見知らぬ土地での逃避行
ベルが鳴った。電話、ではないようだが、何かの合図だろうかと三人が首を傾げたその瞬間。目の前に座っていたソーアが血相を変え小声で、それでいて叫ぶように言った。
「おまえさんたち! 今すぐ部屋の奥に隠れな! その娘も連れて、早く!」
「「――ッ!」」
穏やかに話していたソーアの豹変ぶりに、ただ事じゃないと悟った三人はソーアに言われた通りに、イナリはオリガミが抱きかかえ、二人を引き連れて奥の部屋へ急ぐ。
「開けろ! アッティルニダム王国グレイプル領警備衛兵だ! 不法入国者について知っていることを話せ! 目撃情報は上がっている!」
三人が奥の部屋に入った途端。木製の扉がドンドンと叩かれる音と、怒号が薄らと聞こえてくる。
ほとんど脅しとも取れるような声色で男は警備兵を名乗る。
「そんなもん知りやしないよ! うちには寝ている客もいるんだ。煩くするなら帰りな!」
何も知らないを装ってか、高圧的な警備兵に負けじと強い口調で答えるソーアの声も聞こえてきた。
実際には宿の中にはきんぐたち四人とソーアしかいない。ソーアは彼女らを守るために嘘をついているのだ。
薄いボロの扉の向こうへ声を届けるのにそんな大声を出す必要はないが、ソーアは強い拒絶をアピールするよう、扉を抑えつけ大声で受け答えしている。
その様子を部屋の扉を少しだけ開いて不安そうに見つめる三人。彼女らに気付いたソーアはそっと部屋の右奥へ行け、と目配せした。
ソーアの視線の先には古ぼけてはいるが、不自然に綺麗な本棚が鎮座し、棚の中央にはなにか意図的に置かれたような本がある。
オリガミはソーアと目が合い、アイコンタクトを受ける。「それを動かしな」と、オリガミはソーアの目からそう感じ取った。
「こっちです。早く」
オリガミは薄い扉の外にいる外の警備兵に聞こえないよう、小声できんぐとハナビを呼び寄せ、棚の真ん中にある本を浮かせてみせると、カチッと機械的な音が鳴った。
すると、棚はゆっくり、ほとんど音もたてずに動き出す。本棚の正体は隠し扉だったようだ。
扉が開き切って、ソーアの方にちらりと視線を向ける。視線に気づいたソーアは「行きな!」とキリッとした目で訴えていた。
その意を汲んだオリガミが、イナリを抱え、ハナビときんぐを「行きましょう」と押し出した。
扉を潜ると、ほどなくして本棚がまた、音もなく動き出し、棚は完璧に閉まる。明かりはなく、真っ暗な空間に閉じ込められた彼女らは、少しだけ焦る。
「せや、フラワーライター」
ハナビが呟くと、手のひらから花弁が発光する花が咲く。この空間を明るくするほどではないが、周囲を確認するには十分明るい照明となった。
淡い花の明かりで辺りを照らすと、先に続く道があることに気付く。進む以外にできることのない彼女たちは、その先へ進むことにした。
薄暗い道をしばらく進んでいると、一筋の光が目の前に現れる。
「外? みたいね」
きんぐがその光景を見てぽつりとつぶやく。ソーアの安否が気になっているのか、少々テンションは低い。
カツカツと、三人の足音が響く暗いトンネルで、四人の中に一抹の不安が残り、このトンネルと同じように暗く重い空気が漂っていた。
「……そのようですね。オリガミさん、ありがとうございます。もう、大丈夫です。自分で歩けます」
「本当に大丈夫ですか? 薬を飲んでからそんなに時間は経っていませんよ」
「……お気遣い、ありがとうございます。ですが、頼ってばかりではいけません、ハナビさんも、お薬ありがとうございます」
オリガミはイナリに負担を掛けないようにゆっくり優しく、足が地面に接地するように降ろす。態勢を立て直したイナリは軽く着物を整えると、ハナビに向かってお辞儀しながら感謝を述べる。
「そんなお礼は大丈夫よ。でも、ほんまに平気なん? もう少し頼ってくれてもええんよ?」
「……いえ、これ以上甘えるわけにも行きません」
「そう? せやったらまあ、困ったらまたいつでも頼ってくれてええんやで」
「……ありがとうございます」
三人はイナリのペースに合わせるため、少々スピードを落として進んでいく。光が近づいてくるのと共に、幾人もの人の気配とその喧騒が聞こえてきた。
光は古ぼけた木の扉の上部にある覗き窓から溢れてきていた。
「扉があるわ。光の正体はこの扉の小窓から漏れ出た外の明かりだった見たいね。外に出る前にこの小窓から外の様子を確認してみましょう」
「……きんぐさんの身長では届かないようなので。私が覗いてみますね」
「そんな冗談を言えるなら大丈夫そうね。完治したら覚えておきなさいよ」
ゆっくりと強く警戒した様子でイナリは小窓を除き外の様子を確認する。
「……目の前は路地のようですが、右方向に商店街のようなものがあるみたいです。ここから出ても問題ないと思われます」
「ほな、開けましょか」
ガチャリ。ボロボロの見た目に反してすんなりと開いた扉。開けた途端に街の喧騒は一気に大きくなる。
「随分、遮音性の高い扉ですね。宿屋の裏口……と言うよりかも最初から逃げ道として作られたかのような」
「イナリさんもきんぐさんも、耳と尻尾だけ気を付けてください。人前で亜人だとばれてしまうとさらに厄介なことになってしまいます」
「……わかっております。一つ、気になったことがあるのですが、こう、警備兵に追われている状態でどうやってこの街から出たらいいのでしょうか? まさか関所から堂々と……、と言うわけにはいかないでしょう」
「ええ、ですがこの街の出入り口は私たちが入ってきた南の関所と、北と東にあるもう二つの関所しかありません。私たちの情報はすでに各警備兵に周知されているでしょう。つまり、強行突破あるのみ、という事です」
オリガミの頭の中では、突き当たるであろう障壁に対して、あれこれ対処法を考えては玉砕を繰り返し、この数秒のうちに頭をフル回転させて至った結論が、正面突破だった。
「もし戦闘になったら任せることになってしまうわよ」
「大丈夫。私、割と強いんですよ。先刻の大会ではありませんが個人ランキングでは10位まで登り詰めたこともあるんですからね」
不安そうな顔をしたきんぐに向かってニコっと優しく微笑みながらオリガミは言った。
「外みたいやけど、なんだか空気が重い気がするわ」
「スラム街みたいですね」
トンネルから出た先には、獣と土埃の臭いが混ざった動物園を彷彿とさせるような強い臭いが漂う、俗にいうスラム通りがあった。
ボロボロの麻の服に身を包んだ瘦せこけた人間が、怯えたように、威嚇しながら覗いてくる。重厚な鉄の檻の中から。
そこに見える光景は異様、なぜならほとんどが、人型の動物、獣耳や尻尾などを保有した、獣人系の亜人種だったからだ。
同時に、きんぐとイナリは戦慄することとなる。
ふんわりと話だけ聞いていたこと、人種主義を掲げる国の実態。百聞は一見に如かずとはこのことだった。現代日本では率先して学ぼうとしない限り見ることが少ないスラム街、それは想像していたよりも数倍残酷だ。
「同情している暇はありません。きんぐさんやイナリさんも、捕まったらこうなってしまうかもしれない――」
オリガミの顔には焦りの色が見える。現在二人は確かに亜人なのだ。ただの人間ではない。この世界も未だ不明な点が多い。
現状確定していることは、今ここで捕まること、亜人だとバレることが大きな危険を伴う事だ。
「ほな、いきましょか。こんなところ長い無用や」
ハナビは檻のなかの存在に目を合わせないよう、真っ直ぐと前を向いて歩いていく。彼女に追随するように三人とも歩き出した。
檻の中の存在は目の前を彼女らが通るたびに、怯えや威嚇、檻に向かって突進するなど、何かを訴えているような行動を示す。
あまり変わり映えのしない路地を進んでいると、彼女らの前に小太りの男が立ちはだかった。
「おやおや、脱走した奴隷がいるみたいですねえ。しかし、変ですねえ。私の記録では貴女方のような綺麗な亜人はいなかったと思うのですがねえ……」
小太りの男はきんぐとイナリを眺めながら言った。丸形レンズのモノクルに紫色のジャケットにスラックスといった派手めなスーツを着た男は、片手に杖、片手にハットを持っている。
「誰ですか!」
「おや、あなたですかねえ? 私の商品を檻から出した不届き者はねえ。とまあ、申し遅れましたねえ。私、奴隷商をしておりますねえ、ドン・アリと申しますねえ」
オリガミが警戒と焦燥の入り混じった声で男に問いかけた。
ドンはニヤリと、不敵な笑みを浮かべながら紳士的なお辞儀をして答えた。
「ですが、よく見たらどうやら私の商品ではないようですねえ。しかし、実に良いですねえ、素晴らしいですねえ。欲しいですねえ。貴女、とても高く売れそうですねえ」
「ひっ!」
ドンに笑みを向けられたのはきんぐだった。ドンはきんぐやイナリが亜人だという事を、見ただけで当てたのである。
「下がってください! この男危険です!」
「おやおや、人聞きが悪いですねえ。私はただの奴隷商。黄髪の貴女と仮面の貴女。私に買い取らせていただけませんかねえ。その桃髪の方にもそれなりのお金はお支払いしますのでねえ。それに、貴女方なら王子も満足なされるでしょうしねえ」
亜人イコール奴隷と言う習慣が染みついているこの地に住む人から見ると、きんぐとイナリはオリガミの奴隷に見えているようだ。
「この人たちは、奴隷じゃありません!」
「誰の所有物でもないというのならば話が早いですねえ。ほらほら。亜人は私が買い取りますからねえ。警備兵の皆さん、出番ですねえ!」
ドンが出てきた通路側から、ゾロゾロと姿を現したのはグレイプルの警備兵だった。人数は数えられるだけでも二十人は超えている。そしてこの狭い路地。金属が擦れ合う軽めの音が背後からも聞こえてくる。後ろも取られたようだ。
四人は完全に包囲されてしまった。
「見つけたぞ! 密入国者どもめ。やはりあのババアが逃がしてやがったな。にしても、なるほどな、亜人を匿っていたのか。亜人隠匿の罪と密入国の罪、極刑は免れまい……。それに、亜人のほうもそうだが、女二人も上玉ぞろいじゃないか。くっふっふ。捕えてからが楽しみだよ」
聞いたことのある声が目の前の鎧の男から聞こえてきた。ソーアの宿の元に来ていた警備兵と同一人物のようだ。彼は卑劣な笑みを浮かべて、じわじわと距離を詰め、追い込んできている。
「ソーアはんはどないしたんや!」
ハナビが震えた声を荒げて警備兵に聞く。すると警備兵は笑いながらその答えを四人の前に投げて見せた。
ゴトンと鈍い音に加えて、水っぽい音と飛沫がべっとりと小汚い地面を染めた。そこに転がっていたのは先ほど知り合った老婆――ソーアの生首だった。
「我らが警備兵団に逆らうからこうなるんだよ。お前らと出会って、運が悪かったみたいだな」
四人は声を失った。まさか、ここまで大事になるとは誰も思いもしなかった。そして、四人が一番危惧していた事態が起こってしまったのだ。
先のイナリの一件でもそうだったが、流血表現というありえないことが起こっていたこともあり、彼らの脳裏に薄らと何度も過ったことだった。
しかし、それを認めてしまうことが怖くて誰も口には出さなかったこと、それが今、実際に目の前に飛び込んできたのだ。
SFでは、ダメージを負ったなら、血液ではなく紫色のダメージエフェクトが出る。HPが尽きたなら、紫色の結晶となって消滅し、プレイヤーならばギルドハウスや宿屋で再スタート。エネミーやNPCならば、そのままその
だが、そんな描写はない。生首だけ残るなんてこともSFではなかった表現だった。
確定してしまったのだ。この世界で、明確に『死』が訪れるということが。
彼女らはもう、認めるほかになかった。
この世界はSFの世界ではないと――。
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