3章 歩み寄りと無情な事実
①
ミコが太古の森へ出向くようになって、一カ月余り。
今日はモニカが行きつけの花屋で買い物をするというのでミコも同行した。太古の森に
「ミコちゃん、最近楽しそうね」
店先で花たちを
「え? そうですか?」
「ええ。最初の
(表情に出ちゃってたんだ……)
カーバンクルらを
川の
(もともとクールな性格みたいだから、明朗さはないけど)
とはいえあの密猟者のことがあってからは、ミコへの対応が
このまま交流を続ければ、『そこまで言うなら仕方がない』と、ジルは転居に応じてくれるかもしれない。そう遠くないうちに、元の世界に帰れるかもしれないのだ。
(それにしても……別形態があんなにかっこいいなんて)
顔もスタイルも声も、
自分の感想に
「どうしたのミコちゃん?」
「なんでもないですっ」
「そう?」
小首を
ちなみに、なるべく
そのためご近所さんはミコのことを、「ハイアット
「モニカさま、これはあたしからのおまけだよ」
「まあ、いつもすみません」
おばあさんはモニカが買ったピンクの花たちに気前よく黄色い花を足して包んだ。
「それから、これはミコちゃんに」
「わたしにですか?」
「白いガーベラの花言葉は『希望』だからねぇ。ミコちゃんにぴったりだよ」
「ありがとうございます、花屋のおばあちゃん!」
おばあさんの
「あら、ミコちゃん。そろそろ馬車が来る時間じゃない?」
「そうでした! じゃあ、行ってきますねモニカさん。花屋のおばあちゃん、お花ありがとうございました!」
気をつけてと手を
太古の森に足を運んだミコだが、その左手には花屋のおばあさんからもらった白いガーベラをずっと
『……来たときから、ミコは何を大事そうに持っているんだ?』
ねぐらのシンボル的大樹の根元にもたれかかるジルは、別形態の人形を取っている。
「これはガーベラという花です。ここに来る前に花屋のおばあちゃんがくれました」
『植物一本が鼻歌をうたうほどに嬉しいのかミコは……?』
「花自体というより、花屋のおばあちゃんの思いやりが嬉しかったんですよ」
『……そういうものなのか?』
「そういうものです」
ミコと
その変化に比例するように、ミコもジルに
『くわぁ』
ジルの横で丸まっていたソラが、大きなあくびをして目を閉じた。
さっきミコのおすそ分けをたいらげていたので、お
(そういえば)
「ジルさま、ソラくんは何歳ですか?」
『六歳くらいだ。ソラは
ふとした疑問を
「そうだったんですね。ちなみにジルさまは?」
『俺は二百三十八歳だが……』
「!? に、二百三十八歳!? 年齢に対して見た目が若すぎませんか!?」
『不老長生の幻獣はある程度まで成長すると老いなくなるからな』
若々しいとかいう次元の話を
すると。
『
ミコの視線に気づくと、リスたちは樹を
「ジルさまは動物たちにも
『? 恐れられているの
ジルは不思議そうに首を傾げる。幻獣であるジルには動物たちの言葉が
今は人形だけれど、性質は竜のままで人間になったわけではないので人語も理解できないとのこと。
(種族間の言語の
「さっきリスたちは、ジルさまが元気で嬉しいと言っていましたよ」
『……近づくとすぐ
「
『……そうか』
言うと、ジルは表情こそ変わらないが、どこか気の
「あ、そうだ。ところでジルさま、そろそろ移住されませんか?」
『―― ミコ、いくらなんでも話題の変え方が脈略を無視しすぎだ』
そうこぼすジルの語調は角が取れており、物言いもやわらかい。
これだけでも、ジルがいくらか歩み寄ってくれたのだと実感できる。気をゆるめると頰がにやけてしまいそうになるので、顔に力を入れておかないと。
「『今思い出しました』感でさらっと言えば、案外ノリでいけるかと思いまして」
『なぜいけると思ったのか俺には
「何が当たるかわからないので、いろんなパターンを
『……ミコが必死なのは、役目を果たせなければ何か
「それは正直わかりません」
課された使命に失敗したら、責任を取るなりお
失敗は元の世界に帰れないという結末に直結するかもしれないのだから。
「わたしには
後半にかけては作り話のため、ミコは良心の
(……でもジルさまが太古の森からいなくなると、ここにいる幻獣たちが
知ってしまったからには、王太子にこの場所の警備を厳重にしてもらう必要がある。
早く元の世界には帰りたいけれど、ジルがいなくなったあとの太古の森が
(お試しでも、わたしは聖女として
『どうした、ミコ?』
ミコがひっそりと決意を固めていると、ジルが顔を
「と、とにかくですね! わたしは仮にも聖女ですから、ジルさまが転居してもこの森をしっかり保護するように責任をもって伝えますので! ジルさまには他の生き物たちのためにも、別の場所に身を置いていただきたいです」
『……それは断る』
「そう言わずに! これをするなり用意するなりしたら、要求を
『特にない』
「そんなあっさりと……。まあでも、絶世の美女の
『―― 人間の生贄なんてお断りだ』
ジルの語気がついと
その言い方や態度はまるで、人間が
ミコには恐さよりも、
(人間
だが―― どっこい、幻獣を助けたミコには今や、丸い態度を取ってくれている。
どうしてジルが人間を目の
きっとジルは、この間の密猟者のような人間ばかりを見てきているのだろう。
(そうじゃない、
『……悪い、強い言い方をした』
その言葉に、無意識にうつむいていたミコはがばっと顔を上げる。
ミコを見ているジルは無表情ながら、どことなく
(こうやって、自然と
クールでも、その心根は静かな優しさで
そんなジルに、ミコは知ってほしくてたまらなかった。
(わたしはこっちの世界に来て、いろんな人たちの親切とあたたかさに
「―― ジルさま。つかぬことを
『飛行のときに見たことはあるが、行ったことはないな』
「では森の中以外で、人間と会ったことは?」
『それもない』
……心に土足でずかずかと
でも、相手のことを知るきっかけを作る。その手伝いはしてもかまわないはずだ。
(ちょうどアレもあることだし、―― よし、決めた!)
きらりと瞳を光らせたミコは、ジルに向かって前のめりになる。
「ジルさま、人間観察を
『………………は?』
表情はピクリともしないが、ジルは
「森で出逢うのは、殺気立った
『だからといって、なぜそうなる……?』
「実は、
アルビレイト王国の季節は春。北国に位置するため朝晩はまだ冷えるが、日中は穏やかな陽気で過ごしやすいこの時期、各地では春の
「お祭りにはたくさんの人が集まりますから、観察にうってつけなんですよ」
『なぜ俺がわざわざ人間の観察に……』
「わたしには、ジルさまがどうしてそこまで人間を目の敵にするのかわかりません。でも、ジルさまはわたしに今やこうして友好的に接してくれています。普通の営みを送る人たちを知れば、人間への
ミコはジルをじっと
言葉に熱が入るのと
「だからわたしと一緒に、街へ行ってもらえませんか?」
お願いします! と、ミコはジルにより一層、前のめりになった。
『…………』
「……やっぱり、だめ、ですかね?」
ジルの
ジルはミコからそれとなく視線をずらして、小さく
それから
『…………別に、だめとは言っていない』
「! じゃあ、一緒にお祭りに行ってもらえますか!?」
『……仕方がないな……』
「ありがとうございますジルさま!」
ため息交じりの声でジルが
「では明後日、太陽が一番高く
『……わかる』
「それなら心配ないですね。あと、本来の姿ではなく今の別形態でお願いします!」
さすがに竜形だと、目にした人間はこの世の
(こっちの姿なら、その心配はないし)
「じゃあジルさま、今日はこれで失礼しますね!」
『待てミコ! まだ
「歩いていれば
呼び止めるジルに
(嬉しいな! ジルさまが本当に、わたしの申し出を受けてくれるなんて!)
顔は
それに、頰があったかく感じるのはどうしてなのか。
(どうしよう、帰ったらプランを練らなくちゃ!)
ミコは
―― 一方。小さな背中が勢いよく遠ざかっていく様子を、ジルは
『……あんなに急いで、転びでもしたらどうするつもりだ』
元気なのはいいが石に頭をぶつけたくらいで死ぬような
(……人間相手に、俺がこんなことを思うとは……)
異世界から召喚され、
ミコはジルの大恩ある大事な存在を
―― 出逢ったとき、ミコを他の人間と同様に敵視した。
怪我を負ったソラへの反応からして害意はなさそうだとは思ったものの、森から出ていけと勝手なことをのたまうミコに、ジルがかなりの
だからといって
(ビビっているくせに、ミコは引かないからな……)
大きな丸い瞳には、ジルへの
ミコは冷たくあしらわれようとめげなかった。ジルを目にするたびに必ず話しかけてきて、約束はもとより森のためにと振られた無茶を投げずに根気よく実行し続けたのだ。
(あの
そんな折、カーバンクルたちを捨て身で助けようとしたことを知って。
―― 自分でも驚くほど、大きな
幻獣を前にすれば
―― 『ミコは人間だけど、あいつらと違って悪い
あのときのカーバンクルからの訴えに、ジルは反論することができなかった。
今までのやりとりから、ジルもミコが他の人間とは違うと思わざるをえなかったからだ。
(
自らの危険を
それに、とんだお
(いや、取れなくなった)
日ごとジルへの恐れが消えていく代わりに、ミコが向けてくるようになったのは節度を保った親しさと、
ミコの前で別形態を取っているのもその
人に近いこの姿をジル自身はあまり好いていないが、
(
自覚がないわけではなかった。先ほども、街へと
( ―― ミコの願い、か)
ただの即物的なものとは考えにくい。ミコは森にもそこに棲む生き物たちにも、さも当たり前のように心を配るほど気がいいからだ。―― そのせいか、
別の場所へ転居してほしい理由について、ミコは口にするたびに目がジルから外れるし、言葉もつっかえ気味だ。
本人は無自覚のようなので、ジルが噓だと気づいていることにミコは全然気づいていないだろう。悪意によるものとは思えないので、あえて
(まったく、馬鹿正直というか
ジルが
『……あれぇ? あるじ、ミコはどこにいるの……?』
『お前が
『ええ!? ミコ、かえっちゃったんだ……』
残念そうにしゅんとするソラの頭を、ジルは
(ソラはミコにすっかり
人間に
だがなんにせよ、ソラは今やミコをまったく
『あ、うさちゃんなの!』
ソラの視線を
(……
自分とは正反対の小さな生き物は、見ているだけで心が和む。
もふりたい欲が頭をもたげるも、か弱い彼らを
(ミコなら
「見てくださいジルさま! ふわふわで可愛いうさぎですよ!」という、
『……恐れられてはいない、か』
先ほどのミコからの言葉は思ってもみない内容だったが、同時にジルは安心した。
か弱い生き物たちを慄かせる気はなくても、
教えてくれたミコには感謝するが――
(ミコは性質的に、
『ねぇあるじ。ボクね、とってもうれしいの』
ソラがおもむろに言った。
『なんだ、急に?』
『ちかごろね、あるじはミコといるとたのしそうだから!』
あらぬ方向から飛んできたソラの台詞に、ジルは
図星を突かれたように
らしくない異常が生じた状態を
『……別に、いつもと何も変わらない』
『そんなことないの! くふふ、あるじがたのしそうだと、ボクもうれしいの!』
ソラはジルの発言をすぱっと
『―――――楽しそう? 俺が?』
否定しなければならないのに、否の言葉が
ジルは言葉なく緑の地面を見つめたまま、右手で口元を
幻獣の王者を
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