episode.01 寂しいに決まってる
1-1. 気が気でない
「だって、ひとりぼっちで可哀そうだったんだもん!」と言うのは一ノ瀬。
「言い訳なんてありませんよ」と言うのは姫崎。
そして、おろおろと言葉も出せずに大人しくしているのが琴坂。
いつもの景色だ。いつもの三人組である。わたしはこめかみを押さえる。普段と変わらないのは何もこの三人組だけではない。シチュエーションもいつも通りなのだ。
つまり姫崎が策謀し、一ノ瀬が実行し、琴坂が(事後)報告に来る。そしてわたしが困り果てる。お決まりのパターンである。水戸黄門だってもう少し起伏のある勧善懲悪生活を送っているのではなかろうか?
わたしはこめかみを押さえながら、そばの池に目を向ける。この池で飼育している生物の名前はもちろん覚えている。これでもビオトープ部の顧問なのである。担当生徒の顔と名前を一致させるのでさえ睡眠時間を削る重作業だったが、初年度からへこたれるわけにはいかない。フレッシャーズの意地というものがある。改めて死ぬ気になってみれば、削る時間なんていくらでも見つかった。命の前借りをしているような気分だけど、気のせいに違いない。そういった努力の結果、わたしは校内で飼育されている生物の大半を暗記することに成功した。この池の環境だってすぐに答えられる。
この池では昔から「金魚」と「亀」が生活している。
ここは金魚のビオトープであり、亀のビオトープなのである。
「…………」
そう言いたかったのだが、ついさっきこのラインナップには変化が起きてしまった。
いや、正確には「起こされてしまった」である。
姫崎が策謀し、一ノ瀬が実行する。
この五年生二人組は、小学校の教師になるとはどういうことであるか、という地獄のような教訓をいつも思い知らせてくれる。
小学生はピュアで無邪気なのだ。
「だって、ひとりぼっちで可哀そうだったんだもん!」
一ノ瀬のこの言葉は本心から出ているに違いない。もしも自分が同じ状況に陥ったらどういう気持ちになるのかを考え、救い出す方策を姫崎に相談した。
この子たちはこうなのだ。こうだからこそ、教えがいがあるし、守りがいがある。
ただ、わたしを困らせるのはそろそろ止めにしてほしい。これ以上睡眠時間削るとほんと死にかねない。
「先生、あのミミクリーフィッシュは大丈夫かな。お友だちを作れたのかな」
琴坂が心配そうに訊いてくる。いけないことをしてしまった、という罪悪感が琴坂にはあるのだろう。わたしを困らせてしまったことへの申し訳なさも少なからず感じているに違いない。しかし、彼女が泣きそうな顔をしているのは、この池に落とされた一匹の魚のその後を案じているからに他ならない。琴坂はそういう優しい女の子なのだ。
――ミミクリーフィッシュ。
一ノ瀬と姫崎がこの池に放流した一匹の第二世物。わたしはその魚を池から見つけ出さなくてはならない。
しかし、どうやって?
わたしはもう一度池を見る。亀たちは溝の奥に潜んで出てこない。あとは、金魚の群れが泳いでいるだけ。ではミミクリーフィッシュはどこにいったのか。答えは簡単だ。
その第二世物は金魚に擬態(ミミクリー)したのだ。
さて、ことの始まりは二日前に遡る。
2
仕事に慣れる日は果たして来るのだろうか。
もしや一生このまま新米教師のレベルでさ迷うのではなかろうか。
浮かんだ不安を飲み込むように、昼食のサンドイッチを頬張る。タブレットにパンの欠片が落ちないように気を遣いながら。
サンドイッチはいい。採点をしながらでも食べられる良心的な料理だ。きっとサンドイッチを開発した人間は、わたしのように小テストの採点作業に追われていたに違いない。
周りを見ると、生徒たちが楽しそうに昼食の時間を過ごしている。この学校には給食のシステムがなく、全員が自前のお弁当を持ってくる決まりになっている。
「うわー、ハンバーグいいなぁ」
「僕の梅干しとその卵焼き交換しない?」
「野菜減らしてっていったのにぃ!」
みんな楽しそうだなぁ……。
目の前には未採点という名の現実が束になっている。小テストはデータ提出となっているので、実際にはプリントの束などなく、タブレットの液晶がこうこうと光るのみ。しかしわたしには見えるのだ。大量の未採点プリントの束が……!
教室の角におかれたデスクがわたしのテリトリーだ。教え子とワイワイ昼食を取るという夢はかなく、ここ最近は毎日この有り様である。なにせ、新任の身でクラブ活動の顧問を引き受けてしまったのだ。放課後はそれに付きっきりで時間がなかなか取れない。
そう、わたしが顧問になったビオトープ部ではほぼ毎日問題が発生している。
ビオトープ部とは簡単に言えば生物飼育を行うクラブなのだけど、その部員がなかなかに曲者ぞろいなのだ。特にあの二人組は手の付けようがない。一ノ瀬も姫崎も悪戯心が強い気質で、いつもハプニングを起こしては、わたしの可処分時間をぎゅんぎゅんと吸いとっていく。それでいて、どうにも憎めないのだから質が悪い。彼女らの行動の根底には、いつだって子ども特有の純真な疑問や納得のいかなさが根付いているのだ。教師としてそれは大切にしてやらなければならない。そのためにもまずは目の前の採点作業である。
もくもくとマルバツをつけ、もぐもぐとサンドイッチを咀嚼する。徐々に減っていく残り枚数。上がっていく効率。
そして、集中力が薄れてきたところで、職員用スマートフォンにメッセージが送られてきた。
送り手は主任の寿先生だ。
「先日お伝えしていたミミクリーフィッシュの受け入れ日は本日です。お忘れのないよう、放課後には対応お願いします」
寿先生はこの学校のベテラン教師である。新米のわたしが顧問を引き継いだ後も、ビオトープ部の活動をサポートしてくれている。
そんな先輩教師から送られてきたのは、リマインドメッセージだった。
ミミクリーフィッシュの受け入れは今日の午後四時。
もちろん忘れてなどいない。了承の旨を返信する。
第二世物のビオトープ作りを主活動とする我がクラブは、たまに外部からの受け入れ飼育を行うことがある。今回の受け入れ元は他県の小学校だ。異なる環境に生物を一時的に移し、その様子を観察するという試みである。これは学校間の交流も兼ねている。
今回は我々がミミクリーフィッシュという魚を二十匹ほど受け取る予定である。
その第二世物はとにかく「群れでいること」を好むのだという。そしてその群れの内訳には拘りを持たない。
要するに、群れに属することができさえすれば、それがミミクリーフィッシュの群れでなくとも、群れに参加してしまうのだ。
メダカの水槽に入ればメダカと群れになる。
鯉の水槽に入れば鯉と群れになる。
それほどまでに群れでいることを愛する。なぜそんな性質を持つのかは今まさに大学等でいそいそと研究が進められていることだろう。
またそれに加えて、ミミクリーフィッシュには大きな特徴が存在すると聞いている。
「擬態(ミミクリー)する魚」という名が示す通り、彼らは他の魚に擬態できるのだ。完璧な擬態。それはもはや「変身」といっても差し支えないレベルらしい。
群れでいることを愛し、群れでいることを懇願する故だろうか、彼らは群れに参加した魚たちと同じ外見に変身する。
採点作業の終わりも見えてきたことだし、前準備としてミミクリーフィッシュの実験ビデオをおさらいすることにする。大学の研究室がユーチューブで映像データを公開していたので、それをブックマークしておいたのだ。一口サイズ残ったサンドイッチを指の間に挟み、空いてる手でタブレットのブラウザから目的のリンクを選出した。画面一杯に高精細なビデオが表示される。映るのは一辺七十センチほどの水槽。中ではミミクリーフィッシュが三十匹ほど泳いでいる。
全体的に色素が薄い印象を受ける。それは視覚的影響だけでなく、ミミクリーフィッシュの放つオーラにも関係しているように思える。一匹一匹を観察してみると分かるのだが、彼らはなんとなく影が薄いのだ。まるで自身の色を他者に委ねているかのごとく。
わたしは最後の一欠片を口に放り込んだ。昼休憩も終わりに近づいている。放課後のクラブ活動も重要だけど、やはり本職は理科の教師なのだ。まずは午後の授業をきっちりと終わらせることにしよう。ミミクリーフィッシュとの対面はその後だ。
…………。
そうは思いつつも、わたしの思考の大半はミミクリーフィッシュのことでいっぱいだった。正確にはミミクリーフィッシュが来ることによって発生するであろうハプニングの想定で。
あの悪戯っ子二人組が何か問題を起こしやしないかと気が気でないのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます