クリスマスキャロルの頃には
冬は、嫌いだ。
あの頃の笑顔を、思い出すから。
だから、寒さを感じないだろう南の街まで流れてきたけれど、この街にも寒さは忍び寄って。
季節外れの名目で、雪が空を舞う。
どこかの寒がりがつけた石油ストーブの微かな匂いが鼻をくすぐる。
そして、降る雪。
灰色の空から、途切れなく落ちてくる。
この白い欠片に、今まで、どれほどの幸福な結末を夢見たことだろう。
渦を巻いて、地面を染めるボタン雪。
この街に似合わない雪は、これまた不釣合いに地面に白く積もってゆく。
冷え切っている世界を見ていると、流れ行くだけの季節が、本当にあの頃に立ち戻ってくれたようにさえ思える。
だから、離れよう。少しでもこの冬から。
そう思って駅まで出てきたのに。
私の目は、一台のストリートピアノに吸い寄せられる。
慣れない寒さに襲われた人が、嘆きを口にしながら、足早に去っていく。
ひとりきりで誰かを待つ、古いピアノを置き去りにしたまま。
彼女の無言の視線に耐え切れなくなった私は、乱暴に腰掛け、その鍵盤を叩き出した。
真っ先に思いついた冬の流行歌。
クリスマスキャロルが、流れるころには。
君と僕の答えも、きっと出ているだろう。って。
歌声もなく、ただピアノの単音で弾かれるポップスは、本物より寂しくロマンチックに聞こえた。
その変化が、わたしは昔から好きだった。
ただ、好きで。そんな好きなことがこれからもずっとできたら。
そんな子供みたいな思いでピアノに向き合い、高校まで進んでしまった。
普通科にいながら、音大に行きたいと大それたことを思ってしまった。
笑顔で応援してくれてしまった、先生がいた。
そして。
目線を上げれば、アップライトの磨き抜かれた壁が立ちはだかる。
モノクロの世界の、黒の部分に私が映る。
そうさ、白の世界に私は残らなかったよ。あんなに一生懸命だったけれど。
答えなんて、見つからないままだよ。
聞きなよ、このやるせなさを。
悔しさを。
伝えるセンスなんて、欠片もなかったけどさ!
心地よくて、結局一曲全部弾いた。
時間にして、五分くらいだろうか。
そして、また彼女に静けさが戻る。
ふたを閉じる音さえ今の雰囲気を壊しそうで、わたしは弾き終わった鍵盤に布だけかけていく事にした。
「さよなら」
いろんな人間が想い、手を染めて、錆び付くほど古くなってしまった言葉をそえて。
誰もいないステージに、バレエのように気取ったお辞儀で別れを告げ、歩き出す。
その手を取られたのは、なぜだろう。
なんて言葉で誘われたかは、恩知らずにもまったく覚えてない。
インディーズ、バンドという響きに、どこか不良じみた響きがあったことだけ、覚えている。
ついていこうとしたのは何故だろう。
けど、自棄になって身を任せたんじゃない。
その方向には、白も、黒も、他の色も、色なんか分からなくなるほどの光が差していた。
それから。
本当の私に釣り合った気がする、体育館の手作りステージ。
いつまでも不釣り合いに思える歓声のなか、今日のライブがはじまる。
そのバンドを通じ、私は少しだけ有名人になった。
自分の出身校の文化祭に呼ばれ、名前を叫んでもらえるぐらいに。
鍵盤を前に、私は耳のなかとは違う曲に指を弾ませる。
耳の中は、これからやってくる季節に、真っ先に思いつく冬の流行歌。
歌詞は、とても勝手でムカつく男のワガママだけど。
勝手に離れて、何が大切なのかわかったこともたくさんあった。
近すぎて見えない支えは離れてみて分かる。そこだけは、共感したい。
――ねぇ、先生。
あの時の先生と同じぐらいになったはずの私、不思議なものが見えてるよ。
グランドピアノの開いた蓋の先、高校の後輩たちが作る未来の世界が。
ねぇ。
今年、あの歌が似合う頃。
私と先生の上には、どんな雪が降るんだろうね。
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