第3話 ペテン

 俺は試合が終わるたびに金貨を所有者である神民に届けていた。

 受け渡し場所は裏通りの酒場だ。

 酒の香りとしょんべんの香りが入り交じる掃きだめ。

 今日も酒場の壁に手をかけゲロを吐く男の横で、別の男と女が熱い抱擁を交わしている。


 俺の所有者は必ずその酒場で酒を飲んでいた。

 着替えが終わった俺は、そこで所有者に金貨を手渡すのである。

 この行為を今まで幾度となく繰り返してきた。

 だが、それも今日で終わる。


 男たちの怒声が漏れてくる酒場の入り口から奴隷女が破れた服で胸を押さえて駆け出してきた。

 ここは、いつも騒がしい。

 だが俺にとっては、リング以外で唯一落ち着ける場所なのだ。


 酒場の中はいたるところで酒がこぼれ、アルコールの匂いが充満していた。

 部屋の隅では女が叫び声をあげ助けを求めているが、だれも見向きはしない。

 いつものことだ。

 そんな女を下半身むき出しの男たちが楽し気に囲んでいる。


 そんな喧騒から隔絶されたかのような古臭い丸テーブルに、一人の小太りな男が腰かけていた。

 この豚男が俺の所有者である。


 俺は、いつも通り豚男の前の椅子を引く。

 座ると同時に右手をテーブルの中心にかざした。

 開いた手から落ちた金貨がテーブルの上でくるくると回る。

「これで俺は自由だな」


 しかし、豚男は何も発しない。

 ただ、先ほどからニタニタと笑い俺を見続けているだけだった。

 少々いらだつ俺は再度確認した。

「大金貨100枚確かに納めたぞ!」


 豚男はブヒっと鼻で笑う。そして、こう続けた。

「ゴンカレエ……お前は、バカか……これじゃ全然足りんだろうが」

「何を言っている! 大金貨100枚という約束だろう!」

「お前な、利息というものが、あるんだよ、この世の中にはな」


「いい加減にしろ! これで何度目だ!」

 俺は机を激しくたたいた。


 その音に驚いたのか、奥で腰を振っていた男たちが一斉にこちらを見つめていた。

 そのすきを縫って、素っ裸の女が自分の服をつかみ酒場から飛び出した。

 処女だったのだろうか、床に広がる赤いしずくの跡が懸命にその影を追っていく。

 男のナニが、怒られた子供のようにしょんぼりとしぼんでいったのは滑稽だった。


 だが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 豚男が値上げを言ってきたのだ。


 本当にこれで何度目なのだろう。

 はじめは大金貨50枚の約束だった。

 それが、大金貨50枚貯めたころには60枚に。

 そして、ついには100枚まで値上がりしていたのだ。

 だが俺は、それでも文句を言わずに頑張った。


 神民とけんかをしても、奴隷の俺が勝てるわけがないのである。

 いや、力という面では目の前のデブなど指一本で倒せる自信がある。

 だが権力という面では、逆に奴の豚の鼻息1つで俺は抹殺される。

 奴隷など死んだところで問題にすらならないのである。

 だから耐えた。

 耐えてきたのだ。


 だが、俺の我慢にも限界がある。

 ――いったい! いつまで俺をこき使うきなんだ!

 テーブルについた俺の右手た小刻みに震える。

 俺の目が憤怒の怒りで吊り上がる。


 その殺気に気おされたのか、豚男の声が震えていた。

「おいおい、こんなところでトラブル起こしてもいいのか、それだと地下格闘場でも戦うことができなくなるぞ」

「お前には関係ないことだ!」

「そんなことはないぞ、なぁオーナー!」


 その声に呼応するかのように、部屋の隅から赤いチャイナドレスがちらりと揺れた。

 チャイナドレスは、手に持つ扇子で下半身をむき出しに呆然としている男たちの頭を、まるで汚いゴミでも払うかのように払って道を作る。

 ゆっくりと煙草をふかしながら近づいてくるチャイナドレスは、まさしく地下格闘場のオーナーであった。


「なんで、お前が!」

「なんでって、新しいご主人様に向かって、ご挨拶だね!」

「どういうことだ?」

「理解できないのかい? 私があんたを大金貨200枚でその男から買ったんだよ」


 俺は目の前の小太りの豚男をにらみつけた。

 豚男は何事もなかったかのように笑いながら席を立つ。

「まぁ、そういうことだから、がんばれよ! ゴンカレエちゃん!」


「ふざけるな!」

 俺は、右こぶしを再度テーブルにたたきつけた。

 テーブルが激しい音ともに砕け散る。

 突然の騒動に店の中が悲鳴であふれかえった。

 その剣幕におどろく豚男とオーナー


 もう正直、今の俺はどうでもよくなっていた。

 目の前の二人をぶちのめし、結果、死刑にされてもかまわないと思っていた。

 俺など死んでも誰も悲しまないのだ。

 というか、この二人をぶちのめせば、先ほど暴力を振るわれていた女奴隷ぐらいは感謝してくれるかもしれないなどとマジで思っていた。

 大方、この二人が、暇つぶしに襲わせていたのだろう。

 こいつらのほうこそ生きる価値はないクズだ。


 怒りに震える俺の背後から、ひょうひょうとした男の声が響いた。

「これはこれは、地下闘技場のオーナーさんではないですか」

 悲鳴や叫び声でごった返す酒場の中で、透き通るような男の声である。

 振り返るとそこには、学生服を着た美青年が右手をエル字に構えて顔の横に添えて立っていた。


「イケメンアイドル! セレスティーノですッ!」

 男はウェーブのかかった長い金色の髪を肩に垂らし、そのすらっとした高身長はバレェダンサーのように背筋が伸び涼やかであった。


 ――セレスティーノか!

 俺はとっさに身構えた。

 この男、一見、ひ弱なアイドルのように見えるが、その正体は第8の門の騎士である。

 まぁ、王に次ぐ騎士の身分。

 8人いる騎士の一人なのである。

 この聖人世界では不老不死。

 誰もかなうことがない無敵の存在。

 そして、自らをイケメンアイドルとのたまうだけあって女からの評判がいい。

 だが、それは表向きの事。その内情はただの女たらしのいけ好かない奴である。

 現に今も、ここに女をあさりに来ているのであろう。

 こんな汚い酒場まで?

 疑問に思う人も多いかもしれない。

 だが奴には、神民学校の生徒会長という肩書もあり、ひそかに宰相の娘アルテラの婿に収まろうという野望まであるという噂だ。

 そのため、神民街など人目のつくところで女遊びでもしていたら、評判がガタ落ちでイケメンアイドルから汚れ芸人に格下げである。

 ちょっとマニアックなプレイなどしたいときには、こうやって奴隷たちが集まる酒場に足を運んでいるのだろう。

 いったい今日はどんなプレイをしに来たのやら。

 その手には首輪とリード代わりの鞭が握られていた。


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