何のために急に勉強に力を入れ始めたのか、本当に体調を崩していないか。心配になる。


「全然良いけどって声じゃないね、今の」

「……うん。なんで最近急に根詰め始めたのかなって。気になる」

「笑わない?」

「もちろん」


 もぞもぞと体を動かし、私のすぐ側へやって来た。耳に生暖かい息が当たってくすぐったい。


「あのね、別にテストとか就職試験とかそういうのじゃないの」

「さっきも言ってたね」

「そういうのじゃないけど、勉強しようと思って。これから就職して社会人になるけど、その後は自由に変わっていけば良いんだなって分かったから」

「どういうこと?」

「高校卒業してどこかの会社に入るけど、ずっとその会社に居なきゃいけないわけじゃない。スキルを身に着けて転職するのもありだなって」


 まさかそんな先のことを考えていたとは。ずっと同じ会社に勤めている私からすると、どうにも分からない世界だ。


「それは、自分のやりたいことを仕事にするためにってこと? それなら大学に行って、好きなことを学んだら——」

「大学は行かない。就職する。就職して、自分で働いて貯めたお金で自分のやりたいことをするよ」


 ……彩織は私より、周りの大人よりよっぽど先のことを考えている。まだ高校生なのに。

 真剣に自分のことを話す彩織は随分大人びて見えた。

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