布団圧縮袋

@x_xhara

第1話

 この世に絶対など絶対にない。

 俺の今までの人生はすべて順調だった。特別な努力をせずとも全てにおいて平均値付近の位置に立て、ありふれた苦悩は経験したものの絶望は介入してこなかった。そこそこの家庭と学校と就職先は常に手の届くところにあり、その過程で素晴らしい友人と恋人を難なく得た。この先だって今までの延長線のような未来が待っていると、用意されていると、そう信じて疑わなかった。




「別れてほしいの」

 交際して三年目の彼女は、俺のプロポーズを受けると死刑宣告でもするかのような表情でそう告げた。理由は実にありがちなもので、曰く「今まで隠していたが他に交際している人がいた」と。相手は彼女と同じ会社で働いている男で、来月で交際五年目になるらしい。

 俺と彼女との間には今しがた持ち主を失った指輪が所在なさげに輝いていた。美しい指輪だ。なにしろこいつは四ヶ月ぶんの給料を易々と平らげたのだ。しかし指輪の金銭的価値など心底どうでもよかった。彼女との日々は給料の何ヶ月分よりも遙かに価値があったからだ。俺は彼女を真剣に愛し、彼女のためになるのであれば体の一部でさえも犠牲にする覚悟はできていた。




 「どうして?」

 声は震えていた。

 いや、どうしてなどという質問は野暮であろう。人間の心理というものは、ことに恋愛沙汰になると制御ができないものである。恋愛感情に基づいた行為を制御するということは、理論上は食事と睡眠を我慢することと同等なのだから。ゆえに理由を求めるのは野暮である。そもそも聞いても満足な答えが返ってくることはないだろう。

 この世に絶対など絶対にない。

 が、ひとつだけ絶対に言い切れることがある。

 彼女は絶対に戻ってはこない。

 なにしろ彼女は、別れを告げたあの日から、二週間ほど経過した今日まで俺の部屋から一歩も外に出ていないのだ。

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