005. 愛煙家で味音痴
アリアステラ戦線は一時の平穏に包まれていた。
戦線の前進に成功し、新人魔術師二人も生き残る。魔術を持たない人間を犠牲にした上で。
犠牲は少ないとは言えないがそれなりの対価を得たグレイス達は安息を得ている。
あれから一週間、一度も戦闘は起きず警戒、偵察のみが行われている。
そんな中、アリアステラ戦線の最高司令官、クライヴ・ヴァルケンシュタイン大佐は司令室でグレイス・レルゲンバーンに二つの話をしていた。
「ですが…またですか」
「そう、まただ」
グレイスはため息をつきクライヴに話す。
「自分は一切断っているはずです」
「それが、今度はそうもいかないみたいだ」
「…今度の見合い相手は一体どんな人なんです?」
戦闘前、クライヴとニンバス、そしてグレイスの3人で話した下りをもう一悶着行っていた。
「一度でもいいから見合いをしようと言って、そうするべきと言ったのはグレイス、お前自身じゃないか」
「そうですけどまさか大佐が自分との約束を忘れている事など思ってもみなかったので」
最低、二ヶ月に一度は必ず来ていた憂鬱の日である見合いの話をグレイスは度々貰っていた。
二流貴族、先代の栄光にあやかった分家の一家、そんなような半端な連中から話を貰う英雄、グレイスは断るのにもほんの少し躊躇う。
以前にクライヴに対してこのような話は一切やめにしようと話し合い、グレイスに送られてくる宛名のわからない物やキスマークで封を綴とじる手紙等をクライヴの方から一律拒否してもらうように頼み込んだばかり。
その約束を破ってでもその話を持ってくるなど余程の大物だということがグレイスには目に見えて分かっていた。
「相手はあの一流財閥、グリーンフィールド財団の末っ子だ」
「……はあ?」
グリーンフィールド財団、国連軍の医療関係のほとんどを取り仕切っており、最近では子会社名義で電子機器を扱っているらしく、グレイスにとっては間接的ながらも、専ら世話になっている会社だった。
「あの財団の娘……」
「なんでも、今年でめでたく二十歳らしくてな、これを機に嫁入りさせたいんだろう」
「今更ジョークですか?」
クライヴは渋い顔を見せる。自分をいいくるめるなと言いたいグレイスは少し呆れ顔をする。
「まあそうなるだろうなと思っていたさ。なんせあそこの三姉妹の相手は凄まじい様な面子だ」
三姉妹の長女は政治家、次女は一昔前の家電企業の御曹司。その企業は今は財団に吸収合併されたらしくそのツテで工業系を行っているらしい。
「政治、技術ときたらあとは軍事。次代の英雄サマを婿にお迎えしてやろうって魂胆ってとこだろう」
「その娘の父親……イーサン・グリーンフィールド、でしたっけ?」
クライヴは静かに頷く。
「その父親も政界進出を果たしましたし断るわけにもいきませんよね」
どっと疲れたような表情を見せる。戦争一筋だった近頃、そのような話は支障をきたし荷が重いと考えていた。
そんなのも国連軍、そして政治界の後ろ盾がある以上断りを入れることは倫理的に不可能。彼は受けることしか出来なかった。
「行くだけ行って断って帰ればいいんだ、それ以外何もすることは無い」
その上、彼には色恋沙汰以上になによりもこの戦線の心配をしていた。
「安心しろ、お前がいない間は守ってやるさ」
そう言って微笑んだクライヴにグレイスは信頼を寄せ見合いの話を飲むこととなった。
「ふたつめ、戦闘前に言った通り俺はもうすぐここを出る。ふたつともお前に確認しておきたかった」
「覚えていますとも」
頭皮が後退し始める時期の年齢、仕事中でも所構わず煙草を吸い後方で指示をするだけの無精髭を生やした、器が大きく冷静で目つきの悪い初老を迎えた愛煙家。
他人から見たらそう考えるであろう男と、三年間共にした時間は終わりを告げた。稀に親子のような存在だと揶揄されてきたこの期間はグレイスにとって悪いものではなかった。
「まあ、三年も経てば居場所も変わるさ。この年齢の男ならな」
続けてクライヴは話す。
「これからは次代であるお前らの世代だ、さてひとつ、ここいらで世代交代の挨拶でもやろうか?」
そう言いながらクライヴは一本の煙草を突きつける。
「今は結構です。しかもその煙草、お世辞にも美味いとは言えない銘柄ですよね?」
愛煙家で味音痴の彼はあの時のように高らかに笑った。そんなクライヴにグレイスは飽き飽きしていたがそれでも、自分の父と呼ばれていても悪い気はしていない。
そんな自分も潤と同じで心が不安定な証拠だった。
「ではそのように皆に伝えてくれ、グレイス」
「了解です」
そんな不安定な彼とクライヴは確かにお互いを信頼していた。
その信頼はこれからもあり続けるとグレイスは哀しみながら確信していた。
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