186.

「んん……」


 首を左右に動かすとポキポキと音が鳴る。こんなに長くパソコンを触ったのは久しぶりだ。

 今日の面談結果まとめと二人の悩みへの対策、今後どういう働き方をしていきたいのか。全て入力し終えるのにかなり時間がかかった。それぞれ一時間以上話していたし、当然と言えば当然だけど。


藤代ふじしろさん、終わりそう? 定時でいける?」

「はい。大丈夫です。定時で帰れます」


 ずっと画面とにらめっこしている私を見て、野中さんが心配そうに声をかけてきた。


「にしても。すごい文章量だな……」

「二人ともいろいろ悩んでるみたいでしたよ。特に足立あだちさんは一年目ですし、今が一番大変なんでしょうね……」

松野まつのも似たような感じ?」

「そうっすね。今日は四人面談しましたけど、みんな時間オーバーしました。やっぱ直近の上司には相談しづらいんすかねぇ……?」


 直近の上司と聞いてちらりと野中さんの顔を盗み見た。

 私がもしも仕事で困り事が出来ても野中さんなら全部解決してくれる。まだ付き合いは短いけどそう信じられる。

 だけど。悩み事を全て話せるかと言われればどうだろう。言えば相談に乗ってくれるだろうけど、男の人には言い辛いこともあるだろうし。

 やっぱりこういう面談の場は必要なんだろうな……。


「今回は若手を対象にした面談だったけど、今度はもっと堅苦しくないことやりたいな。グループトークでも良いし」

「野中さんが企画するんですか?」

「いや、それは松野に頼みたいな。働き方改革プロジェクトで」

「え? あ、そういう……?」


 急に振られた松野さんが驚いたように顔を上げた。働き方改革の一環なんだ……。

 じゃあ私が参加する美化プロジェクトは何をするんだろう。今までにないプロジェクトだから誰にも聞けないし……。ちょっと不安だ。






「……終わった!」


 最後の一文を入力し終え、勢いよくエンターキーを叩いた。定時まで残り十分。ギリギリだったな……。


「お。藤代さん、終わった?」

「はい。今メールで送ります」


 作ったデータをメールに貼って、簡単な文章を添えて。送信っと……。


「おー、ありがとう。これで今月の面談終了ね」

「面談って毎月やるんです?」

「とりあえず上半期中は。下半期にも面談をやるかは状況次第かな。それに来月は一対一の面談かどうかはまだ決まってないな。な、松野」

「働き方改革のミーティングで提案してみます」


 さっき話してたグループトーク、本当に提案するんだ……。どういうグループでやるのか知らないけど、きっと知らない人だらけなんだろうな。

 初対面の人と話すのは緊張する。慣れれば緊張しなくなるんだけど、最初はどうしても何を話して良いか分からなくなる。

 それに今週末、帰社する小野寺おのでらさんだって二年も会っていなかったんだから初対面みたいなものだ。同じプロジェクトに参加するからお話したいけど、どう声をかけたものか……。


「……野中さん。小野寺さんってどこの所属になるんですか?」

「安全管理チームになる予定。ほら、あそこの席。山木の隣を空けといたから、あそこに座ってもらう予定だよ」

「へえ。安全管理チームなんだ……」

「といってもメインでやってもらう仕事は新人教育らしいけど。今の教育担当の近藤さんが産休に入られるから、その代わりで」

「なるほど」


 そういうことか。それで急に出向から帰ってくるんだ。脈絡のない帰社だと思っていたけど、近藤さんの代打なら納得だ。


「小野寺さんと連絡取ってる? 同期だったよね?」

「いや、全然取ってないです……。連絡先知らなくて……」


 野中さんは意外そうな顔をした。私たち二人が唯一の同期だから自然と仲が良いと思っていたみたいだ。


「そっか。せっかく同じ事務所になるんだし、仲良くなれると良いね」

「そうですね」


 安全管理チームになるなら実践にも参加するだろうし、関わる機会は多いはず。


「おっと。定時か」


 定時のチャイムが鳴り、みんないそいそと帰る準備を始める。例に漏れず私もパソコンを閉じた。


「じゃあ、お疲れ。お先に」

「お疲れ様です」


 慌ただしく帰って行く野中さんたちを見送りながら、私もリュックを持って立ち上がる。


「お疲れ様です。お先に失礼します」


 まだ事務所に残っている人たちに挨拶して、足早に駐車場へ向かう。帰りにスーパーに寄って買い物しないと。



「藤代さん、お疲れ様」

「あ、双葉さん。お疲れ」


 途中、双葉さんとばったり遭遇した。のんびりと歩いているってことは、今日は若葉わかばちゃんの帰りが遅いのかな……?


「家に帰ったら彩織ちゃんがご飯作って待ってるんでしょ? 良いなぁ」

「今日はバイトだから私の方が先に帰るんだよ。夜ご飯も私が作る」

「ああ、そっか。バイトしてるんだっけ。でも数時間後には会えるじゃん、良いなぁ」


 さっきから良いな、良いなと繰り返しているけど双葉さんだって家に帰れば若葉ちゃんと会えるんじゃないの……? まさか……。


「どうしたの? 若葉ちゃんとケンカでもした?」

「ケンカじゃないけどさ……」

「家に帰り辛いの?」


 そうじゃない、と双葉さんは否定する。

 じゃあ、なんだろう。もごもごと言い淀んでいるから何を言いたいのか分からない。


「どうしたの? 本当に。心配になるじゃん」

「いやぁ、実は……今日から出張で若葉ちゃんいないんだよね」

「え、出張?」

「二泊三日で高山だって。金曜日まで会えないんだよー」


 あ、そういう……。もっと深刻な話かと思ってたからホッとした。いや、双葉さんにとっては深刻な話かもしれないけど。


「じゃあ、今日は一人なんだ」

「そう。本当は藤代さんを飲みに誘おうかと思ってたんだけど、彩織ちゃんと一緒に住んでるなら流石に……って思って。今日と明日は寂しく一人飯なの」


 すぐにスマホを取り出し、チャットアプリを開いた。返信が来ると良いけど……。


『バイトお疲れ様。急で申し訳ないんだけど、今日双葉さんを家に呼んでも良い?』

『良いよ!』


 すぐに返信が来た。ちょうどスマホを触っていたのかな。なんにせよ、良いタイミングだったみたいだ。


「どうしたの、藤代さん。それ、彩織ちゃん?」

「うん、見て。今日はうちに来なよ、双葉さん」


 スマホを画面を見せると双葉さんは目を見開き、驚いた。


「え、良いって。邪魔でしょう……?」

「彩織も私も良いって言ってるんだから来たら良いよ。流石に泊まりは無理だけど」

「泊まらない、泊まらない。ちゃんと帰る……けど、良いの?」


 こんなに遠慮している双葉さんも珍しい。何も気にすることないのに。


「良いよ。その代わり、ご飯作るの手伝ってくれる?」

「手伝う!」


 そうと決まれば夜ご飯のメニュー変更だ。料理上手な双葉さんがいるなら凝ったものが作れる。良い機会だから料理を教わろう……!

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