4章 あなたのためにできること


 祭りのあくる日の昼下がり。

(……もうこんな時間か……)

 昨晩、ひとしきり泣いたのちにミコは部屋にもどったものの、まったくつけないままに朝をむかえた。

 いっすいもしていないがちっともねむくないし、朝から何も食べていないがおなかもすかない。

 テーブルの上には用意してくれた食事が、手つかずの状態でそのまま残っている。

(作ってくれたモニカさんに申し訳ない……)

 せめて飲み物だけでもと、ミコははちみつ入りのミルクに口をつける。

 朝方、モニカとタディアスが持ってきてくれたときはあたためられていたが、すっかり冷えてしまっていた。それでもかまわず、ミコはゆっくりとミルクを飲み干す。

(……昨日のことがあったから、様子を見に来てくれたんだろうな)

 二人はごく自然に食事などの世話を焼きながら、ミコにとりとめのないことを話しかけてくれたのだ。

 そっとしておこうという姿勢ながらも関わろうとするその接し方からは、うわつらではない心配がけて見えるようだった。

(気にかけてくれるのは、すごくありがたい)

 事実はざんこくでこそあったけれど、知っていることをうそいつわりなく教えてくれたことには心から感謝している。

 もっとあとで、それこそお役目をすいこうしたときにアンセルムから「そんなもの最初からない」と宣告されでもしたら、今と比にならないほどに絶望していたかもしれない。

 だからタディアスとモニカに責任を感じてほしくないし、心配もかけたくはなかった。

 ──けど、今は心がくしゃくしゃで。

 二人がいなくなってからというもの、ミコは食堂けん居間ので縮こまっている。

 いつもなら太古の森に行っているころだ。頭では日常を送らねばと思っているのに出かける気になれなくて、暗いため息をつきながらな時間を過ごしてしまっていた。

「……だいじょうゆう

 弱々しい声で唱えてみても、勇気はすずめなみだほどもいてこない。どうしようもなく落ち込んでいるのを自覚しているせいなのか、逆に心がむなしくなってしまう。

 ミコのかわいていたひとみにまたうっすらと涙がにじんだ。



 時を同じくして。

 別形態を取ったジルは、昨日に引き続いてブランスターの街へと出向いていた。

 理由はといえば──ミコが姿を現さないから。

(……昨日のミコはちゅうから様子が変だった)

 ミコは明るくってこそいたが、会話中もふと上の空になったり、大きな瞳はときどきぼんやりとくうを泳いだりしていた。

 本人はかくしているつもりらしかったが、心ここにあらずといった心情は丸わかりで。

 それらが引っかかって、ジルは自ら人間のそうくつに再びおもむいてしまったのだ。

(ミコのことになると調子がくるう……)

 なおな言葉や表情にどうにも平常心を乱されて──いるのに、いやな気はしない。

 以前はミコの存在をめんどうにすら感じていたのに、今や、知っているだれかのためとなるとみょうかんになるミコが心配で放っておけず──無茶をする前になぜ俺に言わない、とたよられたいとすら思う。

 挙句の果てに『ミコの力になってやりたい』という理由から、きょうする形で転居の話を受け入れようとしている始末。

(…………なぜ俺はこうもミコに甘くなった……?)

 手のひらを返すようなおのれの変化に頭が痛くなって、ジルは額をさえた。

「きゃあ! めちゃくちゃかっこいい!」

「一人かな? 思いきって声かけてみる?」

「えー、相手にされるかなあ?」

 ──やけに見られているな。

 昨日もそうだったが人間の、特に女からの視線を至るところから感じる。

 ミコはこの姿で街に来るようにと言っていたくらいだ。正体がバレているわけではないだろう。

(敵意は感じないが……)

 人間と見れば一も二もなくじゃけんにしていた自分がこのようにおんけんな考えにおよぶなど、ミコとうほんのひと月前までは考えられなかったことだ。

 とはいえ、その視線は異様にぎらついているもので。

(……上から下までをめるように見られるのは、気持ちのいいものではないな)

 かいさから、ジルは無自覚にすごみを増す。当然ながら声をかけようとしていたおとらの気合いは秒でくだけ、無言で引き下がった。

 そんなことなど知るよしもないジルは、昨日招かれたミコの家へとすすむ。

(このあたりを曲がった裏手だったな……)

「おっ、昨日のお兄さん!」

 前方にあるい茶色の木としらかべの建物の前にいたのは、見覚えのある人間──丸っこい男は昨日、ミコにフルーツサンドという甘い食べ物を提供していたパン屋だ。

 そして、そのとなりにいるのも……

「パン屋のだん、あのちょうぜつ男前なくろかみの兄ちゃんと知り合いなのか?」

(……こいつはたしか、火事の現場にいたな)

 はだに焼けたたくましい男は消火したあと、ジルにいの一番に声をかけてきたはずだ。

「そういうとうりょうこそ」

「花屋のばあさん家の火事をほうで消してくれたのが、あの黒髪の兄ちゃんだよ」

「そりゃ知らなかった!」

「黒髪の兄ちゃんはこの辺に住んでんのかい?」

「棟梁、お兄さんは外国人で言葉がわからないんだ。ミコちゃんに通訳してもらわねえと」

 彼らが何を話しているかが、ジルには見当もつかない。

(……ミコの能力が言語のへだたりに対していかにすぐれているか、痛感させられるな)

「旦那よ、ミコちゃんって誰だ?」

「この裏手に住むハイアットご夫妻のしんせきの子で、このお兄さんの通訳だ。──仲むつまじい感じだったし、こいなかまであと一歩二歩だとオレはむね」

「か──! いっちゃん甘ずっぺえときじゃねえか!」

 ──なんだ?

 先ほどの人間の女たちと同じく、二人はじっくりとジルを見てくる。

 不思議と不快感は胸にせり上がってこないものの、視線が生ぬるくてごこが悪い。

 直観に従ったジルがこの場を立ち去ろうとすると。

「ちょっとストップお兄さん! 棟梁、引き留め役は任せた!」

「よしきた!」

 陽に焼けた男が両手をかかげて、ジルの前にふさがる。りから察するに、ジルをこの場に留めたいようだ。

 丸っこい男はといえば腹をらして建物に入っていった。

 それからさほどたずに、茶色い物体をかかえて戻ってくる。

「ここにいるってことは、お兄さんこれからミコちゃんとこに行くんだろ? あの子はうちのベーグルとマフィン好きだから持っていきなよ! おっちゃんからのサービスだ!」

 なぜか甘い香りが立ち上る、形も色も異なる食物が入った茶色い物体を押しつけられた。……これは、やる、と言っているのか?

 ジルがためしに押しつけられたそれを手に取ってみると、二人は笑った。

 ──ものを前にゆがめたものではなく、おおらかでうれしそうに。

(きちんと意識して見ると、わかるものだな……)

 ミコに言われてここへ来たが、ミコが違うだけであとはどうせ同じだろうと、ジルはひどく冷めた考えを持っていた。

 それなのに、この街の人間からもたらされた言葉は予期せぬあたたかいもので。

(態度も表情も、太古の森で見てきたやからとの差をまざまざと思い知らされた)

 無論、ジルにもこれまでの経験によるにんしきがある。人間の見方を手放しで変えることへのていこうも少なからずあるのが本音だ。

 だがミコきで二人とたいしていても、敵意やじゃを感じないのもまた事実。

 良い人間もいるというミコの考えがちがってはいないのだろうと、ジルは心ひそかに感じ入る。

(……人間には……)

 様々な動作があると、ジルはミコを見ていて気づいた。

 過去にどこかで聞きかじった、感謝を伝えるときは手をにぎるというもの以外にもたくさんあって、しかもやり方は一つではないようだ。

(ミコはたしか……)

 何かをもらい受ける際には、軽く頭を下げてありがとうと口にしていた。

 言葉は通じず、あのやわらかい表情も簡単にはできないが、ジルはミコにならって軽く頭を下げる。

 それをたりにした二人はしゅんこくの間、目を見開いていたが、

「お兄さん、またミコちゃんといっしょにパンを買いに来てくれ!」

「ミコちゃんとよろしくやれよ、黒髪の兄ちゃん。家が欲しいときはいつでも言ってくれ、うでによりをかけて建ててやるからよ!」

 すぐにまた生き生きと笑って、ジルに手を振る。

 なんと言っているかは解らないながらも、二人の砕けた表情から己の反応は間違っていないようだとジルは判断して、再びミコの家へと歩を進めた。

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