しゃべるのが下手だな



 ミハシ君は私ことしゃべるのが下手だなって言った。

 たしかに私、しゃべるのが下手で、消えてしまいたくなるときがあるんだ。

 私ってば、他人から良く思われたいなんてくだらないことをよく考えて、ああ、本当に私ってばくだらない。

 私という人間を、一ミリもずれることなく説明したいって思って、でも出来なくて苦しくて、一人でもがいて、毎日がそんな繰り返し。

 鏡のなかにいる私はちっとも可愛くない。ひどい、ひどくて怖い。昨日、バイト先のオクエダさんに、駅のホームであったの。奇麗な髪はつるつるに光って、黒いコートには埃なんて付いていない。私、オクエダさんみたいなボブヘアにしたいけれど、そんなの絶対に無理だから、今すぐにでも伸ばしかけた髪を全部切ってしまいたい。

 いっそ頭皮なんていらないから、脳ミソを剥き出しにしてしまえばいい。道行く人に罵られたい。私のコートは埃まみれだから、オクエダさんみたいな髪型になんて、なれるはずがないんだから。

 私はね、いつだってガラスを探しているの。せめてガラスのなかでなら、私という醜い人間の容姿がちょっとでもマシに見えるじゃないかって、淡い期待をしているの。でも無理。どんなに見ても、私は私の姿が分からない。ああ、きっと、醜い姿を晒しているのだろうと悲しくなって、目を逸らした瞬間に、私は私の顔を忘れてしまう。

 ねぇ、私ってどんな顔、しているの? ちっとも分からない。ビデオ屋と美容室の前を通り過ぎるとき、私の考えていること。

 思考に潰されてしまいそうなとき、私は考えることに忙しくって、他人の言葉なんて頭に入らない。感情が溢れて、こんなにも溢れているのに、どうして他人は気づかないのだろう。私の体は、もう少し、私に近づくべきなのに。不思議。世界って不思議だ。

 私は怒るという感情が分からないのだけれど、ミハシ君って、よく怒る。けれどミハシ君がなにに怒っていたのか私は忘れてしまっていて、もしかしたら私に怒っていたのかもしれないと思う。そうではないようにも、思う。私が他人に寛容だとか、そんな奇麗な話ではなくて、私は否定することが不得意なだけだ。私なんて個性のない、自我のない人間なのだ。つまらない、つまらない私。

 ああ、そういえば、思い出したよ。価値観の狭い人間が多いって、ミハシ君は怒っていたんだ。それでね、私といると落ち着くって言っていたんだ。私は決して否定しないから、全部、全部、受け入れてくれるから、安心するって言っていたんだ。

 ミハシ君って眼鏡が似合う中性的な顔立ちで、女の子のオトモダチがいっぱいいる。だから私も安心するの。そのなかで特別になりませんようにって、祈っているの。私は、私なんかを好きになる男が好きじゃない。だって、勘違いをしているに決まってるじゃない。私なんてなにもない。本当になにもない、くだらない人間なんだから。それなのに否定するほど幻想が膨らんで、男たちはいつも、私をがっかりさせる。とても悲しい。とても、とても苦しい。

 だからミハシ君が好きだよって言ってから、今日でちょうど一年経って、やっと私は返事をもらった。

「しゃべるのが下手だな」

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