182.

 第一棟の東側、足立さんがいるラインに着くと既に通路で待っていた。時間もとっくに十一時を過ぎている。五分の遅刻だ。


「ごめん、足立あだちさん。待った……よね?」

「いえ、そんなに。ついさっきまでラインで作業してたくらいですし、気にしないでください」

「ごめんごめん。私が長話しすぎたんだよー」


 ひらひらと手を振りながら北山きたやまさんは足立さんに話しかける。後輩に対しても態度は変わらない。北山さんらしいな。


「絶対そうだと思いましたよー! 藤代ふじしろさんは時間を守るタイプなのに珍しいなって。北山さんが面談相手だったのなら納得です」

「え、それは流石に偏見じゃない? 私も時間守るよ?」

「たまに?」

「たまに。ごく稀に」


 あれ。この二人、いつの間にか仲良くなってる……?

 人見知りがちの足立さんがこんなに生き生きとお喋りできる相手は数少ない。未だに双葉さんと話す時は緊張しているみたいだったし。


「北山さんはどんな話をしたんですか?」

「ん? 内緒!」


 北山さんはニッと笑い、人差し指を唇に当てた。なんでもかんでも喋るわけではないらしい。……ひと安心だ。


「足立さん、行こうか。時間遅れちゃって申し訳ないけど面談始めよう」

「はい」

「そろそろ私もライン戻りますかねぇ。じゃあ、また実践で」


 北山さんと別れ、再び会議棟に向かって歩く。さっきと同じ小会議室を予約してある。終わる時間も決まってるし、時間通り進めないと。



「会議棟ってどんな感じなんですか?」

「どんな感じ……工場の中で唯一、高級感があるところ?」

「え、どんなのだろう。想像つかない……」


 頭に浮かんだままに伝えたけど、いまいちピンとこなかったみたいだ。

 ……行けば分かるさ。だって本当に工場の中とは思えない部屋ばかりだもん、あそこは。お金がかかってるんだなって行くたびに思ってしまう。来客がある棟だから当たり前のことなんだけど。







 会議棟に足を踏み入れた瞬間に足立さんは感嘆の声を漏らした。

 無理もない。私だっていつ来ても似たようなことを考えるのだから。


「どう? 高級感ある?」

「あります! 全然工場っぽくない。それに、このモニターに映し出されているやつもすごいです! お店の広告みたい!」


 入口には大きなモニターが設置され、数分ごとに画面が切り替わるように設定されている。所謂、サイネージというヤツだ。

 誰が中身を作っているのかは知らないけど、会社のイベントから社食のメニューまで。あらゆる情報がここに映し出されるのだ。


「サイネージはまだここにしか設置されてないんだけど、随時増やしていくらしいよ」

「へえ……こういうのがラインの近くにあると助かりますね。メールのアカウントを持っていないので貴重な情報源になりそうです」

「ああ、そうか……確かに……」


 ラインで現場仕事をしている人たちはパソコンを使わない。だから会社のメールアカウントを持っていない。

 管理者からの口頭での連絡事項だけでは漏れがあるだろうし、何より聞くより見たほうが早い。野中さんに相談してみても良いかもしれないな。

 元々、次に設置するなら事務所前が良いという話だった。だけど足立さんの話を聞くと現場近くに設置のほうが良い効果がありそうだ。


「次にサイネージを設置する時に提案してみるよ。現場の人が見れる場所にあったほうが良いね」

「ぜひお願いします」






 エントランスを通り過ぎ、階段を上る。さっきまでいた会議室に今度は足立さんと二人きり。

 さて。どう切り出したものか……。


「えっと。この面談は先輩相手になんでも自由に話してねって感じなんだけど……どう? 何か悩みとか、ある?」


 我ながら下手くそな切り出しだと思う。だけど、他の言い方が思いつかなかったのだから仕方がない。


「悩み、ですか……」

「悩みじゃなくても、愚痴でも困っていることでも。なんでも良いよ? 今思ってることを正直に聞かせて欲しい」


 右手を口元に当て、足立さんは考え込んでしまった。言うべきか否か。迷っているように見える。


「……悩みってほどじゃないんですけど」

「うん」


 足立さんは言い辛そうにポツリポツリと話し始めた。私はそれを遮らないように静かに耳を傾ける。


「私、このままで大丈夫かなって不安になるんですよね……」

「大丈夫っていうと?」

「みんなの足を引っ張ってないかなって。仕事には慣れてきたけど、まだまだ他の人と比べると作業が遅いですし……」

「他の人は何年も同じ作業をしてるから、自然と作業スピードも速いと思うよ」

「それは分かってるんですけど……」


 どうやら自分の仕事の出来に不安があるようだ。傍から見てる分には何も問題なさそうだけど、ラインの中で仕事をしているとそうも思えないらしい。さっきから足立さんの表情は曇ったままだ。


「焦らなくて大丈夫。生産する上で一番大事なのはスピードじゃないから」

「でも、出荷が迫ってるって……」

「出荷日が決まってるから焦るのも分かる。だけど納期よりも大事なのが安全と品質なの。SQDCって聞いたことある?」

「名前だけ聞いたことがあります」

「安全、品質、納期、原価の頭文字を取ってSQDCって呼ばれてるんだけど。この順番通りなんだよ。Sが最優先、つまり安全が最優先なの」

「安全、ですか……?」


 いまいち理解が出来ていない。それが分かるほど足立さんの眉間に皺が寄っている。

 もしかしたら、この辺りの説明をしてもらっていないのかもしれない。だったら丁寧に説明しないと。


「一番大事なのは怪我せず安全に働くこと。次点で一定の品質を保つこと。納期と原価は二の次だよ。遅れたっていい。怪我して納期を間に合わせたって何の意味も無い」


 これは私が入社してすぐの頃、甲斐かいさんに言われた言葉だ。

 クライアントに納期短縮を依頼され、焦って作業をしていた時に言われた。お客様の納期に間に合わせることより、お前が怪我しないことのほうが大事だって。

 だから私も同じことを足立さんに伝える。足立さんだけじゃなく、これから先ずっと後輩に伝えるつもりだ。


「でも、怒られませんか? 納期に間に合わなかったら」

「誰も怒らないよ。怒っちゃいけない。無理な生産計画を組んだ管理者が悪い」


 ここまで言い切ると足立さんも安心出来たようで、少しだけ表情が和らいだ。

 今までずっと作業スピードについて悩んでいたなら、もっと早く話を聞いてあげれば良かったな……。


「藤代さんは何でも知ってますね。すごいです!」

「……うん。結構いろいろ知ってると思う、会社のこと。だから安心して何でも話してよ。私で解決出来るか分からないけど、きっと気が楽になると思うから」

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