80.
「店員さーん! ハイボール一つ! あと生一つ!」
「はい! 喜んでー!」
呼び出しボタンなんていざ知らず、店内に野中さんの声が響き渡る。負けじと、店員さんの声も響き渡る。
このお店で飲み始めて二時間弱。ペースが早い野中さんは既に八杯目。そのペースについていけず、ちびちびと酎ハイを流し込む。
「
「巨峰の酎ハイです」
「でも、もう空じゃん。次なに飲む?」
「えっと……」
最後の一口を飲み込み、野中さんから手渡されたメニューに目を通す。
……今日はいつもよりペースが早い。もう四杯も飲んでしまった。そんなにお酒に強いわけじゃないし、ほどほどにしておかないと。
「これ美味しかったよ。俺がさっき飲んだやつ」
「え。……飲んだことないやつですね」
隣にいた
「抹茶とかイチゴミルクがあるよ。俺はさっき抹茶飲んだ」
「うーん……じゃあ私も抹茶で」
「すみませーん!」
すかさず野中さんが声を張り上げる。すぐに店員さんが現れ、注文を取ってくれた。なんかさっきから私たちの席ばっかり注文しているような……。
「そういえばさぁ、この前の品質実践。品証の課長やばかったなぁ」
「本当っすよ! 言ってることは正しいけど、言い方が無理っす」
「品証の課長はいつの時代もあんな感じですよ」
話題は会社の話。日中に言えない愚痴をお酒の勢いに任せてぶちまけている。
言わないだけでやっぱりみんな何かしら抱え込んでいるんだ……。
「藤代さんと
「やっぱ女の子には優しいんすかねぇ……」
「お前は何回も実践出てるし、厳しくて当たり前だろ」
私もそう思う。あの日の工場長は明らかに私たち二人には優しかった。
「てか藤代さん。最近どうよ?」
「え、どうって……?」
「改善チームに異動になってさぁ、嫌だなーって思う時ある?」
「報告は嫌ですね……」
「俺もー!」
「俺も嫌だー!」
「お待たせしました。カルーアミルクの抹茶になります——」
店員さんからグラスを受け取ったものの、とてもお酒には見えなかった。本当に抹茶が入っているみたいな……。
「……あまい」
「マジで普通の抹茶みたいだよなー」
「松野、いつもそればっか頼むじゃん」
「カルーアミルク、めっちゃ好きなんすよ」
三人の話に耳を傾けながら、ごくごくと喉を鳴らす。
さっきまで飲んでいたカクテルや酎ハイとは全然違う。お酒って感じが全くしない。これならいくらでも飲めそう。
「すみません、ラストオーダーになります」
「早かったなぁ。とりあえず俺、ハイボールね」
「じゃあ俺は生で」
「俺は……ジントニックかな。藤代さん、何にする?」
「カルーアミルクのイチゴミルクで」
松野さんが手渡してくれたメニューには目を通さず、さっきから気になっていたイチゴミルクを頼んでみる。さっきの抹茶と同じでごくごく飲めそうだったから。
「なんかもう、何話したか覚えてないけど。藤代さん、改善チームどう? やっていけそう?」
「はい。だいじょうぶです」
「
「俺は頼りになるっすよ。多井田さんは知らないっすけど」
「いやいや、俺も頼ってくれて良いし。今日このお店まで藤代さんをエスコートしたの俺ね」
会社と同じ、コントみたいなやり取りが続く。やっぱり面白いなぁ……。
ぼんやりとみんなの話を聞いていると最後のドリンクが手渡される。一人だけお酒じゃないみたいで、少し可笑しい。
「えー、
立ち上がった野中さんが大きな声で話し始めた。
さっきまで喋りっぱなしだった多井田さんも松野さんも静かに野中さんの話に耳を傾ける。
「そろそろお時間となりました。締めの挨拶を……じゃあ、多井田」
「えっ! 俺ですか!」
急な無茶振りに動揺しつつも、多井田さんも立ち上がる。
「えー、本日は藤代さんの歓迎会ということで……」
「なげーよ!」
「それは最初の挨拶で聞いたっす!」
「じゃあ締めだけやります! 一本締めで! お手を拝借!」
そう言って多井田さんは両腕を上げ、手のひらを上に向けた。
さっきまで野次を飛ばしていた二人も同じように両手を差し出す。私もそれに倣い、同じポーズを取った。
「イヨーオッ!」
パパパン、パパパン、パパパンパン!
一人もズレることなく、手拍子が店内に響き渡る。
「ありがとうございましたー!」
拍手。四人のほかに近くにいた店員さんも。割れんばかりの拍手に包まれ、歓迎会はお開きとなった。
「う……気持ちわる……」
「いつものことながら飲みすぎっすよ……」
松野さんが野中さんを支えながら、トイレへと連れて行く。飲むペースが早いのも、最後に気持ち悪くなるのもいつものことらしい。
「——はい。すみません、よろしくお願いします。……あれ、松野と野中さんは?」
「トイレに行きましたよ」
電話をかけていた多井田さんが戻ってきた。
「もうすぐ野中さんの奥さんが車で迎えに来てくれるから大丈夫そう。俺と松野は一緒に送ってもらうけど……藤代さんも一緒に乗る?」
「いえ……自分で帰るので大丈夫です」
多井田さんは一瞬困った顔をしたけど、知らんふりをした。
だって多井田さんたちの家と私のアパートは方向がまるきり逆だ。一緒に乗り合わせるには都合が悪い。それを知っていたから丁重に断った。
「そっか……。気を付けて帰ってね。何かあったら連絡して」
「分かりました。今日はありがとうございました。ご馳走様でした」
丁寧にお礼を言って、駅へと向かう。
小道を抜け、大通りへ。
飲み屋から出てくるサラリーマン、路上で騒ぐ大学生。街ゆく人々を躱しながら、ゆっくりと歩く。
……頭痛い。
お店を出た時は何も感じなかったけど、急にお酒が回ってきた。頭も痛いし、ちょっと気持ち悪い。
「はぁ……」
誰もいないベンチに腰を下ろす。
大きなため息を吐いてみたものの、頭痛は治らない。目を細めて辺りを見渡したが自販機もない。お水を買うには駅まで戻らなきゃいけない。
「…………」
いけないと分かっていながらも、瞼が重い。長い瞬きを繰り返しているうちに本当に寝てしまいそうだ。
ちゃんと起きて帰らないと——
「………………
誰か、呼んだ……?
ぼんやりとした視界に手を差し伸べる誰かがいる。
だけど、もう——
「ちょ、っと……。はぁ、しょうがないな。家は前と変わってないよね?」
誰かに抱きかかえられながら、私はそのまま意識を手放した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます