004. 君の手
軍服を着、ベストをその上に着用し、携行品の欠陥がないか自己確認し、弾倉をチョッキの収納に詰め込む。サイドアームのセーフティーを外し、右太腿の外側に付けられたホルスターに挿入する。
バッグどころか自動小銃すら持たない。二〇二〇年から採用された新型拳銃とファイティングナイフ、その他グレネード類しか持たない、屈強な巨漢とは程遠いような男、グレイス・レルゲンバーンが他の隊員達に話す。
「皆、準備は終えているな?」
最前線のひとつ後ろ、一,二年前から長らく均衡状態にあり、小競り合いしかなかったこの戦線でガーディアンズ側から攻めるというのはグレイスが戦線に来てから三年の今までに一度しかなく、それだけに彼ら戦線の者達は意気揚々としていた。
勿論です、いつでも行けます、そんな声がグレイスの視界内から声を大にして聞こえてくる。最も手前にいる魔術師達も熱意がみなぎっていた。
三年も経つと戦線にいる兵士は一年以上の者がほとんど。そのほとんどがグレイスの事を信頼しているせいか、その重圧に答えられるべき存在として置かれているような自分にグレイスは疑問を持っていた。
だが戦闘が始まればそんな事は関係なくなってしまう。ただ目の前の人を殺すだけの行いに多少の疑問は掠れていっていた。
みなが戦闘前に奮起している中、たった一人手が揺らぐ者がいた。
魔術師の素質を持ち炎と氷を操る訓練校を出たばかりの若干十八歳の青年。世界から魔術師という大層な役割を渡されてしまったひ弱そうな男が世界を裏切るようにしながら手を震わせている。緊張なんかではない別の物に怯えているようだった。
仲間達の雄叫びのような声と一人の男の震えた手を聴き、視ながらグレイスは叫ぶ。
「随分前にも言ったがこの戦線は小さいながらも、ここを通してしまったら別の戦線にとってブレイジス達に裏を取らせるような形になってしまう! 小さく、大きな意味を持つこの戦線には敗北はもってのほかだ! この戦いに勝利し、戦争にも勝つ。俺達はその為に生まれてきた、そうだろ!」
様々な場所で局地的な戦いとなっているこの戦争の中、小さな拠点の小さな砦でグレイスに呼応するように周りの者達も叫ぶ。
その姿はやはり自分を信用しているような面があるとグレイスの目にはそう映ってしまっていた。
名前を知っている仲間たち全員が前へ前へと最前線に向かう。魔術師のみなも同じように前にゆく。いずれ死ぬ時を前に自ら死ぬ為に、前にゆく。そんな中、他の者達よりも足取りの遅い男を見つける。
「どうした」
張り付くように彼の真横に寄る。その男、潤はこちらを向き、口を開く。
「グ、グレイスさん」
見るだけで分かっていた手だけでなく声も震えているようだった。彼が怯えているような理由を理解していたグレイスは彼が次の言葉を出す前にこう言う。
「潤、他人への迷惑だとか敵への恐怖だとかそんなの考えなくていい。お前は魔術師だ。だがそれは特別ではない。魔術師である前にお前は人間でそれは普通のことだ。ほんの少し自分から温められて冷やすことが出来るだけだ」
小走りしながらグレイスは潤に語りかける。自分も同じような事を考えていたから彼にそうやって解決策を見出す。自分には合わなかった方法を他人に押し付けるかのように。
「グレイスさん……!」
今度の言葉は先程の言葉と同じようでありながら潤自身の持つ覇気を取り戻しているようだった。
「ありがとうございます!」
その言葉を聞き、右手を見るとグレイスの言葉に落ち着いたのかその震えは止まっていた。
「お易い御用だよ、潤」
簡単なヤツ、そうやって彼を見てしまう様な者を苦手とするグレイスにとって潤は純粋で素直な気持ちを持った男であるとそう思っていた。
「やっぱりグレイスさんは尊敬に値します! 俺、行ってきますね!」
だが、そんな純粋な心も人を傷つけるときもある。
そのまま走って少し先で前に行くグルニアの方へ向かう潤。
尊敬、という単語に対してそれほどまでに自分はそう言われるべき存在かと、常々疑問を浮かべるグレイス。深く考えるべきではないのに。
前線へ辿り着くと相も変わらず睨み合い。この状況を打開するのは大体グレイス達魔術師だった。
ついた瞬間、その先に敵が数人いることを知ったシルライトはグレイスに提案してきた。
「グレイスさん、アタシがちゃっちゃとやってきてもいいっすか?」
「構わない、だがグルニアと潤と三人で戦え」
血の気の多いシルライトに対しそれを条件付きで理解するグレイス。
「了解です! 行くぜ二人とも!」
「分かりました!」
それを聞いたシルライトはさっさと相手に突っ込むように前へ行き、それに頷き、向かうグルニアとグレイス自身が決意を固めさせた潤が追随していく。
後方から第二分隊とも言っていい三人組とグレイスが待機する。
戦場に一人の女性が立ち、その後ろで二人は覚悟を決めた顔をした男が二人。シルライトは敵に突っ込み彼女の魔術の能力をいかんなく発揮していく。
雷鎚の魔術、ミョルニル。彼女のその力はただの人間を殺すには充分すぎた。稲光が彼女の持つハンマーに射す。その瞬間にハンマーは轟雷を纏い完全に彼女だけしか持てないモノとなる。
電光走る雷鎚の標的はやはり目の前にいる敵。シルライトは敵へと飛びつくようにダッシュし雷を纏った鉄槌を振り、自動小銃を持った兵士を近距離で吹っ飛ばす。
一人飛ばすと隣にいた男に目をつける。やがてその男も雷の力を振り回されやられていく。
そうやって二人をあっという間に殺してしまったシルライトの顔は人を殺したものとは別の達成感を得たような顔をしていた。
ふう、と息を吐き振り返り、グレイスの方を見る。見ていたでしょうか、今の活躍をと言いたげな顔をしながら。
そうすると敵方の前線から取りこぼしていた兵士が銃口をシルライトに向け撃とうとしていた。それに気づいた潤とグレイスは声を上げようとするもその時には遅かった。
グルニアがその銃口の向こう側にある頭を撃ち抜いていた。
四大元素の属性を銃弾に付加させる銃撃魔術ファルカブレイブを持つグルニアの風の銃弾が貫きグルニアの拳銃は煙が吹いていた。
「助かったぜグルニア!」
「調子に乗りすぎだよシルライト、潤も気をつけて」
「はい!」
慢心したシルライトにほんの少し叱責するグルニア、反面教師のように学ぶ潤。グレイスの眼には三人の関係は良好に見えていた。先程の敵兵士についてきたような形で敵が押し寄せてこようとして来るもグルニアとシルライトは怯えずに待ち構えていた。
彼らが前線で闘う中、今の内に目標までの前線の先にある武器庫の破壊をする為にこちら側の爆薬を少し持ち込む。
彼らの武器庫に入っている爆薬も併せ完全に破壊すればこちら側の優勢も確固たるものとなると踏んでいたグレイスとクライヴ、その為にはマスト・ディバイドの魔術が必須だった。
彼の魔術、フルフィルメント と名付けられたその能力はマスト個人の四次元空間を有し、その中に無機物を多数入れる事が出来るという。
クライヴ曰く兵士に均等に装備以外の物を渡し嵩張るよりかはマストの魔術を使い彼に持っていく全ての爆薬を渡した方が効率的とグレイスに言い渡していた。グレイスはマストに事前にその旨を伝え爆薬を彼の中に入れてきてもらっていた。
「三人が完全にここを取りきったら第二分隊の出番だ。ニンバス、二人共、頼むぞ」
「任せろ」
左側の口角を上げにやりとするニンバス。その笑みのようなものには確かな信頼があるようにグレイスは思う。
「うおおおおおラァッ!!」
雄叫びを上げ、シルライトはハンマーを轟かせる。その後で彼の利き手である左手にリボルバー、右手にハンドガン持つグルニアが援護を行いながら、潤もシルライトと共に魔術を巧みに使い応戦する。
氷炎魔術、ウルサヌスの全力はグレイスは今の今まで未だ知らずにいた。
たった一、二時間程度の修練の中で見せたごくわずかな火と氷が、今では紅蓮の炎と凍てつくような氷結となり彼の左右の手に持つ剣に放たれてついには他人ひとへと移っていく。
斬られた部分から燃え広がるように熱さが敵に伝わり、その兵士は悲痛な叫びを上げながら倒れていった。
最初はたった一人殺すにも身体も精神も参る、それを理解できずに先程安堵させるような言葉を送り、背中を押したグレイスは潤の変化にやっと気づいた。
自分の言葉に意味が無かったことに。他の二人が多数殺っていた中彼が四人殺した時に。
グレイスは堀から身を乗り出し潤の元まで向かう。再び横にはりつき潤に伝える。
「もういい潤」
顔を見ると精神が参ったのもあるがそれが主体ではなく、単に張り切りすぎて力み過ぎたことだと思われていた。
本気を出しすぎていたのだった。グレイス自身があの言葉を言った後も思い詰めていたようだった。
「すまないな、変化に気づかない俺が悪かった」
「そんな…」
「一度下がれ、俺が代わりを引き受ける」
部下の失態──自分の不甲斐なさを背負うようにグレイスは潤に後退を伝えた。
「……わかりました」
汗をかき肩を落ち着かせず、気負いすぎていたように見えていた潤の背中は少し物悲しさすら漂いながら後ろを向いてニンバス達の方へ帰っていった。
彼の背中を守るようにグレイスが出張ると銃を持った敵は少し後ずさりをした。自分に怯えたという事が明確に分かったグレイスはすぐさま距離を詰め、虚無から刃を作り出し一番近くにいた敵兵に突き刺した。
隣の男に目を向け体勢もそちらに向けるとその男の銃から大量の鉛玉が飛んできた。グレイスは眉間にしわを寄せすぐさま剣を六本、自分の目の前に召喚し高速回転を空中で行わせてみせる。
鉛はその鉄剣と接触するとあらぬ方向へと飛んで行き敵が唖然とする頃にはその敵は斬られていた。
「ナイスっすグレイスさん!」
シルライトに戦場の中で話しかけられるとグレイスは彼女と自分の邪魔にならぬよう頷くような素振りだけを見せ逃げたそうな顔をした兵士を殺しに周りに行った。
槍を繰り出し刺突。チョッキの着いていない部分を見つけ刺し、大剣を顕現し大振りに相手を両断するグレイス。それを追うように共闘するシルライトとグルニア。
殺す限り殺すとそのうち敵は下がっていき目標の前線まで取れるようになっていた。今度は敵が居ないことを確認したシルライトはグレイスのもとへ駆け寄る。
「やりましたね! 流石ですグレイスさん」
「ああ、これから武器庫を破壊しに行く。第二分隊を呼んできてくれ」
「了解です!」
シルライトに指示してからはグレイスはグルニアの所へ向かう。
「ナイスだグルニア、シルライトを助けた時の銃撃は見事と言っていい」
「あ、ありがとうございます」
「このままなら昇格待ったなしってとこか、楽しみだな」
「……はい、グレイスさんもちゃんと大佐にお伝えくださいね」
グレイスは彼が心の中で何かを乗り越えたのが目に見えて分かったのか心無しかほんの少し笑みを浮かべていた。それが何かは少しは検討がついていた。
「シルライトと潤は休んでいていいと伝えてくれ、その後グルニアも休憩していいぞ」
「分かりました」
グルニアが父親の死を乗り越えたのはその後ろ姿で確信となった。戦場という生死が不確かになる場所で彼の意志は確かなものになっているとグレイスは考えていた。
さほど時間も経たないうちにシルライトに頼んだ第二分隊が来た。
「待たせてすまん、武器庫の破壊だよな」
「ああ、ここで一旦説明しておく」
グレイスはニンバス、ガルカ、マストの三人に武器庫の急襲作戦の話を確認する。
「分かってると思うがマスト、武器庫の破壊はお前にかかってる。今回のメインだ」
「勿論わかってます」
マストは戦場でも変わらず綺麗な身なりでその汚れのないのい姿はおよそ戦場にいるとは思えないほどと言っても過言ではない。グレイスはマストに火薬の最終確認を行う。
「爆薬は?」
「もうあります」
「上出来だ、ニンバスは俺と一緒にエリアの維持、ガルカはもしもの時の為にマストの護衛だ」
全員自分なりの言い方で了解する。潤の前例があるせいかガルカにも同じ轍てつを踏む訳にも行かず、グレイスは彼女に控えめな行動しか命ずることしか出来なかった。
「ではまた後でな」
ガルカとマストは頷き配置に向かっていった。
「なんだってんだグレイス、一人で抱え込むのはよしてくれよ」
ニンバスは前線の足止めとしてグレイスと二人で闘う中、目標へ向かう最中グレイスにそう言ってきた。
「どういうことだ? なんも抱えてなんかいないさ」
「嘘つくんじゃねえよ」
呆れた表情のニンバスは見え透いた嘘をつくグレイスに頭を抱えるような仕草をした。グレイス本人もバレるような嘘だと確信しての行動だった。
「バレていたか?」
「勿論だとも」
訓練校の同期、それだけで彼らは信頼しあえるような仲だとグレイスは思っていた。
「潤の様子がおかしいように見えた、戦闘前からだ」
「初陣だからか?」
「だろうな、直前に喝を入れたら今度は力み過ぎてしまった」
グレイスは自分の失敗をニンバスに吐露する。
「ああ、
偶にいるヤツ。以前にも似た事例があり、そういった者は今の今まで死んできてしまった。そもそも、魔術師という母数がこの戦線では少ない為かその人数は片手でも空きができるほど。
「アイツの為にも俺がケツを拭かなきゃならない」
ほんの少し間が空いてからニンバスは呟いた。
「背負い込むなよ」
常にそうやって意志を固くしてきたグレイスにニンバスは不安を見せる言葉を言った。
「それってどういう…」
「そろそろ着くぜ」
真意を言ったような彼に問おうとするもその意味は聞けずじまいのまま時間が来た。
前方には敵が銃を構え、グレイス達に向けてくる。そんな彼らと対峙するグレイスとニンバス。
「さぁ一発ぶちかますぞ、グレイス」
「分かってるさ」
先程ニンバスが言った言葉を忘れようとし、戦闘に専念しようとするグレイス。最初に動いたのその隣にいたニンバス・インディル少尉だった。
潤よりも強い炎、正しくそれは獄炎と言っても変わりない。彼より強い炎の魔術はグレイスは見たことが無いと思える程だ。
敵の前に堂々と身を乗り出す二人。その刹那、ニンバスが魔術を繰り出した。
「炎術、アグニ───ッ!」
指抜きされたグローブ、それを付けた両手は業火の炎となる。滾らせた炎は両手に棲みつき、彼のしもべとなるかのように操られていく。
彼は握り拳を創り相手にそれを向け、男らしい叫びと共に敵を殴り飛ばす。殴り飛ばされた敵は六、七メートル程吹っ飛び地面に叩きつけられる。
「エクスマキナ!!」
グレイスはそんな彼の活躍を見て呼応するように大剣を創り出す。
指の隙間から炎が漏れているニンバスの隣に立ち、同時に踏み込む。
息を合わせお互いの攻撃がお互いに当たらないようにしていく。
ニンバスが後ろを取られるとグレイスの持つ鋼鉄の大剣を盾とし身を潜める。
列となり身体を隠したグレイスの背後にいるニンバスは溢れ出る炎、それを敵に流し込む。とめどなく出続ける炎は塹壕の中を焦土へと変えるような勢いで人を燃やし尽くしていくよう。
暴れているかのような銃の乱射は止み、少しの種火と鋼の剣、二人の男を残した。
二、三十メートル程離れた後ろにある山小屋のような建物から大きな爆発音が聞こえた。マスト達がやったのだ。
ニンバスは放っていた炎を消しグレイスは持っていた大剣を無に還した。
作戦は成功に終わり、グレイスとニンバスは仲間の下へと帰っていった。
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すべてが終わると、グレイスやグレイスの仲間たちは安堵するか悔しい表情をする。たとえ戦闘に勝ったとしても後者は必ずと言っていいほどいるのが常と言われる。
そして今もその表情は見えていた。
「くそっ!」
戦線の殆どが仲間の犠牲の果てに押し上げに成功した喜びと安心だったものの、大量の袋がある部屋の中、見渡す限りたった一人は悔しさをあらわにした。
櫻井潤はグレイスから見てもまだ軍人になりきれていなかった。現実を見たうえ、上官に手間をかけさせてしまう。そんな彼もまた昔の自分のようだとグレイスは確信する。
彼に同じ匂いを勝手に感じたグレイスはあの時、ああ言ったもののその全てが真意ではなかった。自分に言い聞かせても効かなかったその言葉をかけ、安心させたい。その気持ちがあるも次は自分にいいところを見せたいという彼の意志を感じることが出来なかった。
人の善意に鋭くないグレイスはその感情が戦争が始まってから更に鈍くなっていく。人の善意を目の前にそれを相手取り殺さなければならない世界にグレイスは潤を見てやるせなくなっていた。
彼は再び手を震わせていた。緊張や謝罪の気持ちなどではなく、単純な怒りと哀しみで。
グレイスは潤に手を伸ばすことはなく彼の持つ意志を今一度確かめるようにした。
彼の心の不安定さと脆さ、その奥にある潤だけの真価を発揮させようとするために。
事後処理は雑に行われ、 自分達の領域の中にある死体の回収だけが行われ、終わった頃にはニンバスが戦場に撒いた火種は消えていた。
圧勝したにも関わらずガーディアンズ側としての死傷者は5人が死に、11人が負傷する事態となった。
「やはりこれだけのグレイスさんたちの活躍でもやられてしまうのですね」
マストはグレイスと医療室から逃げるように歩きながらそう言った。遺体に背を向き壁に拳を叩きつけていた潤をみてからだった。
「そんなものだ」
冷たく言うようなグレイスも心の中ではどこにもぶつけられない感情があった。ほんの少しの真意も部下に見せてはいけまいと、彼等の緊張を落ち着かせる側として常に立っていこうとするグレイスは自分の弱さを吐くことは無かった。
「それにいつ自分が死ぬかも分からない状況にいる俺らも例外じゃない、彼等の二の舞になっては彼等の死が無駄になるぞ」
「勿論、承知の上です」
グレイスとマストの関係も一年以上にもなるがグレイスは未だ心を開くことが出来ずにいた。
あの時の悲しみを味わうのは二度と御免だと、そう想いながら。
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