第6話 彼女の話

 家に帰って私はベッドにダイブした。ボフンッと音をたてて私の体はバウンドする。

 枕に顔をうずめ私は考えた。

 あのお願いを、彼はどう考えたのだろう、と。

 そのままの意味で捉えただろうか。

 それとも……。


 そのまま動かないこと十分間。私はようやく顔を上げると一番尊敬できる先輩に電話をかける。

 コールが三回鳴ると彼女は出てくれた。


「はい、もっしもーし。かわいいしおちゃん?どしたの?」

「しおちゃんてやめてくださいよ。先輩」

「アハハハ、ゴメンごめん。それで?しおちゃんどうしたの?急に」

「ハァ……、先輩、あの………は今どうしていますか?」

「今日はもう寝たよ。………うん、電気も消えているし寝ているね。それで?」


 学園のマドンナと呼ばれていて、同じように読モもやっている先輩はいつものように優しく私の言葉を待ってくれていた。その気遣いが今日は嬉しく、そしてちょっと痛い。

 

「先輩、これは友達の話なんですけど」

「うん、ベタだね、しおちゃんがどうしたの?」

「やっぱりいいです、切りますね。おやすみなさ」

「ゴメンごめん、ごめんなさい。そ、その友達がどうしたの?」


 彼と同じようにちょっとふざけてすぐに謝る。その癖がかわいい先輩。思わず薄く笑いが漏れる。

 

「その友達は好きな子が出来たんです。でもその好きな子は別の、わた………友達なんかよりずっとかわいい女の子が好きで。それで彼、好きな子は友達に恋の相談をしたんです」

「うんうん」

「その友達は彼と一緒に過ごす頻度が増えて、……だから気持ちを捨てるどころか、余計に、まるで油を注がれたみたいに想いは強くなってしまって」

「うん」

「でも彼は別の子が好き。この気持ち、私は、私はどうしたらいいんでしょうか」

「………」

 

 静かに、頬を熱い水滴が一つ、流れていく。でもそれをぬぐう気力は無くて、水滴はそのままベッドに小さなシミを作った。


「でも私は彼を好き。ずっと一緒にいたい。……今日彼は私をナンパから守ってくれたんです。彼は……悪く言えば陰キャに分類されるのに、周りの視線を気にせず、私のために大声で、店に響き渡るくらい大きく」

「うん」

「やっぱり彼は彼だったんですよ」

「うん」

「でも、好きだからこそ、彼の気持ちは尊重したい」

「うん」

「だけど、その思いと想いが混ざり合って、………ッ、混ざり合って………気持ちが悪いんです。胸が……痛いんです」

「そっか」


 相槌が私の心を、心の結界をはがしていく。一箇所ずつ、張りぼての結界から気持ちという名の水が溢れ出して、どんどん決壊させられる。


「彼のことはずっと前から、好き、だったのに、彼は私を、………三年前同じ、状況の、時も。………救ってくれたんです」

「うん」


 そう、それは三年前、私たちが中学二年生のときだ。

 コンビニで誕生日会のためのジュースを買っていたとき高校生の人たちから私は囲まれて、怖くて、声も出なくて。………助けも呼べなかった。

 そんなときに来てくれたのが、隼人君だった。

 私と同じでちょっと今より小さくて。だからこそ高校生にかなわないと分かっていたから大人を呼んできてくれた。

 そして助けた私に向かったこういったんだ。


【今日君、誕生日なんでしょ?】

【どうして知ってるの?】

【だって誕生日の歌鼻歌で歌っていたし。とりあえず誕生日おめでとう】


 今さっき起こった嫌なことじゃない、私がその前に考えていた楽しいことを言ってくれて。

 にこっと笑って明るく手を差し伸べてくれて。

 その時からずっと彼のことが好きだったんだ。

 だから同じ高校に入れたことが嬉しかった。

 今年、二年生になった時同じクラスになれたときなんかはもう嬉しくて枕に向かって叫んだりまでした。

 でも話す勇気はいつまでたっても生まれなくて。業務連絡とかでしか関わる機会がなくて。それだけで舞い上がって。


「それで彼から呼び出しをうけたんです。この間。五月だけど太陽が明るく輝いていて。ちょっと暑い日」

「うん」

「私、嬉しくて早めに行ったんです。その、………二十分前に」

「え?はやっ!」

「………ですよね」


 もう友達の話じゃなくなっていたけどもういい。

 彼にも逃げるなって言ったんだ。私も逃げちゃ駄目。

 私は大きく息を吸う。


「なのに彼は先に来ていたんです。私よりも先に」

「それは、………わが弟ながら引くわ」

「でもその先に続いたのは、私にとって死刑宣告みたいな、そんなのでした。告白かもなんて思っていた自分が恥ずかしくなって、情けなくなって、自意識過剰すぎて死にたくなって………そして苦しくなって。でも、でもっ、必死になって笑顔を作ったんです」

「………うん」

「辛くて、辛くて、でも頼ってくれたことに関してはちょっとうれしくって。本当私って、………バカみたい」

「そんな事無いよ」

「あるんです。私、震える声を必死に平らにして、………彼の顔すら見ないで一方的に協力するの一言で片付けて」

「うん」

「それに、今日の帰り道も、わたし自分のことを棚に上げて、彼にきついことを言ってしまって」

「うん」

「それなのに彼は、彼は、………私に最後までやさしくて」

「うん」

「それで、そ、それ………で………。私は、もう」

「もう、いいよ」

「よくないんです!」


 私は電話だというのに顔を勢いよく上げた。目の縁に溜まっていた涙が数滴こぼれ落ちる。


「彼が好きなのは私じゃない!咲ちゃんなんです!一方的な好意はただ迷惑なだけで!だから、………だから………分からないん、です」

「もう大丈夫」


 いつの間にかベッドの上には多くのシミが出来ていた。私の頬には無数の涙の跡。明日腫れてしまうことも知っていながら強引に拭い去った。

 しかし私が話すよりも先に先輩はゆっくりと話す。


「栞は自分を否定しすぎ。私の不肖の弟が申し訳ないね」

「そんな、こと、は」

「私は正直こういうときに何を言えばいいのか分からない。だからこれは聞き流して欲しいけど……いいね?」

「………」

「フフッ、………これは私に告白してきて玉砕した男子の話していたことなんだけどね。その頃は私は何度も何度も告白されてうんざりしていた時だったんだ。だからそいつに八つ当たりみたいにして聞いたんだよ。『なんで振られるって分かってんのに告白なんかしてくるんだ』って。そのあとにもぼろくそ文句言ったりして。そしたらその男子なんていったと思う?」

「……………」

「『好きだからです』だ。笑えるだろ?」

「えっ?」

「もちろん私はふざけるな、とか色々詰め寄ったさ。動揺して、な。私はお前にひどいことを言ったんだぞとかもういろいろ。でもそいつは真剣な表情で私の顔を目に映してこう言ったんだよ」


【あなたがどんなにひどいことを言おうが僕に何一つ響かないんですよ。だってそれも含めてあなたの全てが好きなんですから。明るく振舞ってクラスをまとめ上げているあなたも、その裏で陰口叩かれて唇をかみ締めているあなたも、こうやってイライラして当たってくるあなたも。全て。全て好きなんです】


「それは」

「マジ笑えるだろ?」

「エッと………」

「私、思わず笑っちゃてさ。大声で。涙が出るまで。ドMかよとかストーカーとか言いまくって。それをそいつは笑って見ててくれたんだ。あ、ちなみにその男、今私の彼氏だから」

「……今は、自慢いらないです」

「つまりさ、好きになったら【勝ち】なんだよ。勝利なんだ。恥じることも情けなくなることも無い。迷惑なだけ?上等じゃん!栞は勝ってるんだよ!」


 その言葉は私のちっぽけな結界なんか吹き飛ばしてくれた。その中に溜まっていた水まで消え去っている。涙もいつの間にか止まりベッドに落ちた水滴もなくなっていた。

 それを感じ取ったのか先輩はわざとらしくあくびをする。私は思わず笑ってしまった。


「じゃあ、これで話し終わりなら切るよ?しおちゃん」

「しおちゃん呼びやめてください!」

「えーーーー」

「えーーじゃないです!」


 本当に彼と同じ。だからこそ


「先輩ありがとうです」


 私は電話を切って布団に潜った。

 もう涙は流さない。枕になんて一生叫んでやるもんか。

 私は微笑んで目を瞑った。

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