35.
「それじゃあ、
奇遇にも
だから双葉先輩って呼んでいるんだ。
「汐見くんは総合科だったよね?」
「はい。双葉先輩は経理科、でしたっけ。藤代さんはどこの科でしたか?」
「経理科だよ」
「あ、私と一緒だ」
懐かしい。私が高校生だった頃は総合科、経理科、情報科の三つに分かれていた。中学三年生の時、どの科を受けるか散々悩んだものだ。
同じ学校出身が三人も集まると思い出話に花が咲くというもの。
双葉さんも汐見さんも楽しそうに大商時代のことを話している。特に
「っと、点検終わりました。どちらも合格ですが、こっちの巻尺は少し金具が痛んでいますね。次回の点検では通らないかもしれません。購買担当に早めに相談されるのが良いかと」
「分かった。ありがとう」
汐見さんから受け取った巻尺には点検日である今日の日付、六月七日というシールが貼られていた。
これで私の担当のうちの一件が完了したわけだ。
「汐見くん、ありがとう。私たち戻るね」
「いえ、とんでもないです。ああ、そうだ。双葉先輩——」
双葉さんの耳元で汐見さんが何かを囁く。私がいる位置からは何も聞き取れない。
「それ、本当?」
「はい。本人から聞いたので」
「そっかぁ……良かった……」
何の話か分からないけど、双葉さんはホッと息を吐き、ひどく安心したように微笑んでいる。
話し終えた双葉さんは私に向かって口を開いた。
「ごめん、藤代さん。お待たせ。行こうか」
「あー……うん」
別にゆっくり話しても、と思ったが時間の流れは非情だ。壁にかかっている時計の針は十時を指していた。
二人合わせて残り五件。明日と明後日があるとはいえ、何が起きるか分からない。担当しているものは納期より出来るだけ早く終わらせておきたい。
「じゃあ僕も戻りますね」
そう言って工具を片付け始める。
「汐見さん、ありがとう」
初めて私から声をかけた。彼は意外そうな顔をして振り向いた。
「いえ。何かあったらいつでも言ってください。それに僕のこと、さん付けなんかしなくて良いですよ。汐見でも樹でも。呼びやすいように呼んでください」
「じゃあ、私も汐見くんって呼んでも良いかな」
「もちろんです」
爽やかに笑う汐見くんに再度お礼を言って、私たちは検査室を後にした。
「あー、休憩時間過ぎちゃったね」
私たちの会社では十時と十五時に休憩時間が設けられている。
人間の集中力は二時間以上維持するのが難しいから。一度休憩を挟むことによって再び気持ちを引き締め、良い仕事が出来る。確かそんな理由だったはずだ。
「二階の休憩所で休憩しない? 二階のほうが人、少ないと思うから」
「いいよ」
一階だと通りかかる人にサボっていると思われる。そう思ったのか双葉さんは人が少ない二階の休憩所を提案した。
再び自動ドアに迎えられ、管理棟に入った。
入口右手の階段を上り、二階に上がる。二階には応接室、給湯室、休憩室、打ち合わせルームなど製造課とは違い、お客さん向けに小奇麗にされた部屋ばかり並んでいた。
打ち合わせルームには使用中という札が立てかけられており、中からは怒号が聞こえる。打ち合わせ中なのか折檻中なのか分からないが、激しい言い争いが起きている。
「こっちだよ」
そんなことは日常茶飯事だとでも言うのか、双葉さんは気にせず給湯室に入って行く。私も慌てて後に続いた。
「コーヒーで良い?」
「うん。ありがとう」
慣れた手つきでインスタントのコーヒーを淹れてくれた。
受け取ったマグカップをまじまじと見ると取っ手の部分が猫の尻尾になっている。管理棟の誰かの趣味だろうか。
「多分今なら休憩室、誰もいないよね……。こっちで座ろう?」
給湯室を出て、双葉さんは隣の部屋の扉を開けた。
「おや。お疲れ様です」
「えっ……お、お疲れ様です」
双葉さんの予想に反して既に先客がいたようだ。一番奥のテーブルに腰掛け、私たちと同じようにコーヒーを片手にテレビを見ていた。
小柄な男の人。歳は……五十代後半くらいだろうか。髪の毛には白髪が混じっている。
管理棟にいる人なのか、私は面識がなさそうだ。
「品質の双葉さんと……製造課の藤代さんだったかな」
「は、はい。そうです」
「お疲れ様です。製造課の藤代です」
その人は何故か私たちの名前を知っていた。普段、管理棟にいる双葉さんはともかく、なんで私の名前まで……。
「今は品質実践研究の最中、かな。いつも改善ありがとうございます」
「い、いえ。こちらこそ勉強させて頂いてます」
「藤代さんは今回が初参加ですか?」
「はい。まだ教えてもらいながらですけど、参加させてもらってます」
やたら私たちの内情に詳しい。この人が誰なのか双葉さんにこっそり聞こうにも、すっかり緊張して固まってしまっている。
「ああ、時間ですね。私は戻ります。ここの電気、戻る時に消しておいてくださいね」
腕時計を一瞥し、いそいそと退出してしまった。
「……ねえ、双葉さん。今の人、誰だか知ってる? どこの課の人なのかな?」
「知ってるもなにもっ……」
私の質問がよほど見当違いだったのか、双葉さんは焦ったような声を出した。
「工場長だよ! うちの工場で一番偉い人!」
「……えっ」
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