01.一章:神に恵まれない者達

準備

 スキルファンタジア、通称SF。五年前にサービスを開始したハイパーリンク型MMORPG。視覚や聴覚、触覚と言った五感の一部をゲーム内アバターとリンクさせ、リアルな感覚を体感できるシステムを導入した日本のゲーム。

 SFが発売されてから同様のシステムを用いたソフトがいくつも発売されたものの、根本であるSFに勝るものは少なく、MMOジャンルでは毎年トップシェアを誇り、年々プレイヤーは増加傾向にあった。


 リアルさを追求したその広大なフィールドは、日本全土ほどの広さを有し、現実だと錯覚するほどのクオリティで、あらゆる種類の建造物や雄大な自然が丁寧に描かれている。

 アバターメイキング機能の自由度の高さ、ファンタジー系統のゲームなだけあり、アバターメイキング時に選べる種族は広くエルフやドワーフと言ったメジャーな種族から、妖怪、モンスター種などのコアなものまで、多様な種族の中から選ぶことができ、それぞれに特有のメリット、デメリットが存在する。そして、条件を満たすと上位種族へとクラスアップできる。

 プレイヤーの身体となるアバターは、現実でできることはもちろん、空想ファンタジーならではの魔法を扱うことも可能、そして、超人的身体能力を得ることもできる。といった風に、なんでもかんでも自由度が高い。


 SFはタイトルにもある通り、スキルの多様性が大きな特徴の一つ。

 SF内のすべての事項は、何もかもがスキルで完結すると言っても過言ではない。従来のMMO系ゲームではあたりまえに存在していた、職業という概念がなく、その全てがスキルで補われている。

 スキルは大きく分けて二つ。戦闘系スキルと生活系スキルに分けられる。戦闘系スキルは読んで字のごとく、戦うためのスキルであり、魔法魔術や格闘技、剣術や体術などがこれに当てはまる。次に生活系スキル、武具生産系のスキルや、料理、建築など、ゲーム内での暮らしを楽に、便利にしてくれるスキルはこれに当てはまる。生活系スキルには現実で誰でも出来るようなものも多いため、スキルを取らずとも実行可能なモノも少なくはない。


 そして、SFが人気の大きな要因が固有スキルの存在である。SFには、プレイヤー一人一人に、個性に見合うスキルが一つ付与される。似たようなスキルもあるが、全く同じスキルは存在しないオンリーワンで唯一無二の自分だけのスキル。ゲーム内での戦闘スタイルや生活スタイルに合わせて進化、変化していくそのスキルが、SFというゲームを世界中に広め、その人気を絶やさない大きすぎる理由なのだ。

 オンリーワン、唯一無二、自分だけの、といった言葉に惹かれた人間たちはみんな、SFに手を出し、その楽しさにどんどんのめり込んでいったのだ。


 ……彼らも、そんな人間たちの一部だった。


  φ


「かすみー! もう少しでご飯できるわよー!」


 優しい女性の声が聞こえた。母親だろうか。しかし、呼ばれた本人はイヤホンをしていてその声に気付いていない。山吹色のシーツが敷かれたベッドに腰掛け、足をふらふらとさせながら、彼女は携帯端末を眺めていた。


[きんぐ]:今日さ。SF何時ごろに集合する?

[鮭フレーク]:二〇時頃でいいんじゃないか? 運営からの連絡ってたしか二一時だろ、一時間前に集まれりゃよくね?

[きんぐ]:私は大丈夫だけど。他の人はなんか用事とかある?

[セツナ]:ごめん。僕バイトだ。終わるの十九時半くらいなんだよね。結構ギリかも

[鮭フレーク]:お前足早いんだから間に合うだろ。走るんだよ

[セツナ]:今日は稲美も一緒なんだよ

[おでん]:じゃあ稲美抱えて走ればいいっしょ。あ、俺様は二〇時集合でいいぜ

[ルナ]:二〇時りょーかい! ルナはミトくん起こしに行くね!

[カガリア]:俺はたぶん起きていると思う。寝ていたらすまない。

[マガアラタ]:余が起きてると思うか?

[鮭フレーク]:遅刻したらレジェンドアイテム掘りの刑だぞ。嫌なら遅れるな

[アイ]:さっき優雨くんが言っていたけれど、わたしもバイトがあるから遅れちゃうかも・・・

[鮭フレーク]:バイトはしゃーない。最悪優雨におぶってもらえ。アラタと霊禍れいがは寝坊したら覚えてろよ

[イナリ]:わたくしも、神社のお手伝いがあるので、すこし遅れてしまうかもしれません。

[鮭フレーク]:わかった。まあ、集まる時間を少し早めにしてるんだし、多少なら遅れても大丈夫だろうさ

[きんぐ]:じゃあ、弥彦君の言った通り二〇時集合で決定ということで!


 少女は端末を枕元へ放り投げると、ベッドに横たわった。

 スウェット生地の白いショートパンツにフリルの付いたレモン色のキャミソールをだらしなく着たその少女は、ウェーブのかかった綺麗なブロンドヘアを細い指でくるくるといじくる。

 細い体に低い身長。膨らみの微かな平たい胸元から、外見はかなり幼く見えるが、彼女は紛れもない高校生。

 少女は軽くあくびをしながら、髪を弄るのをやめるとベッドの上で伸びをする。


 少女は小さな体をベッドから起こし、肩からずれたキャミソールを直し、起伏の少ない胸元を入念に整える。そして、デスクの方へと足を運び椅子に腰かけてみる。デスクの横に置かれたデジタル時計を見てみれば、時刻は午前の十一時を示している。

 約束の時間まではあと九時間もある。デスクの上にある課題のノートを手に取って、ペラペラとページをめくる。指定されていた範囲がほとんど終わっていることを確認した。


「はあ」


 少女はため息をついた。脳裏には敗北の文字が浮かんでは消えるのを繰り返している。

 頭を抱えた少女は、コンパクトデザインの最新据え置き型ゲーム機のそばにあった、縁にオレンジ色の光が流れるVRゴーグルのようなものを手に取るとベッドにまた寝ころんだ。


 ハイパーリンク型ゲームをプレイするために必要なゴーグル型のデバイス――ドリームリンカー。ひとたび装着すれば現実では体験できない、まさに夢のような体験ができるという意味でその名前が付けられた。

 少女はそのドリームリンカーを装着すると、ひとこと、ぽつりとつぶやいた。


「絶対、返り咲く」


 ドリームギアの右上にあるボタンを押すと、少女の意識は現実から切り離された。


 φ


 一面が大理石で覆われた豪華な部屋。円卓を中心に九つの個性的な椅子が並ぶ。赤のマントとベージュのローブをまとった老齢の男が一人。部屋の奥、ギルドの紋章が掲げられた旗の真下、黄金色に縁どられた真っ赤な玉座に座っている。彼の頭上には『きんぐ』と表示されている。


「おっす。やっぱり来たか。カスミなら来ると思ってたよ」


 正面に構える重々しい両開き扉の前に、緑髪のエルフが壁に寄りかかっていた。ソフトモヒカンという清潔感のある頭髪に健康的な肌色。エルフ特有の長い耳。キリっとした眉に鋭くも穏やかな黄色い瞳、簡潔に言えばすごく整った顔をした青年、頭上に表示されている名前は『鮭フレーク』。

 そう、いかにもここはギルド『神に恵まれない者達』のギルドハウスの中だ。


「貴方こそ、その恰好。エルフ族特有の風情みたいなのはないわけ? あと、ゲームの中で本名呼びはやめなさい」


 彼の服装を見ると、西洋の時代をモチーフにした円卓の間には似つかわしくない現代風のカジュアルスタイル。白いワイシャツに茶色のレザーベスト、濃いネイビーのジーンズに極めつけは真っ赤なスニーカー。本当に仮想空間の中なのかと疑いたくなる光景が広がった。


「いいだろ本名で呼んでも、呼びやすいしさ。大体ここはプライベートエリア、ギルメン以外誰も入れないし聞いてない。それに、風情? 俺は現実と同じで好きな服着てるだけだよ。世界観と合わないのはしょうがないだろ」

「服装なんて誰も気にしないだろうしなんでもいいのだけど、本名呼びだけはダメよ」

「まあまあ、そんなことに固執しなくてもいいじゃないか。そしてだ。俺が気になっているのはカスミのその恰好だ。身長がコンプレックスなのは知っているがわざわざ性別と年齢まで変えることないだろ? それにその姿だと、なんか喋りづらいんだよな。調子が狂うわ」


 カスミと呼ばれた老人は不服そうな顔をすると、人差し指を宙に向けるとアルファベットのSの文字を描く。

 これはSFというゲームにおけるメニューウィンドウを呼び出すための動作。彼がメニュー画面を弄ると老人は発光し始める。


「これでいい?」


 老人の輪郭を縁どっていた白い光は、やがて縮まり小さくなる。発光が収まると、老人とはかけ離れた姿が現れる。

 身長はだいぶ縮こまり、服装はローブがシャツになり、レザー風生地のサスペンダー付きのショートパンツ。そんな中、特段変わったことと言えば、頭には猫耳、お尻には尻尾、とても明るいプラチナブロンドの髪に翡翠眼。そして幼い顔と細くしなやかな肢体を持つ少女がそこに現れた。


「これでいつも通りに話やすくなったな。ランキング一位のギルドマスター。キャラ名も知られているというのに、誰も見たことがなく能力も不明、謎に包まれたミステリアスキング。だなんてネットの記事に書かれていたよな。そんなSFをやっているやつらなら一度はあこがれるような存在が、実際はこんなかわいいロリだなんて誰も思わないわけだ」


 彼女こそ、ランキングバトルで三年連続一位を記録したトップギルド『神に恵まれない者達』のギルドマスター。プレイヤーネームは『きんぐ』。現実の体躯と変わらない小さな身体。

 ロリと言われてムスッと表情を曇らせるときんぐは言う。


「ロリって、こんなでもあなたと同い年なのだけど? 悪かったわね、身長もなければ胸もないわよ」


 彼女の怒ったような仕草に、鳴ってもいないのにぷんすかという擬音が聞こえてくる。


「そこまで言ってないだろ。それにうちのギルドにはちんちくりんはもう一人いるだろ。ちとトんでるが」

「ふん。ところで、あなたはなんでこんな時間からログインしているわけ? 集合時間まではまだまだ時間があるはずだけど」

「んにゃ、まあ暇つぶしだよ。ちょいと元希に誘われてさ。カスミも来るか?」

「わた……妾はいい。どうせすぐ落ちる予定だったから」

「わかった。じゃああとでな、遅れるなよ。じゃ」


 鮭フレークは寄りかかっていた壁からひょいと体を起こすと、左手を上げ別れのジェスチャーをする。

 鮭フレークが部屋を出ると、人の反応を失った扉が自動で音を立てて閉まる。

 きんぐはしばらくの間、閉まった扉を眺めている。数秒後、思い出したかのように再度メニューウィンドウを呼び出すと、ログアウトの文字をタップした。

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