109.

「北山さん。ちょっと良い?」

藤代ふじしろさんじゃないですか! どうしました?」


 ラインの外から声をかけると北山さんは嬉しそうに手を振ってくれた。ラインに入っても良さそうだ。


「どうしたんですか、第二棟に来ちゃって。私? もしかして私に用事ですか?」

「北山さんというか、北山さんのラインに用事があるというか……。まあ、良いや。ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど。ラインの中、一緒に歩こ?」


 管理者机でパソコンの画面とにらめっこしていた北山さんを連れて、ラインの中を歩く。

 北山さんが班長を務めるこのラインでは丁番ちょうばんを生産している。

 丁番とは扉や家具の取り付けには欠かせない、蝶番ちょうつがいとも呼ばれる部品だ。

 第一工程である切断から最終工程である梱包まで北山さんと一緒に見回った。


「うちのラインを改善してもらえるんですか?」

「安全面でね。次の安全実践研究がここなんだって」

「あー、うっすら聞いてますよ。お前も参加しろって職長に言われました」


 おおよそ野中さんに聞いていた話の通りだ。やっぱり次の安全実践研究は現場、改善チーム、品質保証課で共同実践するらしい。

 私と北山さん、品質保証課からは双葉ふたばさんと汐見しおみくん。妙に若手が揃っているのが気になるところだ。


「北山さんは安全実践研究に参加したことあるの?」

「ちゃんと最初からってのは無いですね。是正ぜせいだけなら手伝ったことありますけど。藤代さんはあるんですか?」

「無いよ。私も初めて」

「ですよねー。急に若手ばっかり集めてどうするつもりなんですかね」


 北山さんも誰が参加するのか知っているそうだ。私と同じく、若手の参加者が多いことを気にしている。


「確かに若い人多いよねぇ……」

「若手人材育成ってやつですかね。それで言うと藤代さんが先頭走ってますね」

「いやいや、無いから」


 北山さんは必要以上に私のことを持ち上げる癖がある。自分だって若くしてラインの管理者をやっているのに。


「そんなことありますよ。若手の星ですよ、藤代さんは」

「それ、誰が言ってるの……?」

「主に私が」

「止めて、本当に……」


 北山さんの軽口はとどまるところを知らない。そろそろストップをかけたい。


「っていうか、何ですか? 私に聞きたいことって。めっちゃ気になるんですけど」

「ここのラインってカッター使ってる?」

「使ってますよ。梱包でダンボールを切る時に」

「何本?」

「三本、かな……。一応、見てきます」


 言うや否や、北山さんは梱包工程へと向かって行った。

 その間に周りを見渡してみるとまだ他にも危ない箇所がある。次の安全実践研究で全部是正出来ると良いけど……。


「藤代さん! 三本でした!」

「ありがとう。三本、ね……」

「なんでカッターの本数を気にするんですか?」


 メモ帳にカッターの本数をメモしていると北山さんは不思議そうな顔で覗き込んできた。


「ダンボール用カッターに変えようと思って」

「え、なんでですか?」

「ほら、最近カッターで指切った災害あったじゃん。だからダンボールとか、そんなに切れ味必要じゃないものは変えていこうって」

「あー……?」

「もしかして忙しくてメール見てない?」


 なんとか思い出そうとしているけど、詳細が浮かばないらしい。

 一緒に管理者机に戻り、メールを開くと災害速報の文字が。メールは未だ開かれず、未読マークが付いている。


「あー、これか……。先週末の夜に送られてきたやつですね。あっぶねー。今日の昼礼でラインメンバーに情報共有しますね」

「そうしてあげて」


 あと確認しておきたいのは……。


「ああ、そうだ。設備チェックシート見せて」

「え。たくさん設備ありますけど、どの設備のチェックシートですか?」

「どれでも良いよ。なんか適当に……これで良いや」


 ちょうど近くにあった油圧加工機に付いていたチェックシートを手に取った。

 今日は六月十四日。今日の日付のチェック欄は……点検済だ。管理者ハンコは……。


「ここ。管理者ハンコだけ全部押しといたほうが良いよ。安全実践研究の時に指摘されたら面倒だし」

「あー、いつも月末にまとめて押しちゃってますねぇ……。すみません、後で押しておきます」

「うん、お願い」


 残りの問題点は安全実践研究の時にみんなで見て行けば良いかな……。それとも区画とかは今のうちに確認しておいたほうが良いかな……。


「すみませーん! 班長ー!」

「あ、呼ばれてる。すみません、ちょっと行ってきますね。はいはーい!」


 作業者に呼ばれ、北山さんは検査工程へと向かって行った。

 ……どうしようかな。写真だけ撮ったら私も事務所に戻ろうかな。



「藤代さーん! ちょっと来てもらえませんかー!」

「はーい!」


 思い立って、カメラをカッターに向けるとすぐに私を呼ぶ声が聞こえた。すぐに返事をして、私も検査工程へと向かう。


「すみません。この名札なんですけど……」

「うわ、バッキバキじゃん」

「さっき引っ掛かって壊しちゃったみたいで。代わりを作ってもらえるように頼んでもらえませんか?」

「誰に……?」

山木やまきさんに。確かこういうの担当でしたよね? 事務所に戻った時で良いのでお願いします。これ、作業者の名前を書いておいたので頼む時に渡してください」

「え……山木さんと喋ったことないんだけど……」

「大丈夫ですよー。藤代さんとあんまり歳変わらないでしょ!」

「二つ年上——」

「じゃ、任せました! 私これから打ち合わせあるんで!」


 北山さんは逃げるように去って行く。こういう時は本当に動きが素早い。



「山木さん、か……」


 私と同じ事務所だけど席は離れているから話したことはない。見事に北山さんに押し付けられてしまった。

 話したことない人と話すのは緊張する。年上だと尚更だ。

 不安な気持ちを抱えつつも、私は第一棟へと戻ることにした。

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