2.

「おはようございます」


 現場事務所におそるおそる入る。今日から私の職場はここになるからもっと堂々と入れば良いのだろうけど、あまり来たことがない場所は緊張する。

 五年もこの工場に勤めているが自分の職場と休憩所、トイレくらいしか行ったことがない。      

 事務所は中にいる人が無言でずっとパソコンをカタカタ言わせていて怖いイメージがあるから苦手だ。


「おはよう。藤代さんだよね? 始業までここの席に座って待っててもらえるかな。朝礼が終わってから仕事の説明するね。あ、俺、藤代さんと同じ改善チームの野中のなかだから。よろしくね」

「はい。よろしくお願いします」


 誰にも声をかけられず入口で立ち尽くしていた私に眼鏡の男の人が話しかけてきた。野中さんの案内のもと、窓際の空いているデスクに座る。

 野中さん……見たことがある人だ。私が前にいた裏板生産ラインに改善に来たことがある。しかもその時は改善チームのリーダーだと言っていた。今日からあの人が私の上司になるのか。




「じゃあ藤代さん、自己紹介お願いね」

「はい。藤代ふじしろ れいです。よろしくお願いします」


 ラジオ体操が終わり、朝礼の後で私のことが紹介された。


「じゃあ俺らも順番に自己紹介しましょうか。朝も少し話したけど、野中のなか 彰人あきとです。改善チームのリーダーやってます。歳は三十六なのでオッサンです。よろしく!」

「……あ、俺? 右回りか。あ、えっと。初めまして。松野まつの さとしです。二十四歳だから藤代さんの一個上かな? よろしくお願いします」

「えー、多井田おいだ りょうです。三十歳です。野中さんよりオッサンじゃないです。よろしくお願いします」

「おい多井田、うるせーぞ!」



 この四人が改善チーム。そこに今日から私が加わって五人になる。私一人だけ女だけど大丈夫だろうか。少し不安になった。

 改善チームは去年の冬に新設されたばかりのチームだ。

 ラインにいた時に改善チームが発足しましたというお知らせは聞いたことがあったが、メンバーまでは知らなかった。


「当面の間、藤代さんにはパソコンを使った改善とか、現場改善とかをメインにやってもらおうと思ってます。女の子の目線で現場を見てもらった方が新しい事に気づける思ってね。俺がスカウトした」


 どや。と聞こえてきそうなほど野中さんは自慢げな顔をしている。私の異動の原因は野中さんだった。一体私のどこを見て、その仕事に向いていると思ったんだろう。


「とりあえず午前中は松野についてもらって工場見学がてら現場見ておいで。まだ藤代さんのパソコン設定終わってなくてここで出来ることなくてさ。俺、設定しとくから。それまでは松野のとこでよろしく」

「分かりました」

「じゃあ藤代さん、行こう」

「はい。お願いします」


 帽子を深くかぶり、現場事務所を出た。


「じゃあ端から順番に回ろうか。前にいたラインって裏板だっけ?」

「はい。そうです」

「俺もあそこ三か月だけ入った事あったなあ」


 松野さんは会話を止めて、足も止めた。


「ここ。足跡マークあるから止まって指差し確認ね。……ヨシ」


 松野さんに続き、右ヨシ、左ヨシ、前方ヨシ。足跡マークがあるところはぶつかる危険があるから指差し確認をする。安全行動の基本だ。


「あー、ちょっと待って。あそこのラインの人呼んでるわ。そっち先に寄らせて」


 ラインの作業者が手を振って松野さんを呼び止めた。なんだろう。


「お疲れーっす。どうしました?」

「松野さん、ここ。ここのテープが剥がれちゃって。時間ある時で良いから直してもらえないですか?」

「良いっすよ。ちょうど時間あるんですぐやります。藤代さんごめん、消耗品置き場に行って緩衝かんしょうテープ持ってきてくれる? あ、消耗品置き場が分かんないか。やっぱ一緒に行こう」


 来た道を引き返し、消耗品置き場に向かう。

 現場事務所を通り過ぎ、改善室も通り過ぎる。もっと東へ歩くと消耗品置き場と書かれたプレートが目に入った。


「何をどれだけ持っていっても良いけど、持っていく時は持ち出し用紙に忘れず記入すること。うるせぇおつぼねババアがいるから気を付けて」


 けらけらと笑いながら緩衝シール、松野と記入する。なるほど、このみんなが記入した用紙を見て担当者が補充したり、足りない分を注文しているのか。原始的だが間違いがないなと思った。

 消耗品置き場を出て、もう一度さっきのラインに向かって歩きだした。指差し確認も忘れずに。


「これで養生するっすわ。ちょっとだけ作業止めちゃうけど良いっすか?」

「松野さんならすぐだし大丈夫だよ」

「あざっす。藤代さん見てて。このテープを作業台の受けの部分に貼る。そうすると、ほら、こうやってステンレス置いてもキズが付きにくくなるんだよ」


 丁寧に説明しながら作業を見せてもらった。この緩衝テープがあるかないかでキズがつきにくくなる。キズがつくと商品として出荷できないからイチから作り直しだ。でもこのテープで作り直しが発生しなくなるんだ。


「松野さんありがとう。やっぱり改善チームに頼むと早くて助かるわ」

「いえいえ。また何かあれば言ってください」


 作業者にお礼を言われ、ラインを後にした。松野さんは作業者からものすごく信頼されていると思う。見ていて分かる。


「こういう小さい改善から大きい改善まで。なんでもやるのが改善チームなんだ」


 帽子をくっと上げ、松野さんはニヤリと笑った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る