15.

「かんぱーい!」

「か、乾杯」


 双葉ふたばさんたっての希望で焼き鳥屋さんに来ている。駅前の、どこにでもあるチェーン店、値段もリーズナブルだしメニューも豊富だ。もちろんお酒の種類も多い。

 私は青りんごのサワー、双葉さんは生ビールを飲んでいる。今、双葉さんが飲んでいる杯で五杯目になる。

 会社を定時に出て一度家に帰ってから二人ともこのお店に来た。入店してから既に数時間経っているのに五杯目というのは実に良い飲みっぷりだと思う。

 五杯目にして五回目の乾杯。さっきから新しいお酒が運ばれてくるたびに私たちは乾杯を繰り返している。


「はぁ。金曜日最高……。金曜日にお酒飲むのほんっっと最高……」

「そんなに飲んじゃって、帰り大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。迎えが来るから」


 顔を赤くしながらひらひらと手を振る。

 私も双葉さんもここ、上大沢かみおおさわ駅から離れたところに住んでいる。私は電車で一つ隣の駅に。双葉さんはさらに二つ隣の駅に。

 私の方が先に降りるから心配だったが誰か迎えが来るみたいで安心した。



「まじでさ、今回の実践研究は絶対藤代さんと同じチームだと思ってたんだよね」

「そうなの? 黒部さんがなんか言ってた?」

「いーや、黒部さんは何も言ってなかった。そうじゃなくて、歳近いんだし仲良くしろよーみたいな。そんな感じの風潮あるじゃん、うちの会社。友達作りに会社に来てるわけじゃないのにね」


 双葉さんはお酒が入るといつもの三割増しで饒舌じょうぜつになる。笑い声もずっと絶えないからきっと笑い上戸というやつだ。


「あ、お酒なくなった。次何にしよーかなぁ。藤代さんは?」

「私はまだ飲み終わってないから大丈夫」

「んー、じゃあ何か食べる? 私、砂肝すなぎも食べたいなぁ」

「じゃあ、ぼんじり」

「りょーかい。すみませーん!」


 店内に双葉さんの元気な声が響き渡る。


「はい、喜んでー!」


 それに負けないくらい店員さんの威勢の良い声も響き渡る。


「注文お願いしまーす。なまを一つとぼんじりと砂肝」

「ぼんじりはタレと塩、どちらになさいますか?」

「塩で」

「かしこまりました。空いてるお皿とジョッキ、お下げしますね」


 注文を取り終えた店員さんが去っていく。


「んんー、次のが来るまで手持ち無沙汰だ」

「また生頼んだの?」

「生しか勝たーん!」


 今にも寝そうなくらいふにゃふにゃと笑っている。会社での双葉さんからは想像出来ない姿だ。

 というか今日は双葉さんの話を聞くために来たはずだけど、まだ肝心の本題に入っていない。

 この様子じゃ今日は何も聞けないんじゃないかな。

 でも双葉さんが楽しそうだしいいか、とも思う。





「うわ……」


 何の気なしにスマホを開くと既に夜の十時を回っていた。終電が迫っているというわけではないが、そろそろお店を出ても良い時間かもしれない。


「双葉さん、もう十時だよ。お迎えは何時に来るの?」

「んー」


 むにゃむにゃと机に突っ伏して寝ている。

 困ったな。誰が迎えに来るのか聞いてないし、連絡の取りようがない。それに双葉さんの家も知らないから送ることも出来ない。かと言ってこのまま放置も出来ないし。


「……双葉さーん」


 ゆさゆさと肩を揺らしてみるが起きない。時折寝言が聞こえるがいまいち聞き取れない。


「双葉さーん」

「んん」


 もう一度耳元で呼んでみる。くぐもった声が聞こえた。このまま起きてくれると良いけど……。


「わかばちゃん……だいすき……」

「え、ちょっと」


 誰かと間違えているのか、私の首に両手を回す。ぐいっと体重がかかり、私の体勢などお構いなしに引き寄せられる。

 双葉さんの首筋に鼻がくっつきそうなほど、距離が近い。

 香水だろうか、ふわっと柑橘かんきつ系の香りが鼻をくすぐる。


「んん……わかばちゃぁん…………」

「私はわかばちゃんじゃないよー……」


 両腕を背中に回し、さらに私を引き寄せる。なんだこの力強さ。しかも誰かと勘違いしているのだから余計ばつが悪い。


「んん……ただいまのちゅう…………」

「ちょ、っと。酔ってるよ、双葉さん!」


双葉さんの唇が迫る。

まずい。動けない。






「先輩、酔いすぎですよ」


 誰かが間に入って、双葉さんと私を引き離す。


「んん……」

「ほら、帰ろう?」


 まだ飲む、と半分寝ながら駄々をこねる双葉さんの手を引いて立ち上がる。


「すみません、うちの千秋ちあき先輩がご迷惑おかけして。お金、私が払います。いくらですか?」

「……え、ああ、いいよ。先輩の奢りとでも伝えておいて」

「……すみません、お言葉に甘えて今日はこれで失礼させていただきます。先輩、帰ろ?」

「んー……あ、わかばちゃんだぁ……」

「はいはい、家に帰ってからね」


 急に現れた女の子はほとんど目が覚めてない双葉さんを連れて店を出て行った。

 あの子が双葉さんがずっと呟いていたわかばちゃんなんだろうか。見たところ年下、下手したら十代に見える。

 妹さん……ではない、よね。あんまり似てないし。

 そうこうしているうちにお店の時計は十時半を指している。帰りの電車が片手で数えられるくらいしか残っていない。そろそろ私も出ないと。

 伝票を持ってレジに向かう。きっちり二人分払った。まさか一万円札一枚で足りなくなるくらい注文していたとは思わなかったけど。

 給料を貰っても生活費にしか充てていなかったから余裕はある。たまにはこんな使い方も良いかもしれないと思っているくらいだ。

 でもきっと双葉さんは真面目だから、月曜日に会ったら律義にお金返そうとするんだろうな。その時は先輩の奢り、とでも言って宥めようかな。割り勘するって聞かなそうだけど。

 そう言えば、結局同期と何があったのか聞けてない。さっきの女の子のことも聞きたいし。

 少しだけ月曜日が楽しみになった。品質実践研究は大変だけど、双葉さんもいるし、休憩時間にでも今日出来なかったことを話したい。

 早く月曜日にならないかな——。

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