②
祭り当日。天上を覆うのは突き抜けるような青空だった。
気温は寒すぎず暑すぎず。少々風が強いものの、散策におあつらえ向きのお
「ミコや、手紙が届いておったぞ」
「ありがとうございます、タディアスさん」
ハイアット夫妻と朝食を取ったあと。テーブルを
差出人は王都にいるデューイだ。
二つ折りになった手紙にしたためられていたのは、交渉の
(……心配性のお父さん……?)
年齢的にはお父さんではなくお兄さんかもしれないけれど。
「あら、またフォスレター
「そうじゃな」
モニカとタディアスがこう口を
デューイは週に一度はこうして、美しい文字を連ねた手紙を送ってくるのだ。
「ミコや、今日はお役目で知り合った方と祭りに行くんじゃろう?」
「はい。タディアスさんから教えてもらった、
そこは一番多くの
「ならば、
(ジルさまにも食べさせてあげたいな!)
メインは人間観察だけれど、祭りにグルメはつきものである。
せっかくの機会だからと、ミコは購入を心に固く
「ジルさま! すみません、お待たせしましたか?」
『……いや。俺も今着いたところだ』
そこにはすでに、シルエットが
(今のやりとりって、なんだかデートみたい)
そう思ってしまった次の
(全然そんなんじゃないから! 何を考えてるのわたしは!?)
『……ミコ、どうかしたのか?』
「いいえなんでもありませんっ!」
内心の混乱がひっくり返った声として表に出てしまう。
心の中で「これはただのお役目の延長」と念じつつ、ミコは自分を落ち着かせるために
「い、いいお天気でよかったですね」
『ああ。…………まさか本当に、俺が人間の街に来るとはな』
「ジルさま、何かおっしゃいましたか?」
『……別になんでもない』
今日も今日とて、ジルの恐ろしく
「そういえば、今日ソラくんは一緒じゃないんですね?」
『好奇心のままに動いて迷子になるのが目に見えていたから置いてきた……』
「じゃあ観察
ミコは明るく提案して、ジルと一緒に街へ
「ここブランスターの街は王国でも有数の
大通り沿いには高級な店構えの
「あそこに植えられた大きなもみの樹は冬になると
『たしかに目立つな……』
ミコはにわか知識を
「それから、ブランスターの街は
『……純度の高い
この魔植物とは、
特別な能力を用いて生成される魔法薬は下位ランクのものであれば、ありふれたハーブでも生成できるそうだ。
しかし、通常のハーブでは効能を高めるのにも限界があるため、上位ランクの魔法薬には魔力
「太古の森には魔植物がたくさんありそうですね」
『ああ。魔力が
「で、
『植物や鉱物だけでは
「……わたしもキュートな赤ちゃん幻獣がいても、連れて帰らないように気をつけます」
『その場合は相談してくれたら、一晩
「協議の中身に緊張感がありませんね?」
刻一刻と内容から重みがなくなっていく会話にミコは笑ってしまった。
ジルと一緒にいるのはどうにも
(ジルさまがラスボスにふさわしい悪逆非道ならまだしも、……中身は真逆だから)
だから仕方がない。ミコは
すると、すれ違う女性たちがことごとく振り返り、ジルを見て頰を赤らめていることにミコは気づいた。「すっごい美形」「理想」といった囁き声も聞こえてくる。
(……ジルさまって、やっぱり目立つんだ)
一見すると無表情で近寄りがたい
(まあ、無理もないよね)
本性を知っているぶんいくらかフィルターがかかっているだろうミコでさえ、この姿のジルは空前の
街の
水遊びのできる
だけど──
(これは……広場というより市場?)
ミコたちが足を運んだのは、中央に
買ったものをすぐ食べられるよう、多くのテーブル席が青空の下に設置されていることもあってか、憩いの場には
『……どこからこれだけの人間が
ジルはげんなりした調子で感想をもらす。
「すごいですね。今日はたくさんの露店が出るとは聞いていたんですけど、わたしもここまでの人だかりとは……」
『小ぶりなミコはあっという間に人波に流され──』
「ひゃあ!?」
ジルの話の途中、通行人にぶつかられた
(
圧死する前に
だが、小さな身体は
どうにか路の
ずいぶん流されたのか、ジルの姿は
(こ、この
ミコはショックで突っ
せめて身長が平均値あれば踏ん張れたのにと己の低身長を
(早く、ジルさまを見つけないと!)
迷子のときは、やみくもに
待っていて、再会できる確率は非常に低そうだ。
「捜そう!」
気合いを入れるため、あえて声に出す。
流されてきた方向を
(ひとまず、捜しに行く前に……)
すうっと、ミコは深く息を吸い込む。
「ジルさま────っ! いらっしゃいますか────っ!?」
ミコはあらん限りの大声でジルを呼んだ。
所在不明のジルに、まずは専売特許である声で訴えかけてみよう! と
ミコはおとなしく、通行人が
(…………えっ)
『こんなところにいたのか』
「な、……んで……」
細い路地を背に立っていたのは、なんとジルだったのだ。
そんなミコを見下ろしたジルは、
『なぜって、呼んだだろう。……どうしてだろうな、ミコの声は俺の耳によく届く』
そう言った。なんの気なしの言い方なのに、
──嬉しいことのはずなのに。
なんだか、自分が特別だと言われているみたいで。胸が急に熱を帯びてたまらなく
(っ、な、何これ……!?)
『聞こえているか、ミコ?』
「あ、えっと、はいっ!!」
『声がうわずりまくりだが……顔が赤いし気分でも悪いのか?」
「いえっ、まったく!」
ミコは首をちぎれんばかりに振った。
深く息を吸って、深く息を
謎に
「大変失礼しました……」
『別にかまわないが、大丈夫なのか?』
「は、はい。あの、ジルさま」
ミコはジルを仰いだ。
今しがたの恥じらいが
感謝の念は、きちんと視線を合わせて伝えたい。
「見つけてくれて、ありがとうございます」
『これくらいなんでもない。……怪我はないな?』
「ありません。……ジルさまが来てくれて、すごくほっとしました」
怪我の
「ジルさま、どうかされましたか?」
『…………なんでもない』
ジルは顔をふいっと横に
(あんまりにもふぬけた顔をしていたから、逆に驚いたとか……?)
自分で考えておきながら精神的ダメージを
────と。
『……
雲の流れる空に視線をすべらせたジルが囁いた、
「火事だ────────っ!」
前方から、
急いで後ろに逃げていく者もいれば、バケツを手に前へと走っていく者もいた。行動の顕著な違いは、おそらく観光客と地元住民の差だろう。
「火事はどこだ!?」
「通りの外れにある、ばあさんが営む花屋だそうだ!」
(!)
ここから火事の現場はまだ見えない。
ミコはバケツを持った人たちのあとを追いかけた。『おいミコ!?』とジルの呼び止める声が背中に当たった気がするけれど、自分の足音と耳を
──見えたっ、あれだ!
追いすがる態だったミコの目に、
いつもは店先に
(! 花屋のおばあちゃん!)
現場から少し離れた場所で、おばあさんは女性に
目立った怪我はなさそうで安心したが、
「どんどん水を運べっ! 急げっ!」
「手え空いてる奴は送水の列に加われ! このままだと他に燃え移るぞ!」
むせ返るほどの熱気や炎と
水場から火元までは複数の人たちがいくつもの列を作り、水の入ったバケツを次々と渡す方式の人海戦術が取られている。
(でも、列の
ポンプ役の人手は足りていないようだ。迷わずミコは列へと直行──
『ミコ! お前は何をしているんだ!』
しようとしたら、ジルに回り込まれて
それでも、ミコは退かなかった。
「どいてくださいジルさま! 消火を手伝わないと!」
『みすみす危険な真似をする必要がどこにある!? ミコには関係ないだろう!』
「関係なくなんかありません!」
ミコは
「花屋のおばあちゃんは優しくて、わたしに白いガーベラをくれたんです。ここはそのおばあちゃんが大切にしているお店で──このままだと、もしかしたら飛び火してしまうかもしれない」
旦那さんが遺してくれたお店を失うだけでも、胸が
それなのに、もし自分の見知った誰かが火事によって怪我を負い、
ミコは聖人のように博愛的な善意は持っていない。
ただ、知っている人に心を痛めてほしくないし、助けられることがあるなら少しでも力になりたいと思うのだ。
「火事をなかったことにするのは無理ですけど、せめて被害が広がらないように今自分にできることを全力でやります!」
だからどいてくださいと、ミコはジルに熱く語りかける。
『────本当に、しょうがない奴だ』
観念したように
ジルは首を
『……ミコ。周りにいる連中を巻き込みたくないなら、後退するように伝えろ』
「ジルさま……?」
『あの炎を消せばいいんだろう? ──ミコは』
一度切って、ジルは言葉を
『お人好しで、放っておけば無茶をしでかしかねないからな』
──一瞬、音が。
消えた。
耳が分厚い
ジルは何事もないかのような足取りで、肩で風を切る。
(あ、いけない!)
「
ミコが張り上げた声に、消火作業に当たる住民たちは
消火のために離れる馬鹿がどこにいる──住民たちが口々に用意していた
この場にそぐわぬ湖の底のような静けさで
住民たちが視界の端に消えたのを見届けたジルは、ゆったりと右手を突き出す。
『《水魔法》
唱えた途端、ジルの右手から湧くように発生したおびただしい
火元だけに注ぎ込まれる集中
残るのは、黒く焼け焦げた建物の
『……終わったぞ』
振り向きざま、ジルはこともなげに言ってのけた。
「っ、ジルさま、すごすぎます!!」
「ジルさま?」
『なんでも自分でやろうとせずに、少しは
「────っ!!」
ミコは
なぜだろう、背を指でなぞられたように全身がぞわっと
(何これ、また……!)
体中の血が
まるで心臓を直に握られたような、経験したことのない感覚にミコの心は乱れる。
「黒髪の兄ちゃん! あんたすげえな!!」
己の異変に気を取られていたミコの意識は、静まり返っていた住民──最前線で消火に当たっていた、
「一時はどうなることかと思ったが、あんたのおかげで助かった! ありがとよ!」
「お兄さんがいなければどうなっていたか……! ありがとね!」
消火に
ジルの近寄りがたい雰囲気に
向かいにいる彼らの台詞には心からの厚い気持ちが
「黒髪の方、本当にありがとうございました」
近づいてきた花屋のおばあさんは
そして
「なんとお礼を言えばいいか……!」
『…………』
「ジルさま、皆さんはジルさまが炎を消してくれたことに感謝しているんです」
ミコの返答が意外だったのか、ジルは一度目を
『……人間が、感謝を……?』
「ジルさまがいなければ、どうなっていたかわからない。ありがとうって、口々におっしゃっています。──皆さんの顔を見れば、わたしが噓をついているかどうかわかりますよね?」
ジルにはこの場にいる人たちの言葉は解らない。
だけれど、その視線や表情が物語るのは深い感謝と羨望。
これまでにジルが目にしてきたであろう心にやましいことがある物騒な面々と違い、
「人間も幻獣も同じなんですよ」
『同じ……?』
「嬉しいときは喜んで、
ミコは胸を反らせ、自信をもって言いきった。
『…………』
返す言葉に詰まっているのか、ジルは無言で黒髪をくしゃりといじる。その人間くさい仕草がジルをいつもよりあどけなく見せた。
(……ジルさま、なんだか可愛い)
なんて、おこがましいことを思ってしまったのは
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