冷静で紳士的な船長であった

最上階の操舵室近くのN2デッキに登ると、船長室があった。


ひさえさんがドアをノックすると、扉が開き、中からスラッとした男が出てきた。


氷川丸の初代船長の秋吉七郎氏だった。


展示室で見たモノクロの写真と同じ人物が目の前にいて、しかも生きているのだから、

 

(本物だ…)


と私は一瞬体が固まってしまった。


それに展示室の説明だと、この秋吉船長はかなり厳しい人のようで、その規律の厳しさから、軍艦氷川丸と言われていたようであった。


私がお礼を言う前に船長は


「どうぞ、あちらへおかけください。」


と私を大きなソファへと案内してくれた。


「私の為に部屋や食事を用意してくださり、ありがとうございます。

お代はお支払いしたいのですが、いろいろと諸事情がございまして、下船後すぐにお支払いはできません。

ですが、必ずお返ししたいと思っています。」


私はこう述べるのが精一杯であった。


時空を超えて未来からやってきたなんて言ったところでまず信じてもらえないだろうし、そのような訳のわからないことを言う人間にフラフラ船内を歩いてもらっては困ると、判断される可能性もある。


「間違えて乗船されたと聞いていましたが、私もこのような事案は初めてなので、少々戸惑いました。

ですが、スチュワーデスの方から、貴方様が大変にお困りの様子だと聞きまして、対応させていただきました。」


冷静で紳士的な男だった。


だが部下を信じ、的確で温かい対応を私にしてくれた。


私は改めてお礼を伝えた。


船長室を出ると、デッキに行き、海をボーッと眺めた。


お金の問題が私に重くのしかかっていた。


私の財布の中には今、一万円札が3枚入っている。


この時代であれば大変な価値だろうが、このような紙幣では今いる時代では全く通用しないし、第一に私には住所も本籍も今の日本には存在しないのだ。


いや、深く考えるのはやめにしよう。


日銭でなんとか食い凌げば良いし、3等客室の料金であれば、払えない額では無い。



前途多難だ…



太平洋を横断している船に乗船している者としてあるまじき四文字だ。


しかし私の不安な気持ちを表すかのように、船の前方には暗い空が広がっていた。

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