011. イクス




 彼はただひたすらに走っていた。

 仲間達のいる場所へ一途に帰っていた。


 アリアステラ戦線。大きな山間の間にある小さな拠点であるこの場所は、一週間前に取った最前線をブレイジスにたった今、奪取されてしまった。


 それも知らずに走り抜けていたグレイスは本部へと辿り着こうとしていた。

 本部である砦のような拠点を取り囲む塀に寄りかかっていたのは、撤退時、グルニアを背負っていた潤。


 グレイスは寄り掛かり、座り込んでいた潤から少し離れた場所にに立ちたった一言。


「……みんなは?」


 そんな質問をされても黙り込み、感情を表す透明な血を目から流す潤。時々聞こえる鼻をすする音とともに彼はただ涙を出し続けていた。


 そんな彼をよそに、本部へ入るグレイス。

 すれ違う無傷の兵士など、見向きもせず行った場所はクライヴの待つ司令室だった。

 ドアを叩きもせずドアノブを捻り、中に入り込む。


「ノックぐらいしろ」


「あの女が対物ライフルを何発か撃ったはずだ、当たったか?」


 彼の話も無視し、質問をする。

 部屋の中にいたニンバスが聞かれてもいないのに答える。


「グルニアに一発、左肩だが随分体に寄っていた」


「……」


 潤と同じように黙るグレイス。ニンバスは静かになったグレイスを見ながら続けた。


「幸い、重傷で済んでいて本部に戻ろうと後退した。シルライトの話によれば着くまでは意識はあったそうだ。だがここに着いた瞬間、安心して気が抜けちまったんだろうな」


 その言葉を聞いた瞬間、グレイスはある逸話を思い出していた。


 世界をまたにかけた大戦が行われていた時。兵士は極度の重傷を負いたった一人で前線から後退していた。

 腹は抉れ臓器がはみ出た状態の中、垂れている腸を抑えながら野戦病院に向かったという。

 必死の思いでもがき苦しみながら、遂に辿り着いた兵士。

 これで痛みから解放される。歩兵は看護師の顔を見て安堵しその場で倒れ込んだ。

 兵士は生きるということから解放されてしまい、死んでしまった。


 作り話かどうかも分からない。だが、その状況を目の当たりにしたグレイスはただ心に悲しみを溜め込んでいた。


 鳩を貸してくれるはずだったのに。まだ家族の事を沢山聞くはずだったのに。共に戦っていたかったのに。

 顔には悲しみも怒りもない、ただ絶望した表情。


 世界の残酷さを再確認してしまったグレイスは、端にあった客人と対談する際に使うソファーに座る。

 うつむき、周りの二人に顔を見せず、一言も言葉を発さない。

 そんな彼を見ながらニンバスとクライヴは話し始めた。


「その狙撃手、一体何者だったんだろうな」


「対物ライフルなんて、こんな辺鄙な場所で使う必要もないはずです。なぜこの戦線で使われているんでしょうか」


「わからん。ただ資金や人員に余裕が出来たのか、ここでの戦いをさっさと終わらせる為に無理を承知でも持ってきたのか」


 グレイスはその言葉を聞き、すぐに現実へ戻される。

 悲しんでいる暇などない、今は目の前の敵だと。グルニアにだってそう教えたんだ。


 グレイスは自分の知っていることを二人に突然話す。


「イクス……」


「ん、グレイス?」


「イクス、あの狙撃手、魔術を使えていた」


「どういうことだ?」


 未だその椅子に座りながら彼は続ける。


「そのまんまですよ大佐、アイツはただの銃弾に即効性の麻痺薬を入れていた」


「そんなの、今の技術だったらいくらでも……いや待て、グルニアも言っていたぞ。身体が動かない、と」


 現場を知らないクライヴはひたすらに耳を傾けていた。


あっち側ブレイジスの技師によって麻痺弾を作る事が可能というならそれまでだ。ただ、俺が危惧しているのはそうじゃなかった場合だ」


 銃弾に属性を込める魔術を扱うグルニアが、武器に敵を麻痺させる力を入れる女に殺される。

 皮肉なことではあるがグレイスは二人に語る。


「どんな武器にも、例えばコンバットナイフなどにも込めることが出来る魔術だったら……恐ろしいもんだ」


「だが、敵に魔術師がいるとは考えにくい。魔術師を迫害し、絶滅させる為に作られたのがブレイジスという組織のはずなのに……」


 グレイスとニンバスが喋る中、ようやくクライヴが口を開く。


「つまりグレイス、お前が言いたいのはアイツらは魔術に劇的に似た謎の力を使えるようになったと……そう言いたいのか?」


「俺は、それが"イクス"と呼ばれる力だと、今考えました」


 その話を聞いたニンバスは一際驚いたような顔を見せる。


「グレイス、じゃあつまり俺らは……」


「ああ。俺達は、魔術を相手取ると言っても過言じゃない」


 開いた口が塞がらないニンバス。クライヴは冷静を装いながら言う。


「だが、仮にそうだとして今の俺達にはそんな奴らを倒せるほどの人員はいない」


 先の戦闘でやられたのかと考える損害状況を何も知らないグレイス。


「マストは手榴弾からガルカを守る為に背中を大火傷、その際にマストがワイヤーを使って自分のところに寄せて庇ったせいか、ガルカは利き手である右手を怪我してしまった。シルライトも太腿に対物ライフルを掠ってる」


 一旦間を置き、クライヴは目を閉じ深呼吸をする。息を吐き終え彼は目線を二人に向ける。


「動けるのはお前達二人、潤くらいだ。はっきり言って絶望とも言っていい」


 目をそらし、下を向くニンバス。その横でひたすらにその際の打開策を考えているグレイス。


 だが何も思いつかない。今まで自分の手札であった特殊な力が敵に渡るとなると、こうも面倒臭くなるのかと実感するグレイス。

 顔に迷いを見せていると、クライヴが二人を見かね再び喋り始める。


「まあ、一度落ち着いてからだ。仮にそのような状態になったとしたら国連は黙っちゃいないだろう。ま、移動の日程は変わらないだろうがな」


 本国の人間がいない所で皮肉めいた発言をするクライヴに呆れ、グレイスとニンバスはいつの間にか苦笑いをしていた。


「ですが、この仮定はあくまでも彼等がそういう奴らだった場合です。我ながら思考が飛躍しすぎたとも思いますが」


「次出す資料の名目は"イクスについて"にするか?」


「提出する頃にはこの異常事態に気付いているでしょうよ」





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 グレイスとニンバスは司令室から離れ廊下を歩いていた。


「シルライトはここの医務室での治療で済んだが、少なくとも次の戦いは出れない。マストは、もっと後ろにあるちゃんとした病院での治療を余儀なくされた。ガルカもそれに付き添った形でそこにいる」


「なぜ、ガルカが?」


「私がディバイド曹長をあんな目に遭わせたしまったから、だそうだ。責任感は強いようだが、トラウマにならないか?」


 彼女の性格を見極めようとしながら、心配するニンバス。グレイスはニンバスの肩に手を置き諭す。


「彼女もマストにそうしたくてやったんじゃないんだろ?しょうがない事さ。でも、トラウマになるかならないかは俺達が頑張らないといけない」


「……それもそうだな、俺らがやんなくちゃな」


 ニンバスの決意を聞き、頷くグレイス。


 グルニアを、仲間を失ったグレイス。彼に学んだ事は数多く、教えたこともまた多い。

 ただ一つ教えてもらえなかったことは、彼は一体どんな気持ちで死んでしまったのか、ということだった。

 

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