137.

藤代ふじしろさん。実践は順調ですか?」


 双葉ふたばさんと一緒に手直しをしていると背後から声が聞こえた。野中さんでも多井田おいださんでもない、男の人。この声は誰だったかな……。


「…………工場、長?」


 振り向いて顔を見た瞬間、驚いて手が止まってしまった。まさかこんなところに工場長が直接見に来るとは。


「やあ。巡回がてら見に来ました。藤代さんがチームリーダーなんですね。どうでしょうか、若手チームは」

「順調、だと思います。是正はほとんど終わっている状況です」


 短く返答し、作業の続きに戻ろうとしたが、背後から視線を感じる。

 振り向くと工場長が興味深そうに私たちを見据えていた。


「…………あの。まだ何か?」

「ああ、いや……。是正はほとんど終わっているのに、まだ現場改善をしているみたいだから。どうしてかなと思いましてね」

「これは……手直しです。私たちが是正しても作業者の方が納得されない、使いにくいのなら意味がありませんから。守れないルールに価値はありません」

「それが今回の、藤代さんたちのこだわりですか?」

「はい。実践を始める前にそう決めました」


 動揺して上手く答えられなかった前回とは違う。ちゃんと実践が始める前に、あらかじめ決めていたからすんなりと答えられた。同じ失敗は繰り返さない。


「なるほど……」


 工場長は目を細め、ほう、と息を漏らす。私も双葉さんも、それが感嘆の声であることはすぐに見て取れた。


「……どうでしょうか? 私たちの実践の進め方は」


 でも工場長から見れば、私たちはまだまだ至らないのかもしれない。ここでアドバイスを受け取れるのならば貰っておくべきだ。それはきっと、明日の報告会にも生きるはずだから。

 ごくりと生唾を飲み込み、工場長の言葉を待った。


「いやいや、大変良い進め方をしていますよ。ちゃんと私が言った通り、こだわりを持って取り組んでいますね。素晴らしいです。どうか自信を持って、このまま続けてください」

「ありがとう、ございます……」


 褒められて、肩の力が抜けた。

 どうにも私は工場長や課長に怖いイメージを持ってしまっている。前回の実践で質問攻めにされる松野まつのさんを見たからに違いない。それまでは何とも思っていなかったのに……。

 あれは怖い。自分じゃなくても、その場で見ているだけで肝が冷える。


「これなら明日の報告会も安心ですね。高校生の生徒さんたちも見に来るようですし、ぜひ先輩の頑張る姿を見せてあげてください」

「はい……!」


 工場長は最後に君たち若い世代に期待していると言い残し、去って行った。



「緊張した?」

「うん……。前に双葉さんが言ってたことが、今日ようやく分かった気がする……」

「でしょ! やっぱり偉い人を前にすると緊張するんだよ。別に気にすることなんて何もないはずなのに」

「なんていうか、目が……強いんだよね」


 工場長は私たちの顔を見ているわけでも、作業している手元を見ているわけでもない。もっと深く、私たちの本質を捉えている。そう錯覚してしまうほどに強い目だった。






「……もうすぐお昼休憩だね」

「本当だ」


 あと数分でお昼休憩。時間が過ぎるのがあっという間だ。午後からは足立さんたちの資料を確認しないと。ああ、私が喋る内容も考えないと。それから。それから——


「鳴ったね。休憩行こう」

「……うん」


 午後の予定を考えているうちにチャイムが鳴ってしまった。

 今日もお弁当派は双葉さんだけらしく、二人揃って木の下の休憩所へと向かった。





「疲れた……」

「流石にちょっと疲れたね」


 ベンチに腰掛けるや否や、つい弱音が漏れてしまった。

 普段とは違う、慣れない仕事は本当に疲れる……。


「藤代さんはよくやってると思うよ、本当に」

「本当……? だと良いけど」

「リーダーの仕事もあるだろうに、北山さんの分まで手伝って。そんなに頑張ってたら疲れちゃうよね」

「うん……」


 背もたれにゆったりと身を委ね、目を閉じる。ここには双葉さんしかいないし、少しくらいだらしなくても許されるだろう。

 身体の力を抜いて、目を閉じて。たったそれだけで随分楽になる。このまま少しだけ寝てしまいたい——







「…………藤代さん」


 どれくらいの時間、目を閉じていただろうか。双葉さんの気配を感じる。多分、かなり近くにいる……と思う。

 うとうとしている時間が心地良くて、目は開けられそうにない。出来ることならもう少しだけ、このままで……。


「もう少しで休憩終わっちゃう。そろそろ起きて」

「…………」


 とんとん、と私の肩を優しく叩いた。

 頭はちゃんと起きてる。あとは目を開くだけなんだ。だけど、一度閉じた瞼は重い。


「藤代さん、起きてるでしょ絶対。ちゃんと目開けて」

「……うぅ……起きる……」

「大丈夫? 午後も頑張れそう?」


 双葉さんは心配そうに私の顔をのぞき込み、右手を差し出した。


「ありがとう。大丈夫、頑張るよ」


 その右手を掴み、立ち上がる。

 まだ実践は終わっていない。報告会は明日だ。……まだ、止まるわけにはいかない。

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