209.

 実家に帰る、か……。来週末のことを考えると憂鬱でしかない。それを彩織いおりに気取らせないように振る舞うだけで精一杯だった。


「今日は何時に帰ってくるの?」

「夕方までには帰るつもり。夜ご飯は家で食べるよ」


 こんな沈んだ気持ちのまま小野寺おのでらさんの引っ越しを手伝うのは忍びないけれど、無理を言っているのは向こうだし、これくらい許してくれるだろう。


「ねえ、れいちゃん……」

「なに?」


 彩織が何か言いたげにこちらを見ていたがついぞ言葉は出てこず、何でもないと笑った。その笑みの裏には一体どれだけの想いが、言葉が隠されているんだろう。


「遅くなりそうだったら連絡ちょうだいね。今日のご飯は私が作るから」

「分かった。ありがとう」


 気の利いた言葉が見つからず、結局私も何も言えなかった。

 いってきます、とだけ告げてアパートを後にする。

 今日は小野寺さんたちと十時に駅で待ち合わせしている。二人とはこうして休みの日に会うのは初めてだ。

 やっぱり平日と比べて雰囲気が違うのかな……?





「ごめんなさい。お待たせしちゃった……?」

「いーや。今さっき来たとこ。ね、多井田さん」

「うん。全然待ってないから大丈夫だよ」


 三分前に集合場所に着いたものの、二人のほうが早かった。

 多井田さんはある意味イメージ通りだけど、小野寺さんも案外時間にシビアらしい。


「じゃあ今日はよろしくお願いします、二人とも。お昼は私が奢るんで楽しみにしててください!」


 威勢の良い小野寺さんの声を皮切りに、ホームに向かって歩き出す。

 ここから名古屋まで片道四十分。十一時前には着くはずだ。


「なんか飲み物要ります?」

「いや、いいや。さっき買っちゃった」

「藤代さんは?」

「コーヒー買おうかな。小野寺さんの分も買ってこようか?」

「いい、いい。私が買ってくる! ブラックで良いかな?」


 私が頷いたのを確認し、脱兎の如く駆けて行った。残された私と多井田さんはポカンをその背を見送ることしか出来なかった。


「なんていうか……全然違うタイプだね、二人は」

「私もそう思います」


 正反対というかなんというか。まるで似ていないな、私たちは。傍から見ていても分かるほど極端だ。


「お待たせ!」


 駅のホームにある売店から小野寺さんが帰ってきた。手に持っているのはコーヒーが二本。


「はい、どうぞ」

「ありがとう。いくらだった?」

「私の奢り」


 財布を出そうとしたけど、小野寺さんは首を横に振るばかり。これでは根比べが始まるだけ。諦めて私は財布をバッグに仕舞った。


「今日は私の用事に付き合ってもらってるからね。気にしなくて良いよ」

「そう? じゃあ、ありがたく……」


 貰ったコーヒーのキャップを捻り、一口。……うん、苦くて美味しい。


「あ、電車来たね。行こうか」

「はい」


 気づけばもうそんな時間か。ホームの西側からゆっくりと電車が近づいてくる。


「結構混んでるなぁ。やっぱ日曜日だからか」

「ですねぇ。座れなさそうです……」


 二人に続いて電車の中へ。座席は満席のようで入口近くに固まって立つことにした。



『ご乗車頂きありがとうございます。ご利用の列車は——』


 電車が走り出してしばらくすると、車内アナウンスが流れだした。


「なんか懐かしくない? 高校生になった気分」

「小野寺さん、最近は電車乗ってないの?」

「そりゃあ乗るけど……。こうやって誰かと一緒に電車乗るってのが珍しくて。会社に行く時なんて基本一人だしね。多井田さんはどうですか?」

「俺は高校までチャリ通だったからなぁ。休みの日に連れと電車で出かけたくらいかな?」

「そういえば多井田さんってどこの高校——」


 二人の会話を聞きながら、ぼんやりと頭の中で考える。私は来週末、どんな顔をして実家に帰れば良いんだろうって。

 考えれば考えるほどに憂鬱だ。だって実家を飛び出して以来、全く顔を出していない。一度もだ。たったの一度もないのだ。

 そんな私が今さらどんな顔でお父さんに会えば良いのか——


「藤代さんっ。藤代さんは高校の時、電車通学だった? それとも自転車?」

「えっ、と……電車で上大沢駅まで来て、そのあと自転車だったよ」

「結構遠いんだ……。実家はどこらへんなの?」

「実家、は…………小ヶ原おがわらだよ」

「へえ! 小ヶ原か! 自然豊かで良いじゃん。昔なにかの研修で行ったことあるよ。小学校の野外研修だったかなぁ」

「俺も行ったかも……。小学校の時だったと思う。飯盒はんごう炊飯とかやったっけ」

「あー! 懐かしい! 私もやりましたよ、カレー作り!」


 話題がずれてホッとした。どうにも地元には良い思い出がない。小学校も中学校も大して思い入れがないから、どうにもこの手の話は苦手だ。





「いやぁ、懐かしい話題は楽しいなぁ。流石にジェネレーションギャップ感じるけど、まだ付いていけてる感じするわ……!」

「使ってるアプリとかスマホとか。そういうのが意外と違うんですねぇ」

『次は名古屋、名古屋です。お降りのお客様は——』


 時間が経つのはあっという間で、もう名古屋に着いたらしい。

 そろそろ気持ちを切り替えていかないとな——

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