179.

「おはようございまーす……」


 緊急事態だったとはいえ、昨日一日休んでしまった後ろめたさで心が痛い。いつもより静かに、こっそりと事務所に入ろうと——



「お。藤代ふじしろさん、おはよう! どうしたんだ? そんな腰曲げて。筋肉痛か?」

山木やまきさん……おはようございます」


 自分の席に辿り着く前に山木さんが声をかけてきた。声をかけてくれるのは嬉しいけど、声が大きいから……。


「藤代さん、おはよー」

「もう体調は大丈夫なんか?」

「野中が住所教えないから、お見舞い行けなかったよぉ」


 私の入室に気付いた人たちがわらわらと集まってくる。……田舎の転校生みたいで苦手だな、こういうの。嬉しいんだけどね。


「ええと。すみません、昨日はお休みしてしまって……」

「野中から聞いたよー。風邪引いたんだって? 季節の変わり目は体調崩しやすいから気を付けんとな」

「え。……はい、すみません。気を付けます」


 ちらりと野中さんに視線を向けるとウインクが帰ってきた。どうやら私の欠勤理由は体調不良になっているらしい。野中さんが気を利かせてくれたみたいだ。


「すみません、すみません……」


 頭を下げつつ、なんとか自分の席に辿り着いた。こっそりどころじゃなかったな……。


「藤代さん、おはよう。大丈夫だった?」

「はい。もう大丈夫です。……お気遣いありがとうございました」

「いーえ。どういたしまして」


 野中さんは唯一、事情を知っているからなんとも頭が上がらない。また借りが出来てしまった。



「そんなに気にしなくて良いよ。有給なんて好きに使ってくれて良い。俺も好きに休むからさ」

「……ありがとうございます」


 暗い表情を浮かべていたのがバレてしまったようで、野中さんは再び私に声をかけた。

 ……俺も休むからって上司に言われると罪悪感が薄れる。部下はきっとみんなそう思うじゃないかな。

 きっと野中さんはそれを分かった上で言っている。本当に、上手い。







「おはようございまーす。朝礼始めますよーっと」


 ゆるっとした空気で朝礼が始まった。野中さんがこういう空気で朝礼を始める時は仕事が切羽詰まっていない証拠だ。私が休んでいる間に何事もなかったようで安心する。


「えーっと、今日の予定は……松野まつのと藤代さんが若手面談入ってるな。二人ともよろしく」

「はい」

「うっす」


 この朝礼が終わったら早速面談に向かうのだ。先に北山さん、その後に足立さん。

 二人には会議室でやると伝えておいたけど、足立さんは慣れていないだろうし、迎えに行ったほうが良いかもしれないな。


「あとは、そうだな。俺が午後に打ち合わせ入ってるのと……多井田おいだもだっけ?」

「はい。次の実践研究の打ち合わせを昼イチにやる予定です」


 ああ、そうか。それもあった。次は生産性向上の実践がある。

 実践研究の中で最もお金にシビアな実践だと聞いている。

 ラインにいた時にまた聞きした程度だからなんとも言えないけど、効果を刈り取れないと物凄くダメ出しされるとかなんとか。

 またみんなの前で報告して、質問攻めされることを思うと気が重い。


「うちの実践テーマはもう決まってるから。ノセのラインで実践するんだけど、正味時間削減と稼働率向上でいくから」

「チームは二つ作る予定です。この前みたいに年代別で分けるかは決めてないけど。どういうチームが良いんですかねぇ」

「俺の意見は良いから、打ち合わせに来るメンバーで決めて来いよ。現場の奴らが来るんだろ?」

「現場メンバーと課長、職長が集まる予定です。チーム分けとか諸々詳細決まったらまたお知らせしますね」

「そんなところか。じゃあ、朝礼終わろうか。唱和しまーす。安全行動ヨシ! ゼロ災でいこうヨシ!」


 いつも通り全員で安全唱和をして朝礼は終わった。一日休んだだけなのに、久々感がある。長い休みが明けた後みたいな。





「藤代さんたちはどこで面談やるの?」

「私たちは小会議室を取りましたよ」


 二人分の書類を片手に会議棟に向かっていると松野さんが隣にやってきた。両手に私と同じ書類を抱えている。


「結構早めに会議室予約した?」

「月曜日の午前中には」

「やっぱそうかぁ。俺、取ろうとしたら全部埋まっててさぁ」

「え、じゃあ今日はどこでやるんですか?」

「うん。会議室使えないから応接室借りた」


 応接室と言えば少し懐かしい。楓さんに再会した場所だ。

 あの時は焦ってゆっくり出来なかったけど、かなり豪華な部屋だったような……。ソファにテレビに高級そうな絵画。ああ、プロジェクターもあったっけ。

 とにかく豪華な部屋だったことは覚えてる。


「応接室で面談って……めっちゃ豪華ですね」

「俺もそう思うよ。まあ、面談の目的がリラックスして先輩に相談するってことらしいし、ちょうど良いかもしれないけど」


 会議棟の階段を上り切り、松野さんは片手を振りながら応接室へと入って行った。

 ……さて、私も。

 私が予約した小会議室のプレートは既に使用中になっている。先に北山さんが来ているみたいだ。早いな。


「……んんっ」


 咳払いを一つ。

 いつも私と話すときは茶化しまくっている北山さんだけど、案外悩みがあるのかもしれない。だからこそ私を指名したのかもしれない。

 先輩としてちゃんと相談に乗らないと——

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