20.
私と出会ったあの日までのことを
当事者じゃない私が聞いただけで気分が悪い、そんな話だった。
彩織の母親も、家に来る男も。学校の先生も。彩織に手を出そうとしたさっきの男も。なんで彩織の周りにはロクでもない大人しかいないんだろう。
自分のことは棚に上げ、会ったこともない大人たちに苛立ちを隠せない。本当にくだらない、ロクでもない奴ばかりだ。
「……
自分に対してイライラしていると勘違いした彩織が顔を青くして謝る。
違う。違うよ。彩織に怒ってるわけじゃないのに。
「引いてないよ、怒ってもないよ。だからそんなに怯えないで」
「羚さんに怯えてなんか……あれ?」
カタカタと震える自分の両手を見て、彩織は目を見開く。
「違う、違うの。羚さんに怯えてるわけじゃない。なに、これ。止まって。止まってよ……」
「大丈夫、落ち着いて」
震える手を優しく包み込む。
じんわりと手汗が滲むがそこは目をつぶって欲しい。
「羚さんは……なんでそんな優しいの?」
「優しい? 普通だよ、たぶん」
「……普通、じゃないよ。今までこんな優しくしてくれる人、私の周りにはいなかったよ」
普通だよ、こんなの。
彩織を初めて見た時、見て見ぬふりをするのは簡単だった。自分の部屋のドアの前に座り込む彩織は見るからに訳アリで、関わるのが
それでも目の前に傷ついて泣きそうな子どもがいたら放っておけない。後から心が痛むのは自分だから。
今にして思うとそんな消極的で利己的な理由だったのかもしれない。
ずっとそうなんだ、私って。
誰かのために、なんて善意で動いたことはきっと、ない。自分のために、自分が自分でいられるためにしか動けない。そんな利己的な人間。
「羚さんは特別だよ。特別、私に優しいもん」
そう言って私にしなだれかかった。ぐりぐりと甘えるように頭を私の胸元にうずめる。髪が当たって少しくすぐったい。
いくらなんでもくっつきすぎだ、やっぱり彩織は距離が近すぎる。最近の高校生ってみんなこうなのかな。
私から離れようとしない彩織を抱きとめていると、ふと違和感に気づいた。いつもとは違う匂い。きっとさっきの男だろう、彩織らしくない煙草とお酒の匂いがする。こんな匂い、早く消えてしまえばいいのに。
「……彩織?」
しばらくして彩織は動かなくなった。私の胸元に顔を寄せて、背中に手を回したままで。
「彩織」
もう一度声をかけたが返事はなく、すーすー、と寝息だけが聞こえる。
「寝ちゃったか……」
もう二時前だし、無理もない。私だって眠い。
疲れているだろうからゆっくり寝かせてあげたいがこの姿勢のままだとベッドに運べない。私に全体重をかかっているから立ち上がれない。寝ている人間ってなんでこんな重いんだろう。
「……んん…………」
「彩織? 起きた?」
「うん……」
彩織の寝顔を見ながら抱きかかえていると、目は開いてないが返事だけ聞こえた。もう少し話しかけたら起き上がってくれるかな。
「彩織、眠いところ悪いんだけどちょっとだけどいてくれる? そしたらベッドまで運べるから」
「ん-……」
「寝てる?」
「……起きてる……今、
ゆらりと彩織は立ち上がった。焦点の合ってない目でぼんやり私を見る。絶対頭は起きてないよね、これ。
「ベッドに運ぶからね」
曖昧な返事しかしない彩織に一声かけて、腰と足に手を添えて持ち上げる。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「よいしょ、っと」
私のベッドに寝かせる。家に入る前は床で寝るなんて言っていたけど、とてもそんなことはさせられない。
彩織に私のベッドを使ってもらって、私はソファーで寝ようかな。
そう思ってベッドから離れようとした。
「どこいくの」
ぐいっと袖を引っ張られる。
「私、ソファーで寝るから。彩織はこのままベッドで寝て良いよ」
「いっしょに、ねよ」
袖を掴んだまま私を見上げる。
「……」
「となり、きてよ」
「……そういうのは良くない。誰にでも言っちゃ駄目だよ。よく知らない大人には特にね」
彩織の手をやさしく解きながら諭す。
「もう眠いでしょ。寝ちゃいなよ」
うっすら空いている目を右手で
「……うん……眠い…………」
限界だったのか彩織はすぐに寝付いた。
この前、私の部屋で寝ていた時とは大違いのひどい顔。目元は腫れてしまっているし、時々涙が頬を伝う。
せめて夢の中だけは彩織に優しい世界であってほしい。そう願うばかりだ。
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