ep.26 紫電清霜



 アルテュール・カイゼルが幼少期に植え付けられた感情は劣等感だった。


 父が医者を営む一家の次男として産まれた彼に居場所は無かった。将来、父の跡を継ぐに相応しいほどの才覚を見せる兄に弟はその大きな影に埋もれていった。

 その家に役に立つことは何一つ出来なかった。その全てが兄の下位互換であり、アルテュールが何か動けば兄の足を引っ張る結果となる。


 それに気付いたのは、アルテュールにも弟である三男が産まれた時だった。兄らの真似事をしだす年頃になってきた時、弟が心底邪魔で仕方なかったと感じた。そしてそれは、自分も通って来た道であることに子供ながら悟ってしまった。


 弟がやがて真似事から自分の意志でやり出すような年齢になると、アルテュールは絶望した。

 弟は母親の仕事であったヴァイオリニストとしての才能を発揮をしていってしまった。


 彼が、彼だけがこの家で何も持っていなかった。


 愛情は人並みに貰い続けた。しかし、その愛を返す手段が彼には無かった。両親を喜ばせ続ける方法がアルテュールには分からないまま、悪戯に時は過ぎていき兄弟はそれぞれの道を歩んでいった。


 居場所を失った彼が落ち着ける場所を求めた結果、彼は逃げるようにして軍隊に入った。


 そうして初めて経験する戦争から半年、アルテュールは自分が生きていることに至上の悦びを感じた。そこに才能があったと思ったからだ。人を殺してしまう事実などその喜びの前には霞んでいった。ファングシステムの適合者として選ばれた時は自分の才能が認められたと感激に満ちた。


 二十年もの間苦しめられてきた悪意の無い呪縛から解放された。それだけで彼は満たされていくはずだった。



 アルテュール・カイゼルが最も優れる場所はこの世界に存在しなかった。



「俺は…………」


「モデストッスクリイイイイムッッ!!」


 ハルバートが吠えた。彼の言う悔いの残らない生き方とはヴィオラ・シドニーという存在に報いることでもあった。他人の死をきっかけに世界に絶望し、代わりに芽生えたのは己が代行する彼女の人生。


「━━━━━━━━━━━っ」


 瞳の先にはあるのはハルバートの剣。ウルリベンジャーの仮面越し、たった数ミリの差で死を免れるとアルテュールは一転、攻勢に出る。


「リリース……」


 近づきながら飛来してくるハルバートの剣筋をひたすらに避ける。そして、確実な射程距離に近づきその引き金を引く。


「エンド!」


「何をしようとも!」


 デッキの上は爆発に包まれたが、二人の気配は未だしていた事に互いが不満を抱く。かくして十分以上、戦況の変わることの無い攻防が続いていた。


 ウルリベンジャーの本気はこんなものでは無い、もっと強くなれる余地があると信じていながら、その強さを発揮できないアルテュール。それは彼に才能がないという事実を押し付けられているようだった。


「ふんッ!」


「くっ……」


 休憩する暇もないかのようにモデストスクリームはアルテュールの命を付け狙う。銃撃戦を得手とするウルリベンジャーでの対処法は回避のみ。


 ファングシステムによる補助はあれど所詮は人間離れした動作や体力を持っているわけでもない。それすら他人との差となる、


「遅いっ!!」


「なっ」


 背後からじわじわと追ってきていたはずの剣は突然正面に現れ薙ぎ払われる。飛び上がって避けるはずが、剣を振るスピードは直前になって速くなりアルテュールの足を引っ掛けた。


「がっ……」


 派手に転んでいき、デッキの柵へぶつかる。ファングシステムが決して全てを守りきることが出来る訳では無いとは分かっていたものの、ウルリベンジャーの破壊諸共脛に入った切り傷と背中からの衝撃はアルテュールを追い詰めていった。


「ハア、ハア、ハア……」


「ギブアップか?」


 そう言いながら心臓を一突きしようとするハルバートの攻撃を寸前でかわす。


「そんな訳ないだろ。俺は…………」


 無理矢理立ち上がって弊害で目眩すら起こしかけている。それと全て魔術師に、イクス使いに成れないからなのか。


「大人しく殺されろ、ファングシステムッ!」


 最も優秀な後継に成れず、最も素晴らしい音を奏でる奏者に成れず、最も優れた適合者に選ばれず、最も優れた知能を持てず、最も他人を信頼出来ず、最も単純な力を手に入れられなかった。


 愛を返す手段も、他人を蹴落す方法も、敵の殺し方も何も分からなかった。思いつかなかった。劣等感に苛まれ続け生まれたのは、肥大化した無意味なプライドと一生まさる事のない無の才能。


 どんなに頑張っても、どんなに死に物狂いで生きようとも、いずれか死ぬ。やってきた事も全部無駄になって、どこかへ消えていく。分かりきっている事で、抗えないはずのこと。


 それでも、割り切れはしない。


「俺は……いつか。いつか、何処かで何かを成さなくちゃならない。だから……」


 ふらつく足元、生々しい傷、削られた体力から絞り出すだけの握力で持った銃。彼は今ここで揺るぎないものとなった。


「お前を殺して、先に行く」


「ふざけるなっ! お前がヴィオラを殺したから、彼女は今生きていない。お前さえ居なければ!」


「本音はそれか、魔術師」


 仮面の下でほくそ笑んだ。アルテュールという人間に他人を慈しむことは出来ない。あるのは己の命題に賭けるだけの大きなプライドと僅かな才能だ。


「じゃあ後悔のないように、殺してみろォォォォォ!!!!」


「貴様ああああああああっっっ!!」


 今までにない速度の魔術が放たれた。音速にまで辿り着かんとするその剣はアルテュールの右肩を貫く。ハルバートは刃を横にしてそのまま心臓を切りかからんとしていた。


「であああああああっっっ!!!」


「フッ…………早撃ちの名手はお前だけじゃねえよ」


 残されたごく少数の神経は活性化し過ぎた脳の信号により考えるよりも先に動いた。

 右手に持っていた銃はアルテュールに呼応するようにパーツの隙間から光が漏れだしその神経によって左手に持ち替えられており、銃口は既にハルバート・クラークの脳天を見ていた。


 己の精神と魂を削る文字通り、命の弾丸。



「ミーニング・レス」



 その場一帯は静まり返った。発砲音すら聞こえず、残ったのは結果のみ。


 ハルバート・クラークの頭部は穿うがたれていた。


 互いに右膝から崩れ落ち、その場に倒れるアルテュールとハルバート。

 纏っていたウルリベンジャーは消えていき残ったのは一つの亡骸と死に損なったガンマン。



 息を上げて立てないほどに精神をすり減らした彼は天を仰いでいた。これで良かったのだろうか。これから何をすべきなのか。そんなことを考えていた。


 戦禍の中で物思いにふける彼に手を差し伸べたのは、傷だらけの青年だった。


「アルテュール、手酷くやられたな」


「貴様もな……ここで言っておこう。俺はいずれお前を越える、覚悟しておけ」


「…………ああ」


 フリッツのその手を掴みながらその言葉を放ったアルテュールは彼の肩を借りてその場から離れていった。


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