③
火事
花屋をあとにしたミコはジルにひと息ついてもらうため、下宿先に招待した。
『……これがミコの家か』
「わたしのものではなく、お借りしている家ですが」
ミコが住まわせてもらっているのは、タディアスたちが住む
一室を間借りするものと思い込んできたミコは、小さなキッチンや個室が備わっている
そのため
「誰もいないので、くつろいでくださいね」
食堂兼居間の
(美形って本当に得な生き物だな……)
竜だけど、と胸中で言い足して、ミコは部屋の
紅茶にオレンジの輪切りを浮かべた二人分のカップと
「お待たせしました。ジルさま、お茶をどうぞ」
テーブルを挟んだ向かいの椅子にミコも腰かけた。
『……なんだこの赤い液体は?』
「これはある植物を
『なぜそれを俺に……?』
心底不思議そうなジルを見て、ミコははたと気づく。
これまでミコはジルをこんなふうにもてなしたことはなかったのだ。太古の森でおすそ分けを食べるのも決まってソラだった。
「家にお客さまを迎えたら、
『人間の風習は変わっているな……』
言いつつ、ジルはカップに
「どうでしょう?」
『……うまい』
ジルからの評価にミコはほっとする。料理上手なモニカから、料理だけでなくお茶の
「ジルさま、あんなにすごい能力を使って
『……あの程度で疲れるほど俺はヤワじゃない』
「あんな
さすがチートの代名詞、とミコが遠い目をしていたところで、
「ミコちゃん、よかった怪我はなさそうね。……あら?」
「ミコや、無事で何よりじゃ。……ほほう」
揃って入ってきたのはモニカとタディアスだ。
二人はミコとジルを
『……ミコ、こいつらは誰だ』
二人の姿を認めた瞬間、ジルのまとう空気が
「お二人はこの世界でのわたしのおばあちゃんとおじいちゃんみたいな方です」
『おばあちゃんとおじいちゃん……?』
「えーと、おばあちゃんはお母さんのお母さんですね。それで、おじいちゃんはお父さんのお父さんです」
『……そうか、家族のようなものか』
説明すると、ジルから鋭利さは
(気のせい……?)
「いやはや、よもやミコが
「ミコちゃんもお
「!? そ、そんなんじゃないです!」
とんでもない誤解に
「青春じゃのう」「若いっていいわねぇ」と、二人は思い思いの感想とともに相好を
「そうだ! お二人ともわたしに何か用があったのでは!?」
ミコはいたたまれず、半ば無理やり別の話題に
「いえね、花屋のおばあちゃんのお
「その場にミコらしき女の子がいたという話があったんじゃよ」
「たしかに火事の現場にはいましたが、このとおりわたしは無傷ですから。心配してくれてありがとうございます」
モニカとタディアスはよかったと言って、口の端をゆるめた。
「ところでミコちゃん」
緑の瞳がジルへと移動する。
「そちらの美丈夫はどなた? 立ち居から、相当
モニカの見立てはやけに
顔には
(貴婦人の
「えっと、こちらはジルさまです。お役目の関連で知り合った他の大陸からいらした方で、わたしは通訳みたいなものです。
「まあ、そうだったの。ようこそブランスターの街へおいでくださいました」
「歓迎致しますじゃ」
「──とおっしゃっています」
そのまま伝えると、ジルは形のいい
(まあ、それも仕方ないか)
敵
迎え
「ありがとう、とのことです。すみません、彼は照れ屋なもので」
ミコはちょっとだけ気を
「うふふ、ミコちゃんの能力は
うっとり顔のモニカが、ミコの両手をがっちりと摑む。何気に力が強い。
「動物たちばかりでなく、他の大陸の言語まで解るだなんて」
「えへへ……」
ミコはあいまいに笑ってごまかす。ジルのことを訊かれたときのためにと前もって考えていた設定だったけれど、
(……改めて考えるとこの国の言葉、当たり前のように読み書きできるよね)
異世界転移者の特別装備的なやつなのかもしれない。
考えたところで何もわからないので、ミコはそういうことにしておいた。
「モニカや、ミコの無事も
「ええ、あなた。私たちは退散しましょう」
二人はミコたちにウィンクして部屋から退出した。何か誤解されたままな気がするけれど、ひとまず深く考えるのはやめておこう。
「ジルさま、どうでしたか?」
『何がだ……?』
「ジルさまの目には、二人はどんなふうに映ったのかなと」
ミコが質問を投げてから、たっぷり時間を置いたのち。
ジルは少しかすれた声で
『………………敵意や
素直ではない言い方だ。
でも、人間が
雪がじんわり解けていくように認めてくれたらいいなとミコは思った。
「何事もコツコツと積み重ねていくことが大事ですからね。──あっ!」
『急にどうした……?』
「フルーツサンド、買ってなかった!」
広場に着くなり迷子になり、行き先では火事に
タディアスはたしか、数量限定と言っていたはず。
(ジルさまに食べてもらいたいけど、ひと息ついているのを
「ジルさま、わたしどうしても買いたいものがあるのでちょっと出かけてきます。ジルさまはここで休んでいてください」
『……俺も行く』
「休んでいなくていいんですか?」
『一人だとミコはまた流されかねないからな……』
立ち上がりざまのジルの見解に「そんなことないです」と返したいが、さっきやらかしただけに言えない。
家を出たミコは、せめてもの決意を
「……今度は体中に力を込めて、なおかつ気張って歩きます」
『歩くだけで
言って、ジルは自らの腕をミコへと無造作に差し出した。
「ジルさま?」
『俺を摑んでおけばはぐれることもないだろう』
──摑む? ジルさまの腕をわたしが?
うっかり想像してしまうなり、ミコの頭はぼんっと
腕を組んで歩くなんて、恋人同士の仲
(い、嫌とかじゃないけど……)
ひたすら恥ずかしいので無理そうだった。
だからといって、ミコがはぐれないようにと気遣ってくれるジルの親切を無下に
その一心でミコはジルが着ている上着の端っこの方をかすかに震える指先でつまんだ。
「……えっと。では、お言葉に甘えてこちらを摑ませてもらいますね」
『……放すなよ』
身の置き所のないような恥ずかしさに
動揺しているのが自分だけだと実感すると、なんだか胸のあたりがきゅっとなった。
(どうしちゃったんだろう、わたし……)
ジルに対して、感情の変化がめまぐるしい。
永い
(心臓の音が、速い)
触れているジルの上着の冷たさが気持ちいいほどに、指先も頰と同様の熱を帯びている。
注意を払うようなまなざしをときどき向けてくるジルにそのことを気取られないように、ミコは少し顔を
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