1-3. 擬態する魚

 リボンの付いたカメを水槽に放してやる。カメはゆったりと潜水していき、やがて水槽の奥底まで辿り着く。そのまま時計回りに遊泳を続ける。

 続けてもう一匹を放流する。二匹は互いを仲間と認めたのか、連れだって泳ぎ始めた。

 すると、優雅に旋回する彼らの姿に気づいたのか、一匹のミミクリーフィッシュがゆらゆらと近づいてきた。そのまま、まるでジンベイザメに併泳するコバンザメのようにくっついて泳ぎ始める。

 ここからが見ものだ。

 もともと透明だったミミクリーフィッシュの輪郭がぼやけ始める。本来の形状が失われていく。体表にぴったりと張られていた膜が徐々に浮かんできているのだ。やがてそれはカメと同じくらいの大きさまで膨らんでいく。そして色付き始めた。どうやって色素を生成しているのだろうか。膜がだんだんと濃い緑色に変貌していく。そして形までもがカメに相似していく。


 ミミクリーフィッシュが併泳し始めてから約五分。水槽の中には驚くべきことに三匹のカメが存在していた。

「うわ!すっご!二人とも今の見た?」

「うん、あっという間だったね。カメさんに変身しちゃったよ」

 一ノ瀬と琴坂が気持ちの良い反応を返してくれる。

 姫崎も二人に負けずと劣らず驚いている。水槽の面に顔を近づけてもくもくと観察している。

「先生、リボンが付いてないのがミミクリーフィッシュですよね」

 姫崎がするどい指摘をする。まさにそれをこれから説明しようとしていたのだ。

「そうよ、これならカメに擬態されても区別がつくでしょう」

 ミミクリーフィッシュはあくまで生物の姿をコピーする。ゆえにリボンまではコピーの対象に入っていないのだ。

「すごいですね。ミミクリーフィッシュはどうやってカメとリボンの区別をつけてるんだろう」

 姫崎の疑問はもっともである。コピーを行う上で、まずは対象の成分を分析する必要がある。その点でいうと、カメは外観の大部分を甲羅(骨)で構成している。成分を元にコピーするのであれば、甲羅以外の生きている(動的な)部分を再現してしまいそうなものである。

 一ノ瀬はこの考えに対してこう意見する。

「見た目をまるごとコピーしてるだけじゃないの?中がどんな形になってるかなんて分かんないだろうし」

「その通りだね。でもミミクリーフィッシュが対象の外観だけをコピーしてるんだったら、リボンまで真似ちゃいそうじゃない?」

「……たしかに」

 むむむ、と頭をひねる一ノ瀬。反論する言葉が見つからないのだろう。


 と言っても、その答えは未だ誰も知らない。ミミクリーフィッシュがどうやって対象の生物をキャプチャしているのか、その方法は明らかになっていない。理由をこの子達に教えられないのがもどかしい。でも十二分に楽しんではくれているみたいだ。

 わたしは小さな魚取りを手に取り、カメに擬態したミミクリーフィッシュ目掛けて水槽にぽちゃりと入れ込む。そしてリボンの付いていない個体をすくい上げ、元々の水槽に移してやる。しばらくはカメの姿のまま遊泳していたそいつは、徐々に色彩を失っていく。

 やがて十分ほど経過したのち、その水槽からカメは消え去っていた。擬態が解除されたのだ。

 ミミクリーフィッシュの擬態の実験は以上だ。あとは自由な観察時間に充てる。

 ほら、三人はさっそく思い思いに実験を始めた。カメの水槽へ移すミミクリーフィッシュの数を調整しながら、擬態が発動する条件を模索する。

 たとえば、カメ二匹に対してミミクリーフィッシュ二匹を投入すると、擬態が始まった。

 ではミミクリーフィッシュの数を増やすとどうだろうか。

 二対三の割合にすると、途端に擬態は発生しなくなった。ミミクリーフィッシュはより大きな群れを検知すると、その群れに寄り添うようになる。でもその群れが自身の群れよりも小さければ見向きはしない。その性質をよく表していた。


「じゃあこうするとどうなると思う?」

 わたしはカメが二匹いる水槽にミミクリーフィッシュを一匹だけ移してやる。数分後、擬態化によりその一匹は完璧にカメへと変化した。さらにそこに一匹追加する。やがてそいつもカメへと変身した。

「いま、カメが二匹、元ミミクリーフィッシュが二匹だね。ここにもう一匹ミミクリーフィッシュを入れてあげたらどうなると思う?」

 三人に回答を募ってみる。答えはバラバラだった。


 一ノ瀬は「全部カメになる!」

 琴坂は「うーん、わたしも変身する……と思います」

 姫崎は「さっき、二対三だと変身しなかったから、今度も変身しないと思います。ミミクリーフィッシュはリボンとカメの区別が付いてたから、元ミミクリーフィッシュだってことも見抜けるはずです」


 三人の意見が出揃ったところでわたしは答えの実演に入る。

 正解しているのは一ノ瀬と琴坂だ。カメに擬態済みのミミクリーフィッシュは、他のミミクリーフィッシュからはあくまで『カメ』として認識される。そういう実験が既に実証されているのだ。

 だから追加で投入した三匹目のミミクリーフィッシュがカメに変われば、それを証明することができる。第二世物の特性を体験させてあげることができる。

 それで今日の部活は終了するはずだった。


 しかし、そこで予想外の出来事が起こった。カメの水槽に投入した三匹目のミミクリーフィッシュはいつまで経ってもミミクリーフィッシュのままだったのだ。

「流石、姫ちゃん!ひとりだけ正解だ」

 一ノ瀬はぱちぱちと拍手を贈るが、この現象はおかしい。それから数分経っても三匹目のミミクリーフィッシュは我関せずという顔で一人遊泳を続けていた。そもそも群れに参加しようという気さえないように見える。

 わたしは三人に本当の正解を伝える。すると姫崎は口を尖らせながら反論する。

「そうは言っても、目の前の実験の結果では私の意見が正解みたいですけど」

 自分の意見が否定されたのが悔しいのだろうか。姫崎が食い下がってくる。確かに実際の出来事を正とするのであれば、姫崎が正解だ。しかしそれは通説とは異なる。再度の実験が必要だとわたしは思った。

 水槽の中にもう一匹別のミミクリーフィッシュを追加してみることにする。すると追加の一匹はさも当たり前のように変身を遂げた。これが通説通りの結果である。

「むむむ……」

 悔しそうに水槽を食い入るように見つめる姫崎。何度見ても結果は同じ。姫崎のプライドは高い。気持ちの移り変わりに注意しながら話をする。

「一応、これがミミクリーフィッシュの性質ね。その時点でより大きな群れに参加する。そしてその群れは『見た目』で判断するの」

「でもさー」

 そこで一ノ瀬が口をはさむ。

「さっきのミミクリーフィッシュは変身しなかったじゃん」

 そこを突かれると痛い。反証の実例が目の前にあるのだ。わたしは例のミミクリーフィッシュでもう一度同じ実験を試みる。結果は先程と同じ。やはり通説に反する結果が得られた。これは不可思議な現象だ。この例外を除く十九匹の個体では通説通りの変身が発生するものの、この一匹に関してのみ結果が異なる。


 結局、今日の実験で答えは得られなかった。わたしはパスワード付きの水槽に二十匹のミミクリーフィッシュをすべて戻す。

「一匹だけ変身しないなんて、変なのー」と一ノ瀬。

「でも他の十九匹が変身したんだから、\ruby{朱里}{あかり}とひまわりが正解だよ」と姫崎。どこか拗ねている様子。自分が不正解だったのが地味に響いているらしい。

「先生、カメさんはこのまま別の水槽に入れたままでいいの?」

 琴坂がカメ二匹が泳ぐ水槽を指さしながら聞いてくる。このカメは実験のために校舎内の池から採ってきたものだ。明日の実験にも使用するので、このまま部室に置いていくことにする。わたしは控室にミミクリーフィッシュとカメの水槽を並べて運ぶ。そして控室から退室する。ふと、そこで違和感を覚え、わたしはミミクリーフィッシュの水槽を見やった。


 ミミクリーフィッシュたちは仲間同士で仲良く遊泳している。

 たった一匹を除いて。

 おかしなことに、例のミミクリーフィッシュは、仲間の中でさえ群れに参加しようとしていないように見えたのだ。

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