012. 再び
三日後、涙の影もなくなり、より一層戦場に慣れてきてしまった櫻井潤。
彼がドアの向こうでノックしているのがグレイスには分かった。
「中尉! よろしいでしょうか?」
尉官以上に渡される個人の私室。
日常生活の中で暮らすには充分な程の広さを持つそのワンルームは、百八十センチほどはあるグレイスの身長と同じくらいの大きさを誇る本棚が部屋の中を手狭にしていた。
棚の中には戦術本は勿論、資料や戦線のデータさえも入っているせいか、入りきらない本達は地べたに乱雑に置かれていた。
木製で作られ外見だけは素晴らしいベッドの枠組に、シワだらけの布団が形すらも曖昧な状態で寝転がった時の足下に押し込まれていた。
仮にも「英雄」と讃えられた男の寝起きする場所が、こんなにも汚い私室となると他人を出入りさせることも出来ず、部屋は一年半ほどその状態を保っていた。
潤のノックする反対側を見ると、毎日の日課としてやるべき事が書かれた紙が貼られており、その中身は筋トレから司令室に行く用事まで事細かく書かれていた。
彼の声に気付き、司令室と同じ様式で立てつけられたドアノブを捻り顔だけを潤に見せる。
「…ああ潤か、どうした?」
「大佐が呼んでらっしゃいます、どうやら再び敵襲のようです」
"三日前の件"で少しだけ顔に見せていた疲れは、その一言だけで一気に吹っ飛ぶ。
再び"アレ"が来る。
そう確信していたグレイスの目は今まで潤に見せていたどの時よりも鋭く敵意に満ちていた。
「分かったすぐに向かう、潤も呼ばれているんだろ?」
「あ、はい」
「だったら俺を待たずに先にいっていいぞ」
敬礼をし、すぐさまクライヴの下へいくよう追い払う。
砦の裏にある訓練場でルーティンとして行っていたトレーニングを終え、部屋に戻りズボンだけ戦闘服、上はずっと着ていたTシャツのまま部屋の中で本を読みふけっていたグレイスは、上に服を着重ね、廊下へ出る。
天井や壁にシミやヒビが入り、年季を感じさせる通路を当たり前に通り抜ける。
三階にあるグレイスの部屋から右手を直進し、突き当たりを左に曲がり四つドアのあるうち、奥から二番目が司令室。
潤が自分の部屋の前で行った事をクライヴの扉の前で行うようにノックする。
「どうぞ」
聞き慣れた渋い声がドア越しに聞こえる。部屋に入ると、いつもいるかの如く立つニンバス、先程グレイスの部屋に来た潤の三人のみしかいなかった。
「もう四人ほど、多かったはずですが?」
グレイスは皮肉めいたことをクライヴに尋ねる。
「俺達が回復するまで待ってくれるほど、相手は律儀じゃないぞ」
肩をすかし返答してくるクライヴ。続けざまに彼は話す。
「つい先日、国連本部が全ての戦線に伝えてきた情報がある」
五枚ほどの紙束を三人に見せ、書かれていることを要約しながら読み上げていくクライヴ。
「三日前、俺達を襲った魔術に似た謎の力ってのは調べた所魔術じゃないらしい。後天的に魔術遺伝子をヒトの身体に組み込み、本来その人間が持つべきだった魔術を強制的に発現させる薬…」
クライヴの話によれば、ヒトの身体に先天的に存在する魔術遺伝子を抽出、観察、改良を行い魔術の持たない人間に投与することで、魔術と同じ、あるいはそれ以上の力を誇る能力を発言するという代物と言われているそうだ。
その話を聞いた潤はクライヴに問いかける。
「つまり、誰もが簡単に魔術を使えるようになる薬…ということですか?」
「まあ…大雑把に言えばそうなるんじゃないか?こんな風にふざけるな言いたいような事案が発生しても異動の日程は変わらん。国連のその辺の気概は評価したいんだがな」
前から言われていたクライヴの異動の日付も変わらず、混乱の中上司も変わる。その一言の中に秘められている、押し寄せる不安を払うグレイス。
戦争はついに五年目。長きに渡る研究の積み重ねによるものと思われるソレは、恐らく、人類の歴史を再び変えるほどの強大さを持っていた。
「でも、ブレイジスの人達は魔術師を嫌ってるんですよね?なら何故そんなのを…」
「目には目を、歯には歯を…魔術には魔術をってとこだろうな。アイツらは、自分が魔術師になるなんて思っちゃいない、俺らを殺せるならなんだっていいんだよ」
潤の疑問を打ち砕くニンバス。行き過ぎたように思えるその推測は、グレイスもあながち間違いではないと考えていた。
「伊達に五年間も粘ってきたアイツらだ、その時間にあった見返りが相当あるはず…遂に逆襲してきやがるぞ…」
珍しく焦ったような表情を見せるニンバスは椅子に座り込んでいるクライヴに意見する。
「どうすんだ大佐。この調子じゃ、俺らはあっけなく死んで地獄へまっしぐらだぞ」
「…とにかくだ、今は目の前に来ていると言われる敵に着目しよう」
そういえば、という顔をするニンバスをよそにクライヴは睨みをきかせた顔で話し続ける。
「今回は防衛戦、敵は少ないと聞いた。だが、俺達にとっては戦力は未知数となるイクスを持つ者がいるかもしれん。対策もまともに出来ない中行ってもらうことになった」
黙りこくるニンバスと潤。二人の間に挟まれたグレイスはクライヴに物言う。
「大佐、自分はいつ死んでもいいくらいには覚悟しているつもりです。そんなの、どうってことないと言いたいです」
物申したグレイスの瞳と背中は決意に満ち溢れていた。
仲間を失っても、それでも立ち向かうという気持ちは仲間をも昂らせる。
「自分も!自分も…前線へ…行きます…!」
震えた声とともに発されたその言葉の重みは本人も理解していないだろうと推測するグレイス。だが、短期間での成長が見込めるということはその手で理解した。
彼の手は震えていなかった。
「…ニンバスは?」
「行かない訳ないでしょう、俺は第二分隊隊長、ニンバス・インディルですよ。その責任も責務もあるつもりです」
「…そうか、では潤、ニンバス、グレイス。お前たち魔術師三人は前線に行ってもらう」
了解。たった一言の言葉で意思を表明し、ドアを開けようとするグレイス達。
その瞬間向かい側からドアが押し開けられた。
「偵察班です! 彼等の会話を盗聴しており、すぐさま大佐に伝えようと思い参った次第です!」
ノックもせず、自分の所属を開示し敬礼、要件を伝えようとするガーディアンズの兵士。
その話にクライヴが頷くと、男は話し始める。
「相手には恐らく、噂のイクスがいるようです」
「!?」
「そして、会話を聞いた限りだと、奴らの仲間には『
「剣豪…潤」
「日本語で剣術の手練と言った所でしょうか…」
英語圏で生活する彼らの為に意味を説明する潤。その単語が出てきたあたり日本人だと推測する潤はその男に聞く。
「他になにか、なにか言っていませんでしたか?」
「いえ特に……ああでも、グレイス・レルゲンバーンを見たらすぐに伝えろ、と忠告されていました」
会話の意味が理解できない彼らはその発言の意味を考える。
「お前が前線に出たらアイツらは帰ってくれんのか?」
「そうだと嬉しいんだがな」
ニンバスのふざけたような答えに鼻で笑うかのように苦笑するグレイス。続けながら彼は潤とニンバスに目線をやる。
「こんなの真面目に考えなくとも全ての答えは最前線にある。あそこに行けば、イクスがいるかいないかも、『剣豪』と『カラス』の正体も全部分かる」
眉間にしわを寄せ、グレイスに頷き決意じみた顔をする二人。
その兵士に感謝を伝え、三人は外へ向かった。
なにもかも、全部の答えが戦闘地域にはある。
三人はそこへの道を一歩一歩、踏みしめていた。
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