第8話 ジョウロさん

 そうして、翌日。月曜日。


 週始めということで、朝早くから起きて登校するのは辛かったけど、準備をし、学校までの道のりを歩いていれば、そういった辛さみたいなものはほとんどなくなってしまっていた。


 それは、単純に脳内が朝日を浴びてクリアになったからとか、そういったことじゃない。


 絶対に誰にも言えないことだけど、今から学校に行けば、三月さんと二人きりで朝のわずかな時間を過ごせるから、ということだけがすべてだった。


 この時間に限れば、俺たちは心置きなく声を発して会話することができる。


 別に俺としてはクラスメイトがいようが、普通に日中も声を発して会話できるのだけれど、彼女はそれをどうしても、と拒むのだ。


 拒む理由としては、「私と普通に会話してたら、関谷君に迷惑をかけてしまうかもしれないから」といったもの。


 これに対しては、三月さんには面と向かって気にしないことを俺から告げた。


 けど、そうはいったものの、彼女は苦笑いを繰り返すばかりで、真剣に受け入れようとはしてくれない。


「ありがとう」


 ただこの一言を繰り返すばかりだった。


 だから、そこから先は俺もとやかく言わない。


 変に大丈夫だ、などと意見を押し付けるのも違う。


 こういうのは、問題を解決し、ようやく「大丈夫」と言えるようなものだ。



「お、おはよう……ございます……」


「あ、おはようございます。関谷君」


 教室に入った時刻は七時ジャストくらい。


 三月さんは電車通学ということもあるから、もし来てくれるんだったら、七時半を目安にしてくれたらいい。


 そう言ったのだが、相変わらず彼女の登校は早かった。


 先に来て花の水やりをするつもりだったのに、今日も先を越されてしまっている。


 笑顔で迎えてくれた三月さんだけど、そんな彼女を前にして、俺は苦笑しつつ、首を軽く前に折った。


「また負けた……。今日は割と頑張って早めに起きたんだけど……」


「ふふっ。本当ですね。いつもより十分ほど早いです」


「本当なら一緒くらいのタイミングで下駄箱付近で会って、そこから教室にーとか、思ってたんだよ? そしたら多少は美化委員の面目も保たれるかなーなんて思ってたんだけど……」


 俺がブツブツ呟くと、三月さんは小さくクスクス笑った。


「けれど、関谷君は朝が苦手なんですよね?」


「そうだけど……」


「なら、すごいですよ。苦手なのに、毎朝こうして早くから遅れることなく来れていますし。美化委員の面目も保たれてると思います」


「そ、それは……」


 ……毎朝三月さんも来てくれるから……。


 なんてことは言えない。


 視線をよそにやり、口ごもった。


「苦手なことを頑張れる姿勢、私も見習わないとってすごく思います。……その、私の場合ですと……逃げてばかりなので……」


「い、いやいや、別に三月さんだって逃げてるわけじゃなくない? 色々……そう、友達を少しだけでもいいから作ろうとか、成績を上げようとか、頑張ろうとしてるし!」


 そうやって俺が言うと、三月さんは暗ーいオーラを漂わせ、わかりやすく肩を落とした。


「……でも、私の場合は行動に移せてないので……」


「……うっ」


「このジョウロにも言われてる気がします……。『行動にすら移せないくせに物を語るな』と……」


「い、いや、そんなことは……」


「すみませんジョウロさん……私……やっぱりどうしようもない人間です……ごめんなさい……」


「み、三月さん戻ってきてぇ!」


 自らの手に持っていたジョウロに語り始める三月さん。


 その姿がもう惨めで仕方なく、俺は気付けば大きな声を出していた。

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