ep.21 飲灰洗胃


「俺達は今から浄化せしものの発射を止める」


「そんなのどうやって……」


「それは今、インド洋にある」


 その場にいた全員の目線がカンデラス・マルハリサに向く。


「諜報部隊が文字通り命を賭けて得た情報だ。これがたとえ間違っているとしても、一パーセントでも可能性がある限り俺達は動かなくてはならない」


 彼の言う通りであった。ブレイジス領内に危険が及ぶようなものがこの世にある限り、それを排除しなければ平和を生み出すのは不可能。

 目の前にある目標から一つずつ取り除く、そのためにまず浄化せしものの停止をカンデラスは考えていた。


「異論があるやつはいるか?」


「我々はどうやって戦うんですか?」


 アルテュールが聞く。その質問には表裏など存在しないが、意味が二つあった。


「作戦自体は否定しない訳だ。他のやつも大丈夫だな?」


「はい!」


「よし、これより浄化せしもの停止作戦の概要を説明する。お前たちイクス使いの戦い方は至ってシンプルだ…………」






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 作戦開始ポイントの到着まで約一日半。

 夜も更けた時間帯にワイアットは毛布とベッドの隙間に篭っていた。二段ベッドの上にはフリッツが鉄臭い中ですやすやと寝ており寝息がきこえてくる。同じタイミングでの仮眠でワイアットに優しくおやすみなさいと声を掛けた彼は今、夢の中にいるがワイアット自身は寝付けないままだった。


 どうにも眠りにつけないワイアットは夜風にあたる為にデッキへと繰り出す。


 澄み渡る空気と月夜に輝く海。涼しい風が身体にあたり優雅な一瞬を過ごしていると、遠くからの足音に反応する。近づいてくるそれに対して振り向くと、そこに居たのはナタリー・ヴェシエールだった。


「アンタ……」


「ワイアットも涼みに来たの?」


 まあ、と曖昧な返答をしているうちにナタリーはワイアットの横につき腰まである柵に手を置く。


「気持ちいいわねぇ」


 なびく髪の毛先はワイアットの首あたりをこする。しかしそんなことは意に介さず彼は何かを憂う瞳をしていた。


「……どうしたの?」


「なにがだ」


「そんな顔されたら感情の機微に疎い私でも気付くよ」


 ナタリーすら確認していたその表情はとても大柄の男からは出せないほどの暗く沈んだものだった。


「アンタには……」


「関係ない? 私はこれでも貴方の上司よ、戦いに支障をきたしたら私のせいになるかもじゃない。いいからさっさと吐く!」


 普段の彼女からは考えられない程の態度で接してくるナタリーに少し驚くワイアット。さてはと思い一つ気になることを質問する。


「アルコール入ってんのか?」


「何を言う。私は素面よ!」


 もう少し冷静な回答を期待していたワイアットだったが予想は的中した。恐らくカンデラスや他の乗組員たちと飲み、どこからとってきたかも分からない酒が彼女を不安定にさせていることを知るとどういう訳か少し気が楽になっていた。


 真面目な返答をしてくる相手ではない彼女に、ワイアットは自分の頭の中で擦り寄せた言葉を滅茶苦茶に吐く。


「自分がここにいることがまだ信じられねえんだ」


 かつての記憶がふと呼び起こされる。

 その淡くなりすぎた記憶に両親という存在は無かった。在るのは飢えと寂しさによって生死の狭間を彷徨い続けたせいで何かを求めることすらしなくなったかつての自分。


「ボロい服着て何日も水を浴びてない汚ねぇ身体だったヤツがよ、お国のために人を殺すことを許される世界に捨てられたんだ」


 何をしても可哀想であり、何をしても罪を犯す子供となる。他人から無条件で見下され続けてきた少年はその青い精神を成熟させる機会すら与えられず大人になってきた。


「……別に俺じゃない誰かでもよかったんじゃねえかって思う時がある」


 少年の憂鬱は無限に少年自身を蝕んでいた。馬鹿であるから、話が通じないから、戦いを愉しむ人間性の持ち主であるから。生まれ持ったものが環境という歯車と奇跡的に噛み合った結果、貧困層上がりの教養と聞き分けの無い無知な子供となった。


「本当はどうしようもねえヤツなんだ。俺は生まれた時から人の態度を目敏く見て弱みを握って、ニセモンの勝ちを手に入れて優越感ってのに浸り続ける」


 理性が本能を上回り続けて狂ったように何かに大して執着する。そんな人間性はここでもついてまわってきた。切っても切り離せないそれにワイアットは我ながらうんざりしていた。


「俺は……」


「死にたいの?」


「……………………ああ、多分な」


 言われて欲しかったのかもしれない。自分が抱く感情を形容する言葉が見つからなかったワイアットにナタリーは一言で表してみせた。

 どこかで死に場所を探していた。死ぬ勇気すらないのにそんなことを考えているなんて馬鹿馬鹿しいとワイアット自身も思っていた。悔い続けても意味が無いならばいっそという気でいた。だが今まで以上に幸せなことが今後起きる保証も無かった。


「寂しいこと言うのね、ワイアットは」


「なに?」


「私がこれだけ貴方を信頼しているのに貴方はそれ以上の何を求めるの?」


 随分と押し付けがましい返答がなされた。ワイアットは聞き間違いかと唖然していたが、やがてそれは彼女の口から出た言葉であると認識している。


「私は貴方の全てを信じているのにそれ以外なにかいる?」


 しんみりした顔をわざわざ覗いてくるナタリーにワイアットは背中を見せるようにそっぽを向いた。


 酒に酔った相手の言葉などあてにしない方がいいはずなのに無神経に心に触れてくる彼女は誰にでもそう言うのだ。その生き方でどれだけ損をして生きているのかわかったものではないが、全てを精算してもマイナスに傾くのは間違いない。


 何度も失敗しているはずなのに彼女はそれでも諦めない。ナタリー・ヴェシエールという存在は恐らく誰にとっても、いつかは鬱陶しくなっていく。


 だが無償の信頼を振り撒く彼女にワイアットは。


「それも、そうなんだよな」


 現状のナタリーに勇気づけられるなんて思っていなかったワイアットは彼女に背中を見せ続けながら話す。この夜に今の彼女の顔をもう一度見ることは先程のナタリーの言葉を無に返すことと同じだった。


「すまん、怖気付いてたみてえだ。どうせアンタもそんなに酔ってんなら朝になったら忘れてんだろ、熱出すようなマネだけはすんなよ」


 忠告と同時に足早にその場を立ち去るワイアット。決して救われた気になってはいなかった。ただ、ワイアット・ヴェゼルという存在は本能のままに動く少年だけが全てではないと気付かせてくれた。それだけでよかった。


 後を押す形になったが、デッキに取り残されたナタリーは酔いを覚ます為に夜風にあたり続けた。


「はぁ」


 ため息をひとつどこかへ飛ばすと彼女は無垢なる微笑みを零した。

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