79.

「じゃあ藤代ふじしろさんは、まずは第二棟から改善していきたいんだね?」

「はい。昨日、棟内を見て回ったんですけど、色々……改善が必要みたいだったので」


 写真を見せながら、改善したいポイントをいくつか挙げていく。

 ラインテープの貼り直し、台車区画、物の置き場。思いつく箇所はいくつもある。品質も安全も、足りないものだらけだった。


「確かにこれは……もう安全実践研究をこのラインでやるかなぁ」

「え。安全実践研究ですか?」

「うん。次も多井田おいだ主幹しゅかんなんだけど、まだどこのラインでやるか決めてなくて。ほらこのライン、北山きたやまさんもいるし、ちょうど良いじゃん」

「はぁ……」


 何がちょうど良いんだろう。

 前から思っていたけど、野中さんは私を同じ世代の人と関わらせようとする。双葉ふたばさんや足立あだちさんが良い例だ。


「北山さんはめっちゃ藤代さんに懐いてるからね。話しかけてあげてよ」

「それずっと気になってたんですけど、なんであんなに私に話しかけてくるんですかね? 北山さんは高校の時から面識があったわけでもないんですが……」


 双葉さんや私のように北山さんも大商出身だ。歳が一つ下。つまり私とは二年間も同じ学校に通っていた。

 だけど彼女のことは知らない。少なくとも高校時代は関りがなかった。

 会社に入って二年目、新入社員である彼女が私に話しかけてきたのがファーストコンタクトのはずだ。


「それは本人に聞いてみなよ。俺が勝手に喋るわけにいかないし」

「はぁ……分かりました。今度会ったら聞いてみます」


 野中さんはその辺りの事情を知っているらしい。勝手に話すのが良くないのは分かるけど……気になる。

 あの北山さんが素直に教えてくれるか分からないけど、聞いてみよう。


「……って、やべぇ! あと五分で定時じゃん!」

「え……あ、本当だ」


 言われて時計を見ると時刻は五時二十五分。あと少しで仕事終わりのチャイムが鳴る。


「藤代さん急いで工数入力して! 今日は定時ダッシュだから!」


 焦る野中さんに急かされ、急いで工数を入力した。ついでに野中さんの分も。

 飲み会があるのは分かるけど、こんなに定時にこだわるとは思わなくて少し驚いた。集合時間は七時だ。例え定時じゃなくても十分間に合うだろうに。


「さ、事務所戻ろう! 机の上、片付けないと!」


 野中さんに背を押され、急いで事務所へと戻る。既に多井田さんと松野さんの机はきれいに整理されていた。


「やべぇ、俺も片付けないと」

「もう俺ら片付けたんで、余裕っすよ」


 その光景を見てポカンとしてしまう。

 いくらあと数分だと言ってもこんなあからさまに帰る準備をして良いんだろうか……。他の人から何も言われないのかな……。


「改善チームは……今日何かあるの?」


 私たち、改善チームの机の近くにいた係長が不思議そうな顔で話しかけた。

 どうしよう、怒られる……?


「今日は藤代さんの歓迎会なんですよ。だからうちは全員定時ダッシュです」

「そっかぁ、良いなぁ。どこの店行くの?」

上大沢かみおおさわ駅の——」


 怒ることなく係長は野中さんたちと楽しそうに話している。

 てっきり、こんな早く帰る準備をしてって言われるかと思った。絶対に怒られると思ったから拍子抜けだ。


「お、チャイム鳴ったぞ。帰れ帰れ」

「うっす。お疲れ様でーす!」


 ガタガタと慌ただしく立ち上がり、事務所を飛び出していく。その波に乗り切れなかった私はゆっくりと立ちあがる。


「すみません、お先です」

「お疲れ様。飲み会、楽しんでおいで」


 係長に手を振られ、どうして良いか分からず会釈した。もう一度お疲れ様ですと声をかけ、私もみんなの後を追う。








 いつもよりも早くアパートに着いた。仕事着を洗濯機に突っ込み、私服へと着替える。時間は……まだ余裕がある。十八時半までに家を出れば集合時間に間に合う。

 もう少しここで時間を潰そうと思ったが、落ち着かない。部屋の中を行ったり来たり。

 これじゃあ下の部屋の人に迷惑だろうし、もう出ようかな。

 アパートを後にし、ゆっくりと駅に向かって歩く。

 駅に着くとちょうど上大沢駅に向かう電車が到着するところだった。早いけど、それに乗る。

 遅れるわけにいかないし、もしかしたらこれくらいの時間がちょうど良いのかもしれない。

 窓から見える夕陽に目を細め、ただ静かに到着を待った。






「あれ、藤代さんじゃん。早いね」

「多井田さん。一緒の電車だったんですね」


 上大沢駅のホームに降り立った瞬間、後ろから声をかけられた。ずっと窓の外を見ていたから全然気づかなかったな。


「俺の最寄り、ひがし水積みずみでさぁ。これに乗らないとギリギリになっちゃいそうで。お店まで一緒に行こうか」

「はい」


 多井田さんの半歩後ろを歩く。上大沢駅には慣れているつもりだけど、これから向かう居酒屋さんには行ったことがない。少しだけたどり着けるか自信がなかったから正直助かった。


「藤代さん、こっち」


 多井田さんは駅を出て、慣れたように小道に入って行く。野中さんから徒歩十分で着くって聞いているけど、どこにあるんだろう……。




「この店!」

「……ここですか?」


 赤い壁にギンギンに照らされたライト。一言で言うなら大人が行くお店。二十歳を越えて数年が経っているはずの私でも少しだけ足がすくんだ。


「ちょっと早いけど、先に中入ってよっか」


 多井田さんは言うや否や、引き戸を開ける。


「すみませーん! 野中で予約してます!」

「四名様の野中様ですね。お席にご案内致します。どうぞこちらへ」


 黒いエプロンをしたちょび髭のおじさん。少しだけ怖そうだ。



「まだ集合まで十分あるなー。メニュー見てようか。藤代さんはどういうのが好きなの?」

「えっと……」


 飲み放題のメニューを手渡され、人通り目を通す。

 ビール、焼酎、カクテル、酎ハイ、ソフトドリンク。この中で私が飲めそうなものは……。


「カクテルと酎ハイ、ですかね……。多井田さんは何飲むんですか?」

「俺は……ビールかハイボールかなぁ」


 多井田さんが呟いた瞬間、勢いよく個室の扉が開いた。


「うーっす!」

「お疲れ様でーっす!」

「揃いましたね。店員さん、呼びましょうか」


 改善チームが揃い、ようやく席が埋まる。

 私の横に松野さん、向かいには野中さんと多井田さん。普段、事務所の中での席順と全く同じだ。



「じゃあとりあえずドリンクから——」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る