街へ

「急ぐと言った手前ですが、患者さんを抱えて全力で走るわけにはいきません。もう少しの辛抱です。二人とも、頑張ってください!」


 三十分ほど、何もない草原フィールドを歩いていた三人だったが、薄っすらと遠くの方に街のようなものが見え始めた。

 ここまで、ほとんど一言も発することなく、きんぐはトボトボとオリガミの後ろをついていく。オリガミは、度々きんぐを励ますように声をかけていた。


「そういえばちゃんとした自己紹介がまだでしたね。私はオリガミ。古今御アソビ衆というギルドのおさを務めています」


 健康美溢れる凛々しい風貌に、物腰柔らかな優しい口調。オリガミはきんぐの方を見ながら自己紹介をする。


「わ、わた、妾は、きんぐ。そっちの狐の子はイナリ」

「宜しくお願いします」


 きんぐは一瞬、というかイナリの身に危険が生じてからずっと忘れていた威厳のあるのロールプレイを、事態が軽く落ち着いた今になって思い出したかのように始める。

 オリガミはきんぐの急な言動の変化を特に気にする様子もなく会話を続けた。


 左右に頭を振っても視界を遮るもののない、広大な、否。殺風景な草原。そのど真ん中を貫くように伸びる馬車道を、ぽつんと二人歩く影。

 三キロほど先の方に、砦のように壁が拵えられた街が見えている。オリガミに抱えられたイナリは、未だ息も絶え絶えで、苦しそうに呼吸をしている。


「もう少し私が助けに来るのが早ければこんなことにはならなかったのですが……。面目ありません」

「貴女が助けに来てくれていなかったら妾たちは二人とも死んでいたと思うわ。本当にありがとう」


 少しずつ、調子を取り戻してきたきんぐは、おどおどとしていた態度とは打って変わり、いつものきんぐに戻りつつある。オリガミという強者が傍にいることで、安堵している節もあるのだろう。


「ふふっ。落ち着いてきましたか? 不思議とそんな口調の方が話しやすく感じます。失礼ながら、私はきんぐさんというプレイヤーを存じていないのですが、もしかしたら、どこかで会っていたのかもしれないですね。イナリさんの方は、言わずと知れたトップギルド、『神に恵まれない者達』のメンバーだと、その仮面を一目見て気づきましたが、貴女も、もしかして『神に恵まれない者達』のメンバーだったりするのですか?」


 オリガミは本調子に戻ってきたきんぐの様子を察し、微笑みを見せた。

 オリガミが疑問に思うように、『神に恵まれない者達』は、トップに君臨しながらもメンバーの素性はおろか、所属人数まで確定的な情報がSFのプレイヤーたちにほとんど知られていない秘匿性の高いギルドだった。

 メインで大会などの表舞台に出るメンバーの顔や能力の大まかな情報は多く出ていたが、それでも核心を突くような情報はほとんど流出することがなかった。今回のようにきんぐの事も、他のプレイヤーからすると、か弱い初心者プレイヤーにしか見えないのである。


「まあそんなところよ」

「やはりそうでしたか。随分と仲間想いでしたから同じギルドなのだろうと思っていました。私のギルドも、友人たちと一緒に立ち上げたギルドだったので、仲間を心配する気持ちはわかります。今は行方のわからない友人もいるのですけどね……」


 悲しげな表情を浮かべながらオリガミは少し含みのあることを呟くも、首を振り明るい表情に戻った。


「さあ、そうこう話しているうちに街が目前まで迫ってきました。私の友人の一人もこの街に居るので安心してください」


 外界との隔たりとして、数十メートルもの石壁が凄まじい存在感を放っている。街を覆うその壁は防御、防衛用と言うにはあまりに威圧的、来るもの全てを拒む拒絶の象徴のような印象を受ける。

 馬車道が続く先に見える関所には巨大な両開きの石扉が重々しい音を立てながら開閉するのが見える。

 関所に並んでいる人は見えない。関所の前で暇そうに談笑している二人の兵士が見えるのみだった。


「少しいいですか。これを」

「なに? これは」


 オリガミは折り紙で出来たきんぐの頭のサイズにピッタリの兜を渡す。何のことやら理解できなかったきんぐは、頭にクエスチョンマークを浮かべながら受け取った。


「一週間、この街で過ごしてわかっていたことなのですが……。この街は、人族至上主義。所謂、亜人族の迫害を黙認、いえ、推奨するような街です。ですので、その猫耳を隠せる物をと思いまして。私からこの街に案内したのに申し訳ないです。イナリさんの方は――」

「……私は大丈夫です。妖狐なので、耳や尻尾を化かして、不可視化するのは、容易いこと、です」


 そういったイナリの身体から、特徴的な黒い狐耳と、九つある尻尾はぼんやりと存在が曖昧になり、そのまま認識から消滅する。

 きんぐの方はというと、右の耳に被った王冠をとって、オリガミの兜を被り、完全に猫耳が隠れる。細長い尻尾は、長く赤いマントのおかげで元々見えない状態だ。


「では行きましょう。平然としていれば大丈夫です」

「う、うん」


 亜人迫害の街と聞き、きんぐは少し身震いする。段々と近づいてくる関所、少しずつ鼓動が大きく、動悸が早くなる。背筋に冷や汗が一筋流れた。


「止まれ! 身分証を――」

「病人です! ゴブリンの群れがすぐ近くの草原に!」

「何? ゴブリンの群れだと⁉ 討伐隊の派遣急げ! いいか、お前たちはこの詰所の中で待つように! 兵長に報告だ、行くぞ!」


 二人の門番は驚くほど焦り、厳粛な表情も焦燥へと変わり、門を開けて街中へと走っていくものと、詰所の階段を駆け上がっていくものに別れた。

 意外と演技派なオリガミは、きんぐの方を向いてウインクをする。既に討伐済みのゴブリンの報告をして門番を欺いたのだ。


「さ、今のうちに入ってしまいましょう。貴女方はこの街で使える身分証を持っていいません。持っていないとここで身体検査を受けることになるのですが、亜人だと知られると厄介なので。ね、行きましょう」

「え、あ、ええ。わかったわ」


 門番たちがその場からいなくなったところを見計らい、そそくさと街の中へと入っていく。


「こちらです。この道を真っ直ぐ行ったところの突き当りにある宿で仲間が待っています」


 石レンガで作られた大通りを逸れ、路地を曲がる。関所で待っていた人はいなかったが、ある程度人の往来は多く、活気のある街だという印象を受ける。だが、オリガミの案内に従って進んだ裏路地は、メインストリートから一本しか道がずれていないのにも関わらず、壁によって日光が遮られ、昼間だというのに薄暗い。

 そんな道の突き当りには、オリガミの言ったとおり、古ぼけた宿が見える。


「ここです。ちょっと古いですが、店主の方はお優しいんですよ。ささ、早くイナリさんを」


 宿の前に立つ。薄暗い路地の最奥に構えるその宿は、幽霊屋敷を彷彿とさせる不気味な雰囲気を放つ。

 宿の看板には蜘蛛の巣が張り、営業しているのかどうかさえ怪しい外観をしている。

 両手が塞がっているオリガミに変わり、きんぐは扉に手を掛け、ガチャリと開けた。外観の割に建付けはいいみたいだ。


「只今戻りました。ハナビ、いませんか?」


 中に入ると、ろうそくの薄明かりがゆらゆらと淡く照らしている。

 薄暗い宿の中を見回しても、誰かがいる気配は感じない。ただ、正面の受付カウンターらしきテーブルの両端に添えられたろうそくが、やんわりと部屋を照らしているだけのようだ。


「古くって悪かったねえ」

「わああ!」


 驚きのあまりに声を上げるきんぐ。微かな明かりしかないほとんど暗闇の中から、いきなり声が聞こえてきたらそうなるのも無理はないだろう。

 声の主はきんぐの驚く声に、そんな反応は慣れていると言わんばかりの無反応で続ける。


「うちは扉が薄いんだ。そんな扉の前で話していたら聞こえるに決まっているだろう? そんなことよりも、早く上がって、その子をここに寝かせてやりな」


 それはカウンターテーブルの奥に座っていた老婆の声だった。ろうそくの炎だけで照らされた宿の中は、ところどころに明かりが行き届かず、パッと見では視認できない場所があった。カウンターの奥もそこに該当した。

 カウンターの方からこちらに回ってくると、老婆はイナリをカウンターの横にある長椅子に寝かせるように促す。


「ありがとうございます。ソーアさん。ところでハナビの所在はわかりますか?」

「あんたと一緒に来たお嬢さんならほれ、あんたの後ろに――」


 老婆は目線を彼女たちの後ろに向けそういうと、扉がガチャリと音を立てて開く。すると、大荷物を持った和装の少女が顔を出す。


「あ! オリガミはん。おかえりなさい」


 扉を開けた少女は、オリガミを見ると飛び切りの笑顔で出迎えた。

 そのまま、宿の中に入ってきた少女は着物、と言うには少々丈が短い、浴衣のようなカジュアルなデザインの和服を着ている。

 紺色の下地に、打ち上げ花火の刺繍が施された浴衣。ひざ上三センチほどの丈、そこから伸びる生足の先に、桃色の鼻緒の下駄を履く京ことばの少女――名前はハナビと呼ばれていた。


「ただいま、ハナビ。今すぐ麻痺毒の解毒薬を用意できますか? この方がゴブリンの麻痺毒に」

「え、あ! はい。今」


 ハナビは抱えた荷物をガサゴソと漁り始めると、ヒイラギのようにトゲトゲとしたオレンジ色の葉を持つ解毒草と言うには些か毒々しすぎる草を取り出す。そして、その荷物の中から次々と薬品調合用のセットがカウンターに並んでいく。

 乳鉢と乳棒、ビーカーにフラスコなど、理科の実験でよく見るような光景が宿屋のカウンターで展開されている。

 恐ろしく良い手際で、ハナビが薬の調合を始めた。三脚台に金網を乗せると、その上にフラスコを置いた。


「ソーアはん。お水くださいな」

「あいよ」


 ソーアが水の入った器を渡す。

 ハナビは受け取った水をフラスコに入れ、三脚台の下に種子のようなものを置き、ハナビが「バーンフラワー」と唱えると、種子は芽吹き、みるみるうちに成長した。そして、花弁が燃焼し続ける花が開花して、湯を沸かし始めた。


「お嬢ちゃんたち。亜人族だろう?」


 テキパキと流れるような手捌きで、薬を調合するハナビの姿を眺めていると、唐突にソーアに話しかけられる。耳や尻尾を隠してはいるものの自分が亜人族だという事がバレたかと思いギョッとする。


「そんなに警戒しなくても大丈夫さね。なにも、取って食おうってわけじゃない。あたしの宿にはそんな人間が集まるから、聞いてみただけさ。あたしは客なら持て成す。種族なんて関係ないよ」


 驚いて見せたきんぐを安心させるためか、表情を緩めて優しく言った。そのままのトーンで昔話をするようにソーアが続ける。


「ええ、妾たちは亜人族よ。妾は猫人、あの娘は狐。妾たちがいた世界では、種族差別はなかったの」

「……。一週間前にあの娘たちが来た時。第一声で、助けてください。だなんて言ってね。ここいらじゃ見かけない服装だったから警戒されたようでねえ、他の宿屋から門前払いされたみたいなんだ。あたしの宿はこんなだからさ。来るものは拒まないけど、来るもの側が拒んだりしてね。久しぶりの客だったのさ……」



 オリガミとハナビのやり取りをまるで娘たちを見つめるかのような目で眺めるソーア。その姿を見たきんぐは、ソーアが信用できる人だと確信し、被っていた折り紙の兜を取って猫耳を見せた。


「やっぱり、あたしの勘も鈍ってないねえ」


 きんぐの耳を見て、ニコニコしながらソーアが頷いた。

 そうこうしているうちに、お湯が沸いたようだった。

 ハナビは乳鉢に解毒草を入れると、乳棒ですり潰し、沸騰したお湯の中に加えた。透明だったお湯はオレンジジュースが如く濃いオレンジ色に変わった。ハナビは手首のスナップでフラスコを回し、液体の熱を軽く飛ばす。

 濃いオレンジの液体をビーカーに移すと、横で薬の調合を見ていたきんぐに手渡した。


「できたで。ほら猫のお嬢ちゃん。お連れさんに飲ませてあげな」

「わ、わかった」


 きんぐは苦しそうにしているイナリの上半身を軽く起こすと仮面を口が見えるくらいまで上げ、優しくビーカーを口元に持っていき飲ませる。


「ほら、イナリ。薬よ」

「……あ、ありがとうございます」


 薬を飲んだイナリの声色が若干だが良くなったように思える。きんぐは安堵の表情を浮かべた。


「ありがとう。貴女たち」

「いえ、困っている人を助けるのは当然です。ね、ハナビ」

「はい。オリガミはん。そういえば、自己紹介がまだやったね。うちはハナビ。古今御アソビ衆の中で、一番お花が大好きなかわいい、かわいい女の子やで」

「わ、妾はきんぐ。こっちはイナリ。二人とも『神に恵まれない者達』よ」

「えぇ⁉ 『神に恵まれない者達』ってあのトップギルドの? すごいなあ、猫のお嬢ちゃん。うち、もしかしたらすごい人と会うてしもたのかもしれへんわあ」

「あなたたちも『古今御アソビ衆』って、結構上位帯常連のギルドじゃない。たしかもっと仲間がいたと思うのだけれど、他の仲間は近くにいるの?」


 唐突にきんぐがそう尋ねると、ほころんでいた二人の表情が一瞬凍った。


「いえ、あの事件以降、他の古今御アソビ衆の皆とは離れ離れに……、どういうわけか連絡も取れていない状況です」

「せやねん。オリガミはんとうちは偶然近くにったんやけどね」


 一変して、少々深刻な顔になる二人、強制全体転移魔法で転送された後に、二人の様子からきんぐたちよりも目覚めたのは早いようだが、大方、きんぐたちと同じ境遇だ。


「じゃあ、妾たちと大方、同じ状況というわけみたいね。情報交換……。と言うほど妾たちは情報を持っていないのだけど、なにか情報って持っているかしら? 些細なことでもあったらお願い」

「そうですね……」


 オリガミは顎に手を当てて、考えている。


「あ、そういえば、ゲームっぽさが無くなった、かもしれません。よりリアルになったと言うか……。さっきの薬の調合も、SFの時は調合スキルを使えば材料を消費するだけでできたはずです。あとは先ほどの、ゴブリンのようにSFにはなかった残る死体とダメージエフェクトの消失、流血表現とログアウトの不可。まるで現実のような感じです」

「それでも、スキルの恩恵はあるみたいよ。さっきのは簡単やったからあんまし関係あらへんのやけど、調合の手順は頭に勝手に浮かんできはったし」


 SFでは、料理スキルは例外だが、調合など製作系スキルを使用した場合、それに応じた道具を装備したうえで手持ちの必要な材料を消費することで、すぐに結果が得られるようになっていた。だが、たった今見た調合はお湯を沸かし、沸騰したお湯の中にすり潰した解毒草を加えるといった、一連の製作作業が必要だった。つまり製作系スキルは現実と同じ手順のやり方のサポートをしてくれるスキルになっており、完全に別物のようになっているというわけだ。


「攻撃系スキルや固有スキルの行使も可能でしたから。本質的にはSFと相違ないかと。しかし、現実に近づいた。ということは確実ですし、イナリさんが怪我を負ったとき、痛みを感じたことや流血したこと。麻痺毒とはいえ、毒を喰らったときに、エフェクトが出て体の動きに若干のディレイが生じるだけ、ではなく、実際に苦痛受けること。これはHLハイパーリンク電脳法に抵触してしまいます。まさか、運営が意図したアップデートではないのではないでしょうか」

「五感がより鮮明になったこと、モブが死んだときに死体が残ったこと、ゲームの操作UIが表示されないこと、メニューが操作できないこと……。それって、もう現実と一緒よね」


 単なるバグ、と片付けるには要素が多すぎるこの状況、普通、ハイパーリンク系のゲームには現実と仮想世界の錯誤を防ぐため、五感の制限や、流血表現、痛覚の実装を禁止する類の法律がある。

 今のままでは法律違反の状態なのだ。こんな状態を運営が放っておくわけがない。ゲームの操作UIの消失やメニューの操作不可による事実上のログアウト不可。

 ギルドメンバーとの離別は、イナリの件を考えると不安が拭えない。

 仲間と離れ離れの彼女らは、自身が今無事でも、仲間の動向がつかめていない現状、心配、心労は募るばかりの状態だった。


「この世界でこれ以上のダメージを受けるのは危ないかもしれない。一層みんなが心配です」

「……一旦、この話はやめにしましょう。話が重くなるわ。という事で、妾は貴女たちに提案、というかお願いがあるのだけれど、聞いてくれるかしら?」


 きんぐは段々と深刻になっていく空気を入れ替えるべく、これまでの話ではなくこれからについての話題に変える。二人は真剣な眼差しできんぐの方を見る。


「はい、なんでしょうか」

「妾たち二人は『神に恵まれない者達』の中では、非戦闘員。つまり、戦闘能力が低い。というよりも、ほぼないに等しいの。オリガミが助けに来てなかったら死んでいたかもしれないわ。そこで、しばらく妾たち四人で行動したいの、情報集めも人数が多い方がいいと思うし、何よりも、また戦闘沙汰になったりしたら妾たちじゃどうしようもない。助けが欲しいの」


 少しだけ、二人は顔を見合わせると、同時に首を縦に振った。


「ええよ。うちらもこのままじゃ埒があかんと思っとったし、なによりもお嬢ちゃんたちと一緒に居ったらおもろそうやし」

「はい。困っている人を助けるのは当然ですから!」


 二人が快諾する。暫くの旅が賑やかに、そして多少なりとも安全に傾いた。


「話はまとまったかい?」

「はい。おかげさまで少し状況整理ができました。ありがとうございます」


 オリガミとハナビ、そしてきんぐの話が一段落したと察したソーアがちらりと四人に顔を向ける。オリガミが笑顔で返答するとソーアは木製のスツールを引いて近づいてくる。


「お前さんたちは久しぶりの客だからね。暇を持て余した老婆の昔話にちょいと付き合ってくれんかね?」


 皆がうなずくとソーアが持ってきたスツールに腰掛け、話をする準備を整えた。


「この国の昔話。竜の通り道のお話さ――」

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